第030話 制御ではなく調律
翌朝、俺たちはイリスの拘束具を抱えたまま、ガレスの鍛冶場を訪ねていた。
ガレスは、俺の包帯を見た瞬間に眉を吊り上げた。
「帰れ」
鍛冶場に入って最初の言葉がそれだった。
赤い炉の熱。
鉄と炭の匂い。
壁に並ぶ工具。
いつもなら少し安心する場所なのに、今日は親方の視線が痛い。
「話だけでも」
「帰れと言った」
「急ぎなんだ」
「手を焼いた奴が鍛冶場に来るな。鉄より先にお前が焼ける」
正論だった。
俺は黙る。
セリアが隣で頷いた。
「私も同意見だ」
「セリアまで」
「貴殿は止める者がいないと本当に止まらない」
ミュールも後ろで頷いている。
「焦げた手、使うのだめ」
「三対一か」
「四対一です」
細い声が続いた。
イリスだ。
彼女は鍛冶場の入口で、両手首の拘束具を抱えるようにして立っていた。
まだ落ち着かない様子だが、昨夜よりは目に焦点がある。
「レオンさんの手を使う案は、私も反対です」
「本人が言うなら仕方ないな」
ガレスが腕を組む。
「で、その本人が何を作れって?」
俺は机の上に紙を広げた。
イリスが描いた魔法陣。
俺が書き加えた素材一覧。
拘束具の構造図。
そして、腕輪の試案。
「魔力を封じる道具じゃない。本人が流れを掴むための調律具を作りたい」
ガレスは紙を覗き込んだ。
「魔導具か」
「半分は」
「残り半分は」
「医療具に近い」
「面倒なもんを持ち込むな」
そう言いながら、ガレスの目は図面から離れない。
職人の目だ。
文句を言いながら、もう作り方を考えている。
イリスが早口で説明する。
「拘束具は魔力の出力を外部から固定します。だから感情や呼吸の揺れと衝突して、反発が生まれます。私の調律式は、本人の魔力の波に合わせて魔法陣の抵抗値を変える方式で、理論上は」
「待て」
ガレスが片手を上げた。
イリスがびくりと止まる。
「言葉が多い。鉄で言え」
「鉄で」
「硬すぎる枷は肉を潰す。柔らかすぎる輪は役に立たん。なら、力がかかった時だけ逃がす遊びを作る。そういう話か」
イリスの目が丸くなった。
「……はい。すごく雑に言うと、そうです」
「雑は大事だ。作れる形になる」
ガレスは図面を指で叩いた。
「素材は聖銀だけじゃ駄目だ。魔力を通しすぎる。黒鉄だけでも駄目だ。今度は締めすぎる。芯に柔らかい魔導銅を入れて、外側を薄い聖銀で包む。関節にあたる部分は革を噛ませる」
「革を」
イリスがすぐに紙へ書き込む。
「なるほど。完全な円環ではなく、呼吸する継ぎ目を作る。魔法陣も閉じないほうがいい。閉じると出力固定になるから」
「おい、レオン」
ガレスが俺を見る。
「この娘、鍛冶場に向いてるぞ」
「研究室向きじゃなくて?」
「本当に物を作る奴は、理屈を形に落とす。机だけの魔導師じゃねえ」
イリスが動きを止めた。
「私が、物を作る」
「作るんだろ」
ガレスは当然のように言った。
「作られる側で立ってるつもりなら帰れ。ここは鍛冶場だ。作る奴の場所だ」
イリスは言葉を失った。
セリアが少しだけ表情を緩める。
「荒いが、良い言葉だ」
「荒いは余計だ、元騎士」
「事実だ」
ミュールが炉の横の鉄屑を見ている。
「これは使う?」
「触るな。熱い」
「わかる」
「わかるなら触るな」
ガレスの声に、鍛冶場の空気が少しだけ軽くなる。
イリスは図面を握ったまま、炉の火を見つめていた。
「私も、作る側にいていいんでしょうか」
「駄目なら最初からここへ連れてきていない」
俺が言うと、彼女は少しだけ俯いた。
「でも、私はまた間違えるかもしれません」
「間違えたら直す」
ガレスが即答した。
「鉄だって一発で決まるほうが少ねえ。歪めば叩く。割れれば溶かす。駄目なら最初からやり直す。それだけだ」
「人が怪我をしたら」
「怪我しねえように段取りを組む。そのために人数がいる」
ガレスは俺の右手を睨む。
「ただし、怪我人は手を出すな」
「わかってる」
「わかってる顔じゃねえ」
全員の視線が俺へ集まる。
俺は両手を上げた。
「口だけ出す」
「それが一番うるさそうだな」
作業は、ガレスが中心になった。
俺は図面を読み、手順を確認し、必要な薬液や冷却材を用意する。
実際に熱い金属を扱うのはガレス。
魔法陣を刻むのはイリス。
セリアは鍛冶場の外で見張り。
ミュールは屋根と裏口の気配を見ている。
魔塔の連中が動く可能性がある。
主任はギルドで拘束中だが、王都へ報せが飛んでいるなら、次の手が来てもおかしくない。
イリスは作業台の前に座った。
手首の拘束具が邪魔をする。
金属音が鳴るたび、彼女の肩が震える。
「先に外せればいいんだが」
「今外すと、魔力が跳ねます」
イリスは自分で言った。
その声には、昨日までのような諦めだけではない。
状況を読んでいる響きがあった。
「だから、腕輪を先に作ります。拘束具を外す瞬間、調律具へ流れを移す」
「橋を架けるみたいなものか」
「はい。崖から落ちる前に、次の足場を作る感じです」
「わかりやすい」
「わかりやすく言えましたか」
「かなり」
イリスは少しだけ嬉しそうにした。
本当に少しだけ。
だが、表情が動いた。
ガレスが熱した魔導銅を叩く。
音が鍛冶場に響く。
一定の間隔。
強すぎず、弱すぎず。
イリスはその音に合わせて、紙の上で魔法陣の線を引いた。
「その拍子がいいのか」
俺が聞くと、彼女は頷いた。
「魔力は呼吸と似ています。一定の外音があると、揺れを合わせやすいんです」
「なら炉の音も使えるな」
「はい。あと、槌音も」
ガレスが鼻を鳴らす。
「鍛冶場の音が魔法に役立つとはな」
「役立ちます。すごく」
イリスは真面目に言った。
その言葉に、ガレスは少しだけ照れたように髭を撫でた。
「なら、よく聞け」
槌音が続く。
イリスの指先から火花が散る。
だが、暴れない。
槌音に合わせて、小さく明滅する。
俺はその様子を見ながら、薬液を混ぜた。
聖銀の表面に薄く塗る安定剤。
魔力の通りを滑らかにし、急な逆流を防ぐ。
右手は使えない。
左手だけでは遅い。
つい右手を伸ばしかけた瞬間、横からセリアの声が飛んだ。
「レオン」
「まだ何もしてない」
「しようとした」
「よく見てるな」
「見ると決めた」
イリスが小さく笑った。
今度は、確かに笑った。
自分でも驚いたように口元を押さえる。
「笑った」
ミュールが屋根裏から顔を出して言った。
「見てたのか」
「見張りだから」
イリスは耳まで赤くした。
「笑うのも、報告されるんですか」
「大事」
「大事なんですか」
「たぶん」
ミュールはそう言って、また気配を消した。
作業は夕方まで続いた。
小さな腕輪。
完全な輪ではない。
手首に沿う二つの半円を、柔らかい革と細い鎖で繋いでいる。
表面には、イリスの調律式を簡略化した線。
内側には、俺が加えた治癒と安定の刻み。
拘束具とは違う。
締めるための道具ではない。
流れを感じるための道具だ。
「勘違いするなよ」
ガレスが腕輪を炉の光にかざした。
「これは完成品じゃねえ。崖にかけた仮橋だ。渡れるかもしれんが、上で踊るな」
イリスは真剣な顔で頷いた。
「つまり、試作一号ですね」
「そういうことだ」
「試すぞ」
ガレスが言った。
鍛冶場の空気が一気に張り詰める。
イリスの顔から血の気が引いた。
「やっぱり、やめたほうが」
「やめてもいい」
俺は言った。
「急がない」
「でも、拘束具は」
「今すぐ完全に外さなくてもいい。今日はここまでにして、明日試すこともできる」
イリスは腕輪を見つめる。
怖い。
当然だ。
だが、彼女はその怖さを飲み込もうとしていた。
「私は」
小さく言う。
「ずっと、誰かに出力を決められていました」
誰も口を挟まない。
「危ないから動くな。危ないから話すな。危ないから魔力を使うな。危ないから眠れ。危ないから起きろ。全部、命令でした」
彼女は腕輪へ手を伸ばす。
「でも、これは」
指先が震える。
「私が、使うものなんですよね」
「そうだ」
俺は答えた。
「君を使うものじゃない。君が使うものだ」
イリスは目を閉じた。
深く息を吸う。
そして、腕輪を自分の手首へ当てた。
ガレスが留め具を閉じる。
俺は左手で安定剤の小瓶を持つ。
セリアが盾を構える。
ミュールが屋根から降り、入口に立つ。
イリスの拘束具が青く光った。
腕輪が、かすかに紫へ光る。
「流れが来ます」
イリスの声。
「怖いです」
「言えているなら大丈夫だ」
「大丈夫の基準が変です」
「よく言われる」
彼女は少しだけ息を吐いた。
拘束具から、腕輪へ。
青い光が移る。
途中で紫へ変わる。
火花が散った。
セリアが盾を上げる。
だが、火花は鍛冶場を焼かなかった。
腕輪の表面を走り、細い線となって一周し、イリスの手のひらへ戻る。
イリスの瞳に、紫の輪が浮かんだ。
「熱い」
彼女が呟く。
「痛いか」
「いいえ」
イリスは自分の手を見た。
指先に小さな光が灯っている。
暴走ではない。
炎でもない。
整えられた魔力の光。
「私の魔力が」
彼女の声が震える。
「私の手の中にあります」
腕輪が、深い紫に輝いた。
その光を見て、イリスは初めて泣いた。
恐怖ではなく。
痛みでもなく。
自分の力を、自分のものとして見つめるために。
だが、その涙が落ちる前に、鍛冶場の外で鐘が鳴った。
ギルドの警鐘。
一度。
二度。
三度。
セリアが扉へ向く。
ミュールの耳が立つ。
「人が来る」
「魔塔か」
「違う。もっと多い」
鍛冶場の外から、マルタの声が響いた。
「レオンさん! 魔塔から正式な回収命令が出ました!」
イリスの腕輪が、紫に脈打つ。
彼女は涙の残る目で、初めて自分から立ち上がった。
「今度は」
その声はまだ震えていた。
「私も、話します」




