第031話 暴走魔導師の初陣
調律腕輪を得たイリスの初陣です。
暴走魔導師ではなく、一人の魔導師として戦えるのかが試されます。
ギルドの警鐘は、三度鳴って止まった。
ラグノールでは、魔物の襲撃なら五度。
火事なら連続。
貴族や王都関係者の強制執行なら三度。
つまり、今の鐘は戦争ではない。
もっと面倒なものだ。
「魔塔から正式な回収命令が出ました!」
鍛冶場の外で、マルタが叫ぶ。
イリスの腕輪が、紫に脈打った。
彼女は涙の残る目で立ち上がる。
「今度は、私も話します」
その声は震えていた。
だが、昨日までのように謝ってはいなかった。
セリアが盾を手に取る。
ミュールはすでに入口の影へ移動している。
ガレスは炉の火を落とさず、腕を組んだ。
「うちの鍛冶場で暴れるなら、床代を取るぞ」
「取る相手が多そうだな」
「ならなおさら逃がすな」
俺は包帯の巻かれた右手を握りそうになり、セリアの視線を受けてやめた。
外へ出る。
鍛冶場の前の通りには、魔塔の外套を着た者たちが並んでいた。
人数は八人。
杖を持つ者が四人。
拘束具の箱を抱える者が二人。
残り二人は護衛らしい。
先頭に立つ女が、一枚の羊皮紙を掲げていた。
年は三十前後。
黒髪をきっちり結い、銀縁の眼鏡をかけている。
表情は整っているが、目が冷たい。
「魔塔管理局執行官、ヴェラ・アードです」
彼女は名乗った。
「研究奴隷イリス・ヴェルメリアの回収命令を執行します。関係者はただちに対象を引き渡しなさい」
研究奴隷。
その言葉に、イリスの肩が跳ねた。
セリアの目が鋭くなる。
ミュールの尾が低く揺れる。
俺は一歩前へ出た。
「その呼び方はやめてください」
「書類上の身分です」
「書類が人を物にしていい理由にはなりません」
ヴェラは表情を変えない。
「異議があるなら王都魔塔へ申し立てを。ここでは命令を執行します」
マルタが息を切らせながら俺たちの横へ来た。
「ギルドとして抗議します。イリスさんは旧排水路崩落事件の重要証人です。現時点での強制移送は、事件調査の妨害に当たります」
「ギルドの調査権は、魔塔の管理権に優先しません」
「それを判断するのはこの場のあなたではありません」
マルタの声は事務的だった。
だが、眼鏡の奥の目は怒っている。
ヴェラは羊皮紙を広げた。
そこには魔塔印。
赤鎖の商会印。
そして、見慣れない細い鳥の印。
俺はその鳥の印に目を止める。
どこかで見た気がする。
昨夜、ミュールを狙った追手が持っていた金属片にも、似た形が刻まれていた。
「レオン」
ミュールが小声で言う。
「同じ匂い」
「昨夜の印か」
「似てる」
ヴェラの視線がミュールへ向く。
「獣人奴隷も確認。危険対象が増えていますね」
「奴隷ではない」
セリアが低く言った。
「私はセリア・アルトレイン。ラグノール冒険者ギルド所属、灰羽の前衛だ」
ミュールも短く続ける。
「ミュール。近くにいるって決めた」
ヴェラは二人を見ても、何も感じていないようだった。
「では、違法同行者として記録します」
「記録が好きな連中だな」
ガレスが鍛冶場の入口から吐き捨てた。
「鉄なら叩き直せるが、腐った書類はどうにもならん」
ヴェラはガレスを無視し、杖を上げた。
「対象を拘束します。抵抗すれば、周辺協力者も拘束対象とします」
魔導師たちが一斉に杖を構えた。
イリスが息を呑む。
腕輪の紫が強くなる。
「イリス」
俺は彼女の名前を呼んだ。
「命令はしない」
「はい」
「どうしたい」
イリスの唇が震えた。
昨日までなら、彼女は「私を渡してください」と言ったかもしれない。
自分が危険だから。
周囲に迷惑をかけるから。
そう思って、自分を差し出したかもしれない。
だが、今は違った。
彼女は自分の腕輪へ視線を落とし、次にヴェラを見る。
「戻りたくありません」
はっきりと言った。
その瞬間、魔塔側の杖が光った。
「拘束術式、展開」
青白い鎖が空中に生まれる。
狙いはイリス。
セリアが盾を構えて前へ出た。
「通さん!」
鎖が盾に当たる。
霜のような魔力が広がる。
セリアの足が石畳を削った。
重い。
第27話で主任が撃った封印弾より精度が高い。
ミュールが横へ走る。
影から影へ。
拘束具の箱を抱えた魔塔員の背後へ回り、箱の留め具を切った。
中から金属輪が落ちる。
「対象の補助拘束具が!」
「拾うな」
ミュールの鎖が魔塔員の手首に絡む。
彼女は殺さない。
だが、動かせない。
俺は背嚢から小瓶を取り出した。
魔力撹乱用の粉末。
イリスの腕輪制作で余った安定剤の副産物だ。
空中に散らす。
青白い鎖の一部が歪んだ。
「小細工を」
ヴェラが冷たく言う。
「雑用係なので」
返しながら、俺は左手だけで次の瓶を用意する。
右手が使えないのがもどかしい。
その時、イリスが一歩前へ出た。
「イリス!」
俺が呼ぶ。
「大丈夫です」
大丈夫。
彼女がその言葉を自分で言った。
腕輪が紫に光る。
小さな火花が指先に集まる。
ヴェラが目を細めた。
「対象の魔力上昇を確認。危険出力と判断」
「違います」
イリスの声は震えている。
だが、逃げていない。
「これは攻撃ではありません」
彼女は両手を前に出した。
紫の光が広がる。
炎ではない。
雷でもない。
薄い膜だ。
セリアの盾の前に、透明な紫の障壁が重なる。
青白い鎖が障壁に触れ、音もなく解けた。
魔塔員たちがざわめく。
「封印鎖が分解された?」
「違う」
イリスが息を荒くしながら言う。
「流れを、ほどいただけです」
セリアが振り返らずに笑った。
「助かる、イリス」
その一言に、イリスの瞳が揺れた。
仲間に礼を言われた。
守った相手に、恐れではなく感謝を向けられた。
それだけで、腕輪の光が少し安定する。
「出力を上げます」
ヴェラが命じた。
魔塔員たちの杖がさらに光る。
拘束鎖が三本。
今度はセリア、ミュール、そして俺を狙う。
「レオンさん!」
マルタの声。
俺は下がろうとして、足元の石畳が青く光っていることに気づいた。
足止めの陣。
いつの間に。
まずい。
拘束鎖が迫る。
セリアは前の鎖を受けている。
ミュールは箱の魔塔員を押さえている。
俺は右手を使えない。
「イリス!」
声が出るより先に、彼女が動いた。
紫の障壁が形を変える。
盾ではなく、流れ。
水路のように青白い鎖の軌道を逸らし、地面へ落とす。
鎖は石畳を縛った。
俺ではなく。
「できた」
イリスが呟く。
「今、私」
「できている!」
俺は叫んだ。
イリスの瞳に、紫の輪が浮かぶ。
彼女はもう一歩前へ出た。
「ヴェラ執行官」
声はまだ弱い。
それでも、はっきり届く。
「その拘束術式、私の調律式を改造していますね」
ヴェラの表情が初めて動いた。
ほんのわずか。
だが、動いた。
「何を」
「第三節の抵抗値。私が書いた式です。でも、本人の呼吸に合わせる部分が削られている。代わりに外部命令の受信部が足されている」
イリスの声が少しずつ早くなる。
「私の研究を、拘束具に使ったんですね」
周囲が静まる。
鍛冶場の火の音だけが聞こえる。
ヴェラは冷たく言った。
「研究成果は魔塔に帰属します」
「本人署名のない帰属契約で?」
マルタが即座に挟む。
ヴェラの目がマルタへ向く。
「受付員が口を挟む場ではありません」
「受付員なので、書類の不備は気になります」
マルタは帳面を開いていた。
強い。
戦闘力はないが、こういう場面では盾に近い。
ヴェラが杖を下げる。
「本日は対象の状態確認を完了しました。正式回収は後日、上位機関の立ち会いのもと行います」
「逃げるのか」
ガレスが鼻で笑う。
「記録します」
ヴェラはそれだけ言った。
魔塔員たちは拘束具の箱を拾い、負傷者を抱え、撤退を始める。
ミュールは追わなかった。
セリアも剣を抜かない。
こちらも、今は追い詰めるべきではない。
イリスの腕輪が小さく震えている。
彼女は立っているだけで精一杯だ。
魔塔の一団が通りの角を曲がって消えた瞬間、イリスの膝が落ちた。
俺は駆け寄る。
「大丈夫か」
「大丈夫、です」
「嘘が下手だ」
「レオンさんほどでは」
かすかな返し。
セリアが彼女を支える。
「よく立った」
ミュールも近づき、イリスの腕輪を見た。
「紫、少し落ち着いた」
「見えるんですか」
「匂い」
「匂いなんですね」
イリスは小さく笑いかけ、すぐに息を吐いた。
マルタが回収命令の写しを手にしていた。
「撤退の際に落とした、ということにしておきます」
「拾ったんですね」
「落とし物です」
マルタは平然と言った。
彼女は羊皮紙を机代わりの木箱に広げる。
「レオンさん。イリスさん。見てください」
魔塔印。
赤鎖の商会印。
鳥の紋章。
そして、紙の下部に薄く押された副印。
教会系の聖印に似ている。
だが、セリアの呪印で見た清浄な聖印とは違う。
もっと事務的で、冷たい。
イリスが顔色を変えた。
「これは」
「読めるのか」
俺が尋ねる。
彼女は腕輪を押さえながら頷いた。
「魔塔だけではありません」
紫水晶の瞳に、細い輪が浮かぶ。
「この回収命令、教会の承認術式が混ざっています」
セリアの首元が、かすかに疼いたように見えた。
俺は息を呑む。
セリアの所有者認証。
ミュールの爪印。
イリスの拘束具。
別々だったはずの鎖が、また一本の線になり始めていた。
イリスはもう、ただ封じられるだけの危険物ではありません。
一方で、魔塔、教会、奴隷商会の印が同じ書類に並び、敵の輪郭も少しずつ見え始めました。
次回、魔塔の回収命令と正面から向き合います。
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