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第026話 魔塔から来た危険物

暴走魔導師イリス編の始まりです。

ミュール加入後のレオンたちが、今度は魔塔絡みの事件へ踏み込んでいきます。

 朝のギルドは、血の匂いで始まった。


 扉を開けた瞬間、いつもの酒と革と汗の匂いに混じって、焦げた薬草のような臭いが鼻を刺した。


 受付の前に、担架が二つ。

 冒険者らしい男が一人、肩から胸にかけて包帯を巻かれている。

 もう一人は、腕の皮膚が赤黒く腫れていた。


 火傷ではない。


 魔力焼けだ。


「レオン」


 セリアが低く呼ぶ。


「ああ」


 俺は頷いた。


 魔物にやられた傷ではない。

 剣でも爪でも毒でもない。

 魔力が体表を走り、内側から焼いた痕だ。


 ミュールは俺の半歩後ろで耳を伏せている。

 昨夜の戦闘の疲れは残っているはずだが、もう足音を殺している。

 彼女の視線は担架の負傷者ではなく、ギルドの隅に立つ二人組へ向いていた。


 黒い外套。

 銀の杖紋。

 胸元に塔をかたどった徽章。


「魔塔」


 ミュールが短く言った。


 セリアの目が細くなる。


「王都魔塔の者か」


「たぶん」


 ミュールの鼻先がわずかに動く。


「薬品。鉄。焦げた紙。嘘は多い」


「最初から嫌な情報だな」


 俺が呟くと、受付のマルタがこちらに気づいた。


 彼女はいつもの事務的な顔をしていたが、眼鏡の奥の目だけが疲れている。


「ちょうどよかったです、レオンさん」


「嫌な予感しかしない呼ばれ方ですね」


「正解です」


 マルタは即答した。


 そのやり取りに、セリアが小さく息を吐く。

 ミュールは「正解なのに嬉しくなさそう」と呟いた。


 マルタは机の上に依頼書を置く。


「北区の旧排水路で魔力暴走が発生しました。調査に入った冒険者三名のうち二名が負傷、一名が行方不明です」


「魔物ですか」


「不明です。ただし、現場から拘束具の破片と魔塔式の封印札が見つかっています」


 黒い外套の二人組が、こちらを見た。


 俺は視線を戻さず、依頼書を見る。


 旧排水路。

 十年前に使われなくなった地下水路。

 現在は倉庫街の下に一部だけ残っている。

 最近、夜に紫色の光が漏れるという通報。

 調査隊が入った直後、爆発音。


 そして魔力焼け。


「魔塔の人たちは何と」


 マルタの口元が、ほんのわずかに歪んだ。


「危険物の処理、と」


 その言葉で、空気が変わった。


 セリアの手が盾の革紐に触れる。

 ミュールの耳が低く倒れる。


 危険物。


 人に対して使う言葉ではない。


 だが、魔塔の外套を着た男は、当然のように前へ出てきた。


「失礼。あなたがレオン・グランヴィルか」


「そうですが」


「噂は聞いている。呪い付き聖騎士と獣人暗殺者を従えている雑用係だそうだな」


 ギルド内の視線が集まる。


 セリアが一歩前へ出かけた。

 俺は手で制す。


「従えてはいません」


「では何だ」


「仲間です」


 男は鼻で笑った。


「言葉遊びだな」


「言葉の扱いが雑な人に言われたくはないですね」


 マルタが書類で口元を隠した。

 たぶん笑ったのではなく、ため息を隠したのだと思う。


 魔塔の男は不快そうに眉を寄せる。


「我々は魔塔管理局の者だ。旧排水路に逃げ込んだ研究資産の回収に来た」


「危険物ではなく、今度は研究資産ですか」


「どちらでも同じだ」


「同じではない」


 セリアの声が低く響いた。


 男は彼女を見る。


「元聖騎士が口を挟むことではない」


「人を物と呼ぶ者に、騎士であるかどうかを問われる筋合いはない」


 ギルド内がざわめいた。


 男の隣にいた若い魔導師が、慌てて口を挟む。


「主任、今は急ぎましょう。封印がもたなければ、北区まで被害が広がります」


 主任と呼ばれた男は舌打ちした。


 その一言で、俺は依頼書の見方を変えた。


 回収。

 処理。

 危険物。


 だが、封印がもたない。

 つまり、向こうも完全には制御できていない。


「マルタさん」


「はい」


「行方不明者は」


「若い斥候です。旧排水路の地図に詳しい子で、案内役として入っていました」


 ミュールの耳が動く。


「匂いが残っていれば追える」


「無理はするなよ」


 俺が言うと、彼女は俺を見た。


「怒る?」


「倒れるまで無理したら怒る」


「わかった」


 短い返事。

 だが、命令ではなく確認として受け取っている。


 セリアが盾を持ち直す。


「人命救助なら、行く理由は十分だ」


「ああ」


 俺は依頼書を受け取った。


 魔塔の主任が冷たく言う。


「邪魔はするな。対象は不安定だ。接触すれば、君たちも焼ける」


「対象の名前は」


「必要ない」


「俺には必要です」


 主任は答えなかった。


 代わりに、若い魔導師が小さく呟く。


「イリス・ヴェルメリア」


 主任が彼を睨む。


 若い魔導師は顔を伏せた。


 俺はその名を覚えた。


 イリス。


 危険物でも研究資産でもなく、名前がある。


 旧排水路の入口は、北区の倉庫街にあった。


 昼間だというのに、その一角だけ人がいない。

 木箱が積まれ、古い石畳の隙間から湿った臭いが上がっている。


 入口には魔塔の封印札が何枚も貼られていた。

 だが、そのうち三枚は端が焦げ、紫色の火花を散らしている。


「近いな」


 俺は封印札を見て呟いた。


 セリアが問う。


「何がだ」


「魔力が暴れている。外へ漏れ始めている」


 ミュールは入口の前にしゃがみ、鼻先を動かした。


「血。焦げた布。男の匂い。一人、奥へ引きずられてる」


「生きているか」


「わからない。でも、死体の匂いは薄い」


「なら急ぐ」


 魔塔の主任は杖を掲げる。


「我々が先導する」


「いいえ」


 マルタがいつの間にか後ろにいた。

 息を切らしている。

 走ってきたらしい。


「この依頼はギルド管理です。救助対象がいる以上、冒険者側が救助判断を優先します。魔塔の回収権限はその後です」


 主任の顔が歪む。


「受付ごときが」


「受付ですので、手続きにはうるさいですよ」


 マルタは眼鏡を押し上げた。


「レオンさん。行ってください。報告書の文面はこちらで何とかします」


「助かります」


「死なれると登録抹消が面倒ですから」


「いつもの理由ですね」


「ええ。とても大事です」


 俺たちは旧排水路へ入った。


 地下は湿っていた。

 壁には古い苔。

 水路には濁った水。

 足音が反響し、距離感が狂う。


 だが、それ以上に厄介なのは魔力だった。


 空気そのものが熱を持っている。

 火ではない。

 雷でもない。

 複数の属性がぶつかり合い、行き場をなくしている。


「気持ち悪い」


 ミュールが短く言う。


「匂いが多すぎる?」


「色の匂いがする」


「それは俺にはわからないな」


「紫。赤。焼けた甘い匂い」


 セリアが周囲を警戒しながら言う。


「魔力に色があるのか」


「ある。たぶん」


 俺は壁の封印札を見る。


 魔塔式。

 制御ではなく抑圧。

 流れを整えるのではなく、上から押し潰している。


 だから、漏れた魔力が暴れる。


「ひどいな」


「術式がか」


「術式も、考え方も」


 俺は指先で壁に触れた。

 熱い。

 だが、火傷するほどではない。


 《鑑定士》の感覚で流れを見る。

 《魔導師》の感覚で性質を読む。

 《錬金術師》の感覚で反応を分ける。

 《治癒師》の感覚で、魔力焼けが人体に与える負荷を想像する。


 頭の奥がきしむ。


 マルチジョブを同時に重ねすぎると、視界がちらつく。


「レオン」


 セリアがすぐに気づいた。


「大丈夫だ」


「それは信用しきれない返答だ」


「じゃあ、まだ動ける」


「余計に信用できない」


 ミュールが俺の袖を引いた。


「こっち」


 細い通路へ入る。

 床に血が落ちていた。

 少量。

 新しい。


 壁には爪痕のような焦げ跡がある。

 魔物の爪ではない。

 魔力の奔流が壁を削った痕だ。


 通路の奥から、うめき声が聞こえた。


 行方不明の斥候は、崩れた石材の下に挟まれていた。

 意識はある。

 片足を負傷しているが、命に関わるほどではない。


「助けに来た」


 俺が声をかけると、彼は血の気の引いた顔でこちらを見た。


「奥に……女が」


「イリスか」


「名前は知らない。でも、拘束具をつけてた。俺を見て、逃げろって……自分に近づくなって」


 セリアが石材を持ち上げる。

 俺は斥候の足を固定し、痛み止めを飲ませた。


 ミュールが通路の奥を見る。


「まだいる」


「追えるか」


「追う。けど、変」


「何が」


「逃げたい匂いと、逃げたくない匂いが同じ場所にある」


 その表現で、俺は何となく理解した。


 逃げたい。

 でも、自分が外へ出れば誰かを傷つける。

 だから奥へ戻る。


 そういう動きだ。


「セリア、彼を入口まで」


「一人で奥へ行く気か」


「まさか。ミュールと行く」


「それも却下だ」


 セリアは即答した。


「彼を安全な曲がり角まで運ぶ。そこから先は、私も行く」


「助かる」


「貴殿は本当に、放っておくと自分を数に入れない」


「最近よく言われる」


「言われるだけのことをしている」


 斥候を安全な位置へ移し、俺たちはさらに奥へ進んだ。


 封印札の数が増える。

 だが、どれも焦げている。

 壁の水分が蒸発し、霧のように通路を満たしていた。


 その奥で、紫色の光が脈打っている。


 一度。

 二度。

 三度。


 心臓の鼓動のように。


 ミュールが耳を伏せた。


「泣いてる」


「誰が」


「魔力」


 俺は返事ができなかった。


 大きな貯水室に出た。


 天井は高く、中央に干上がった水槽がある。

 その周囲に、魔法陣が何重にも刻まれていた。


 魔塔式の拘束陣。

 移送用の封印。

 魔力吸収の管。


 そして、その中心に女がいた。


 赤紫色の長い髪。

 拘束具で固定された両手首。

 首元には、奴隷首輪とは違う金属の輪。

 黒と葡萄色の破れたローブ。


 年は俺たちとそう変わらない。


 彼女は膝をつき、肩で息をしていた。

 指先から、小さな火花が散っている。

 紫水晶のような瞳が、ゆっくりこちらを向いた。


「来ないで」


 声はかすれていた。


 だが、はっきり聞こえた。


「お願いです。私に近づかないでください」


 彼女の背後で、魔法陣がひび割れる。


 紫の光が、一気に強くなった。


 セリアが盾を構える。

 ミュールが刃を抜く。

 俺は一歩前へ出た。


 女は震える唇で言った。


「次に暴走したら、この区画ごと吹き飛びます」


 その瞬間、天井の封印札がすべて燃え尽きた。


地下施設の奥にいたのは、危険物として閉じ込められていた赤紫髪の魔導師でした。

次回、レオンは彼女を封じるのではなく、魔導師として診ようとします。

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