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第028話 地下施設崩落

地下施設崩落回です。

セリア、ミュール、イリス、それぞれの役割が動き始めます。


 床が割れた。


 赤黒い光が、亀裂の奥から噴き上がる。

 それは炎ではない。

 魔力でもない。

 もっと粘ついた、命令の形をした光だった。


 見た瞬間、背筋が冷える。


 セリアの首元に残る所有者認証。

 ミュールの首輪の内側に刻まれた爪印。

 そして、イリスの拘束具を締めつけていた制御術式。


 全部が、同じ方向を向いている。


 人の意志を、外側から掴むための術式。


「離れろ!」


 セリアが叫んだ。


 割れた床の一部が沈み、貯水室全体が傾く。

 天井から石片が落ちた。


 ミュールが主任の手首を縛ったまま、跳ぶように後退する。

 若い魔導師は倒れたまま、赤黒い光を見て凍りついていた。


「そんな……下層陣は封鎖されていたはず……」


「知っていたのか」


 俺が問うと、若い魔導師は震える声で答えた。


「存在だけです。実験用の旧式術式だと聞いていました。でも、稼働するなんて」


 主任が床に押さえられたまま呻く。


「余計なことを……貴様らが封印を乱したせいで」


「違います!」


 イリスが叫んだ。


 その声は震えていた。

 だが、はっきりと主任へ向いていた。


「下層陣は、私の魔力を受けて起動するように繋がれていました。封印が乱れたからじゃありません。最初から、私を鍵にしていたんです」


 主任の顔が歪む。


 答えない。

 答えないことで、十分だった。


 貯水室の床に走る魔法陣が、次々に赤黒く染まる。

 紫の暴走魔力と、赤黒い刻印術式が絡み合い、互いに食い合っている。


 このままでは爆発では済まない。


 地下施設全体が崩れる。


「出口は」


 セリアが短く聞く。


「来た道は危ない」


 ミュールが答える。


「匂いが変。石が落ちてる」


「別の道は」


「水の匂い。古い排水路。狭い」


 俺は壁の水路図を思い出す。

 北区の旧排水路。

 今は使われていないが、昔は外の用水路へ繋がっていたはずだ。


「イリス、施設の構造は読めるか」


「魔力の流れなら。物理的な地図は、少しだけ」


「十分だ」


「十分じゃありません!」


 彼女は泣きそうな顔で叫んだ。


「私、まだ拘束具がついたままです。魔力を動かせばまた暴走します。動かなければ、下層陣に吸われます。どちらにしても」


「どちらにしても、じゃない」


 俺は彼女の前に膝をついた。


 床が揺れる。

 近くに石片が落ちる。


 怖くないわけがない。


 だが、ここで彼女を危険物として扱えば、魔塔と同じになる。


「イリス。今、君が一番この施設を読める」


「読めても、止められません」


「止めなくていい。逃げるために使う」


 イリスの目が揺れる。


「魔法を、逃げるために」


「そうだ」


「私は、壊すことしか」


「違う。さっき俺たちを助けた」


 彼女は唇を噛む。


 その間にも、赤黒い光は広がっていく。


 ミュールが主任を縛り上げ、杖を遠くへ蹴った。


「この人、置いていく?」


 主任の顔が青ざめる。


「貴様、私を誰だと」


「うるさい人」


 ミュールは淡々と言った。


 セリアが即答する。


「置いてはいかない。裁かれるべき者を、ここで死なせて終わりにはしない」


「重い」


「なら私が運ぶ」


 セリアは主任の襟首を掴み、片腕で引きずり起こした。

 主任が悲鳴を上げる。


「乱暴だぞ!」


「歩けるなら歩け」


 セリアは冷たく返した。


 若い魔導師は自力で立ち上がろうとして、足を滑らせた。

 ミュールが襟を掴んで支える。


「立って」


「す、すみません」


「謝るより歩く」


「はい」


 俺はイリスの拘束具を見る。


 完全に外す時間はない。

 だが、魔力の流れを固定している留め具だけなら緩められる。


「触れる」


 俺は先に言った。


「嫌なら言ってくれ」


 イリスは驚いたように俺を見た。


 こんな時に確認するのか、という顔だった。


「……嫌では、ありません。でも、危ないです」


「危ないことはもう知っている」


「変な人ですね」


「最近よく言われる」


 ミュールの耳がこちらを向いた。


「ミュールの言葉、移った」


「たぶんな」


 俺は拘束具へ工具を入れる。


 魔力が指先を刺す。

 熱い。

 針で骨を削られるような痛み。


 だが、術式の構造は見える。


 拘束具はイリスの魔力を押さえるだけではない。

 恐怖で魔力が跳ねた瞬間、その反応を増幅して下層陣へ流す仕組みになっている。


 最悪だ。


 暴走を防ぐ道具ではない。

 暴走を誘発し、利用する道具だ。


「レオン」


 セリアの声。


「長くはもたない」


 天井の亀裂が広がっていた。


「あと少し」


「それは信用してよい少しか」


「今回は本当に少しだ」


 留め具が外れた。


 イリスの肩が震える。

 だが、拘束具の青い光が弱まった。


「これで下層陣への吸い込みは少し鈍る」


「少し」


「今は少しで十分だ」


 イリスは小さく息を吸った。


「十分の使い方が雑です」


「よく言われる」


「でしょうね」


 その返しに、ほんの一瞬だけ彼女の声が落ち着いた。


 俺は立ち上がる。


「イリス、出口を探す。魔力の流れで見えるか」


 彼女は目を閉じた。


 指先から火花が散る。

 セリアが盾を少し上げる。

 ミュールも身構える。


 だが、火花は暴れなかった。


 細い糸のように伸び、貯水室の壁をなぞる。


「右奥」


 イリスが言った。


「水が流れていた跡があります。石壁の向こうに古い排水路。ですが、壁が厚いです」


「壊せるか」


「私がやると、全体が崩れます」


「俺が脆いところを探す。セリアが割る。ミュールが先を見る」


「私は」


「流れを抑える」


 イリスが息を止めた。


「私が」


「君が」


 彼女は怖がっている。

 当然だ。


 でも、逃げるには彼女の力がいる。

 それを言わずに守るだけでは、彼女を危険物扱いしているのと同じだ。


「できるか」


 イリスは震えながら、しかし頷いた。


「理論上は可能です」


「ならやろう」


 右奥の壁へ走る。


 床の亀裂から赤黒い光が腕のように伸び、足首へ絡もうとした。


 セリアが盾で叩き潰す。


「気味の悪い術式だ」


「命令の形をしてる」


 ミュールが言った。


 彼女は若い魔導師を押しながら走る。

 主任はセリアが半ば引きずっている。


 俺は壁に手を当てた。


 水分。

 亀裂。

 石の積み方。

 古い補修跡。


 鍛冶師ではなく、石工の感覚が欲しいところだが、ないものは仕方ない。

 雑用係時代に城壁の簡易補修を手伝った記憶を引っ張り出す。


「ここだ」


 俺は壁の一点を指した。


「セリア、剣じゃなく盾で。押し割る」


「了解」


 セリアが盾を構える。


 イリスが後ろで両手を上げた。

 拘束具が鳴る。


 彼女の魔力が広がり、赤黒い光の流れを一瞬だけ押し返す。


「今です!」


 セリアが踏み込んだ。


 盾が壁にぶつかる。


 一度目。

 石が鳴る。


 二度目。

 亀裂が走る。


 三度目。

 壁が崩れた。


 湿った風が流れ込む。


 奥に狭い排水路があった。


「ミュール!」


「見る」


 彼女は先へ滑り込む。

 数呼吸後、戻ってきた。


「狭い。水あり。外の匂いもある。通れる」


「行くぞ」


 俺たちは排水路へ入った。


 順番はミュール、若い魔導師、イリス、俺、主任を引きずるセリア。

 狭い。

 膝まで冷たい水がある。

 天井が低く、セリアは盾を斜めにしなければ通れない。


 背後で貯水室が崩れ始めた。


 石の落ちる音。

 魔力の唸り。

 赤黒い光が水面に映る。


 イリスが立ち止まりかけた。


「私が後ろに残れば」


「却下」


 俺は即答した。


「でも」


「命令じゃない。反対意見だ」


「聞かなくてもいい?」


「聞かなかったら怒る」


 イリスが目を瞬かせた。


 後ろでミュールが言う。


「レオンの怒るは、首輪を焼かない」


「え」


「食事も減らさない」


「何の話ですか」


「安全」


 説明になっていない。


 だが、イリスは一瞬だけ呆気に取られた。

 その一瞬で、恐怖の硬直が解けた。


「走れ!」


 セリアが叫ぶ。


 背後から風が来た。

 爆風ではない。

 魔力が水路の空気を押し出している。


 ミュールが前方の鉄格子へ飛びつく。


「錆びてる。でも固い」


「どけ」


 セリアが主任を床へ転がし、盾を構えた。


「また盾ですか」


 イリスが思わず言う。


「盾は守るだけの道具ではない」


 セリアは短く答え、鉄格子へ盾を叩きつけた。


 一撃。

 二撃。


 錆びた留め具が外れる。


 三撃目で、格子が外へ倒れた。


 外の空気が流れ込む。


 夜ではない。

 まだ昼だ。

 だが、地下から出たせいで、陽の光が眩しい。


 ミュールが若い魔導師を押し出す。

 俺がイリスの手を取ろうとして、途中で止める。


「掴んでいいか」


 イリスは一瞬だけ迷い、頷いた。


「はい」


 俺は彼女の手を掴み、外へ引き上げた。


 細い手だった。

 熱い。

 だが、焼けるほどではない。


 最後にセリアが主任を外へ放り出し、自分も水路から出る。


 直後、地下で轟音が響いた。


 地面が揺れる。

 倉庫街の石畳の隙間から紫と赤黒い光が噴き出し、すぐに消えた。


 旧排水路の入口が崩れる。


 土煙。

 悲鳴。

 遠くから駆け寄る足音。


 俺は膝をつき、息を吐いた。


 生きている。


 全員、生きている。


「レオン」


 セリアが俺の腕を見た。


 指先から手首にかけて、皮膚が赤く焼けている。


「浅い」


 俺が言うと、セリアは無言で睨んだ。


「浅くない」


 ミュールも俺の手を嗅いで言う。


「焦げてる」


「あとで処置する」


「今」


 二人同時に言われた。


 俺は逆らうのをやめた。


 イリスがその場に座り込んでいた。

 肩で息をしている。

 拘束具はまだついたまま。

 ローブも破れ、顔色も悪い。


 だが、彼女の瞳は地下へ向いていた。


「私」


 小さな声。


「また、壊した」


「違う」


 俺は即座に言った。


「今日は逃げ道を作った」


 イリスがこちらを見る。


「でも、施設が」


「崩れた。だが、俺たちは出られた。斥候も助かった。若い魔導師も、あの主任も生きている」


 主任は地面に転がったまま呻いていた。

 正直、元気そうで何よりとは言いにくい。


 若い魔導師が、震えながらイリスへ頭を下げた。


「イリスさん」


 イリスがびくりとする。


「ごめんなさい」


「え」


「僕は、主任の命令に従っていました。あなたを危険物だと記録する書類にも署名しました。でも、今の下層陣は……あれは、あなたの暴走じゃない」


 主任が顔を上げる。


「黙れ」


 若い魔導師は震えた。

 それでも、今度は黙らなかった。


「黙りません。あの陣は被験者の魔力を使って古代術式を起動する構造です。事故ではありません。実験です」


 周囲の冒険者たちがざわめく。


 マルタが駆け寄ってきた。

 彼女は一瞬だけ惨状を見て、すぐに帳面を開いた。


「今の証言、もう一度お願いします」


「え」


「記録します。できれば署名も」


 若い魔導師は青ざめた顔で頷いた。


 主任が怒鳴る。


「貴様ら、魔塔を敵に回すつもりか!」


 ロープが飛んだ。


 ミュールが主任の口元を縛る。


「うるさい人は、少し静かにして」


 セリアは止めなかった。


 俺も止めなかった。


 イリスだけが、呆然とその光景を見ていた。


「どうして」


 彼女は俺に尋ねる。


「どうして、私を責めないんですか」


「責める理由がない」


「私は、危険です」


「危険だ」


 俺は否定しなかった。


 イリスが息を止める。


「でも、危険物ではない」


 俺は続けた。


「危険な力を持つ魔導師だ。なら、力の扱い方を一緒に考える」


 イリスの瞳が揺れる。


 泣きそうな、怒りそうな、信じたいのを怖がっているような顔。


「私にも」


 彼女は両手の拘束具を見た。


「まだ、できることがあるんでしょうか」


「ある」


 俺は答えた。


「さっき、君が自分で証明した」


 その時、崩れた旧排水路の奥から、赤黒い光が一筋だけ空へ伸びた。


 細く、遠く、王都の方角へ。


 イリスの顔色が変わる。


「今のは」


「何だ」


 彼女は震える声で言った。


「起動信号です。地下の陣は壊れました。でも、どこかへ起動したことを知らせました」


 空へ消えた赤黒い光。


 その先にあるのは、魔塔か。

 王都か。

 それとも、もっと深い場所か。


 俺は焼けた手を握りしめた。


 イリス救出は、終わりではなかった。


 何かが、こちらに気づいた。


イリスは、自分の力で誰かを傷つけるだけではなく、誰かを助けることもできると知りました。

けれど救出は終わりではなく、何かがこちらに気づいたところから次の問題が始まります。

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