第034話 レオン不在の勇者パーティ
今回は勇者パーティ側の話です。
レオンが抜けたあと、準備、補給、修理、索敵の穴がさらに大きくなっています。
勇者パーティの遠征は、予定より五日遅れていた。
本来なら、北方街道に出没する黒鎧熊を討伐し、王都へ凱旋しているはずだった。
民衆の前でアルベルトが聖剣を掲げ、クラウスが結界破りの魔法を語り、リリアが癒やしの奇跡を称えられる。
そういう段取りだった。
だが、現実は違った。
黒鎧熊は倒した。
それだけは事実だ。
だが、綺麗な勝利ではなかった。
索敵が遅れ、先にこちらの匂いを取られた。
足場の悪い沢へ追い込まれ、ダリオの踏み込みは沈み、フィーネの射線は木に遮られた。
クラウスの結界破りは一度目で外れ、リリアは回復に回る前に防御祈祷を重ねる羽目になった。
最後はアルベルトが聖剣で斬った。
だから記録上は勇者の勝利だ。
けれど、その勝利のために魔石は余計に割れ、剣は亀裂を広げ、薬は底をつき、帰路は予定の倍かかった。
凱旋の歌にはならない。
報告書に書くには、余計な傷が多すぎた。
その傷を整えて、勝利らしく見せる者も、もういなかった。
泥を拭い、順番を並べ、誰が何をしたかを見栄えよく整える小さな手間が、今は誰の手にも余っている。
勝利は、勝っただけでは輝かないのだと、誰もまだ知らなかった。
宿の一室で、アルベルトは机を叩いた。
「なぜ報告書がまだできていない」
机の上には、破れた地図、泥のついた討伐証明札、折れた矢、欠けた魔石、そして半分しか書かれていない報告書が散らばっている。
クラウスは椅子に沈み込み、目の下に隈を作っていた。
「俺は魔導師だ。報告書の清書係じゃない」
「魔導師なら魔導師らしく、討伐経路くらい説明しろ」
「説明ならした。地図に写す奴がいない」
その言葉で、部屋の空気が悪くなる。
誰も名前を出さない。
だが、全員が同じ男を思い浮かべた。
レオン。
遠征前、彼は地図に魔物の痕跡、避けるべき沼地、補給地点、馬車を止める場所まで書き込んでいた。
討伐後は証明部位を保存し、ギルドへ提出する順番に包み、報告書の下書きまで作っていた。
その作業を、誰も仕事だと思っていなかった。
今は机の上の紙束が、ただの紙束として散らばっている。
「フィーネ」
アルベルトは弓使いへ視線を向けた。
「討伐証明の牙は」
フィーネは包帯を巻いた手首で革袋を探る。
「ある。けど、保存薬が足りなかったから少し変色してる」
「変色?」
「腐り始めてる」
ダリオが顔をしかめた。
「おい、それ証明になんのかよ」
「知らないよ。いつも処理してたのは」
フィーネはそこで口を閉じた。
アルベルトの視線が刺さる。
「言えよ」
ダリオが苛立った声を出す。
「いつも処理してたのはレオンだろ。もう全員わかってんだから、名前くらい出せ」
「黙れ、ダリオ」
「黙ってたら牙が腐らねえのか?」
ダリオの剣は、まだ仮修理のままだった。
刃の中心に細い亀裂が残っている。
戦えないわけではない。
だが、黒鎧熊との戦闘で、その亀裂は何度も嫌な音を立てた。
「そもそも、あの依頼は受けるべきじゃなかった」
クラウスが言った。
「聖剣の浄化も不完全。魔石の予備も不足。薬も足りない。馬車も替えがない。その状態で高ランク討伐だぞ」
「勇者パーティが黒鎧熊ごときを恐れてどうする」
「恐れる恐れないの話じゃない。準備の話だ」
アルベルトは立ち上がった。
「準備、準備、準備。最近そればかりだな」
「準備をしなかった結果がこれだ」
クラウスは机の上の欠けた魔石を指す。
「結界破りに二発余計に使った。足場が悪かったからだ。足場が悪いのは、迂回路を知らなかったからだ。迂回路を知らなかったのは、地図を読める奴がいなかったからだ」
「俺のせいだと言いたいのか」
「そうは言っていない」
「言っているようなものだ」
リリアが小さく手を上げた。
「アルベルト様、まずフィーネの手首をきちんと診たほうが」
「癒やせばいい」
「癒やしはしました。でも、腱の疲労が残っています。無理に弓を引けば悪化します」
「なら休ませろ」
「休ませる計画を立てる人がいません」
リリアの声は小さい。
だが、部屋に残った。
アルベルトは彼女を睨む。
リリアは目を伏せた。
「すみません」
謝罪の言葉を聞いても、アルベルトの苛立ちは収まらなかった。
なぜ全員、自分を見る。
なぜ全員、言葉にしない責任をこちらへ寄せてくる。
勇者は戦う者だ。
段取りを組む者ではない。
薬草を仕分ける者でも、馬具を直す者でも、報告書を清書する者でもない。
そんな雑事のために、レオンがいた。
そこまで考えて、アルベルトは奥歯を噛んだ。
違う。
レオンは雑用係だった。
雑用係がいなくなっただけだ。
なのに、なぜ全員の視線が重い。
「とにかく、報告書を仕上げろ」
アルベルトは言った。
「黒鎧熊は倒した。結果は出した。多少の遅れなど問題ではない」
「多少?」
フィーネが思わず呟いた。
「五日遅れたよ。途中の村で補給も失敗した。保存食は高値で買うことになったし、薬師には足元見られた」
「金はある」
アルベルトは言った。
だが、リリアが首を横に振る。
「報酬の前借り分と宿代で、かなり減っています」
「なぜ管理していない」
「管理していたのは」
リリアは言いかけて、黙る。
今度はアルベルトが先に言った。
「レオンだろう」
部屋が静まった。
名前を出したのは、アルベルト自身だった。
その事実が、彼の胸をさらに苛立たせる。
「そんなにあいつが必要か」
誰も答えない。
答えないことが、答えだった。
アルベルトは笑った。
乾いた笑いだった。
「わかった。なら探せばいい」
クラウスが顔を上げる。
「呼び戻すのか」
「違う」
アルベルトの声は冷えていた。
「あいつがどこで何をしているか、確認するだけだ」
「確認してどうする」
「勇者パーティを抜けた雑用係が、まともにやれているとは思えない。困っているなら、拾ってやってもいい」
フィーネが眉をひそめる。
「拾うって」
「元の場所に戻してやるという意味だ」
ダリオが鼻で笑った。
「戻ってくると思うか?」
「来る」
アルベルトは即答した。
「あいつには行く場所がない。勇者パーティの看板なしで、何ができる」
その時、部屋の扉が叩かれた。
宿の従業員が、遠慮がちに紙を差し出す。
「勇者様。王都からの伝令が、こちらを」
アルベルトは紙を奪うように受け取った。
王都経由の冒険者噂書き。
辺境都市ラグノールで、元勇者パーティの雑用係レオン・グランヴィルが活動中。
元聖騎士。
獣人暗殺者。
暴走魔導師。
三名の女奴隷を連れているとの未確認情報あり。
アルベルトの目が止まった。
「女奴隷」
クラウスが紙を覗く。
「ラグノール? あいつ、辺境にいるのか」
「元聖騎士って、まさかセリア・アルトレインか」
リリアが息を呑む。
フィーネは別の箇所を見ていた。
「暴走魔導師って、危険じゃないの」
ダリオが笑う。
「何だよ。雑用係が奴隷女集めて王様気取りか?」
その一言に、アルベルトの中で何かが歪んだ。
レオンが困っている。
そう思っていた。
レオンが惨めにしている。
そうでなければならなかった。
なのに噂の中のレオンは、元聖騎士を連れ、獣人暗殺者を連れ、暴走魔導師を連れている。
まるで、新しいパーティでも作っているように。
まるで、勇者パーティを失っても困っていないように。
アルベルトは紙を握り潰した。
「違法所有だ」
リリアが顔を上げる。
「アルベルト様?」
「奴隷を私兵化している。危険な女どもを集めて、何をするつもりだ」
「まだ噂だ」
クラウスが言う。
「噂でも十分だ」
アルベルトは聖剣の柄に手を置いた。
聖剣はまだ少し重い。
だが、今はその重さすら怒りに変わった。
「勇者である俺には、危険な奴隷を取り締まる義務がある」
フィーネが小さく言った。
「それ、本当に義務?」
アルベルトは聞こえないふりをした。
自分の中で、答えはもう決まっている。
レオンは困っているのではない。
調子に乗っている。
勇者パーティを出た雑用係が、女奴隷を集めて自分の価値を誇示している。
なら、わからせる必要がある。
誰のおかげで旅をしていたのか。
誰の下にいたから、雑用係でも食っていけたのか。
「ラグノールへ向かう」
アルベルトは言った。
「レオンを連れ戻す。そして、奴隷どもは王都へ引き渡す」
リリアの顔が青ざめる。
「本人の意思を確認せずに?」
「奴隷に意思など関係ない」
その言葉に、部屋の空気が凍った。
クラウスでさえ、すぐには何も言わなかった。
アルベルトは気づかない。
自分が何を言ったのか。
その言葉が、どれほどレオンと遠い場所に立っているのか。
「準備しろ」
アルベルトは命じた。
「今度は遅れるな」
誰も返事をしなかった。
机の上では、黒鎧熊の牙が腐りかけた匂いを放っていた。
それでもアルベルトは、窓の外を見ていた。
辺境の方角を。
自分が捨てた男が、自分なしで立っているかもしれない場所を。
アルベルトは強い勇者です。
けれど、強さだけでは遠征もパーティも回らないことが、少しずつ露わになってきました。
次回、王都からの噂がレオンたちのもとへ届きます。
少しでも続きが気になったら、ブックマーク・評価・いいねで応援していただけると励みになります。




