第020話 戦友
セリア救出編の区切りとなる回です。
レオンとセリアの関係が、買い主と奴隷ではなく、戦友として形になります。
翌朝、セリアは自分の足でギルドへ向かった。
昨日の解呪で体力は削れている。
完全に回復したわけではない。
首元にはまだ薄い黒い蔦の跡が残っている。
それでも、歩き方が違った。
背筋は同じように伸びている。
だが、檻の中で自分を保つための硬さではない。
前へ進むための姿勢だった。
首輪は完全には外れていない。
黒鉄の輪は亀裂を残したまま、細い聖銀の緩衝輪で固定されている。
だが、奴隷契約の文字は焼き切れている。
所有。
服従。
罰。
それらはもう読めない。
ギルドの受付で、マルタが書類を用意していた。
「セリア・アルトレインさん」
その呼び方に、セリアの瞳が少しだけ揺れた。
「はい」
「昨日の解呪処理と、奴隷契約文字の消失を確認しました。ラグノール冒険者ギルドでは、あなたを奴隷身分の同行者ではなく、自由身分の仮登録冒険者として扱います」
周囲がざわめいた。
首輪付きの元聖騎士。
呪い付きの罪人奴隷。
そう見ていた者たちの視線が変わる。
もちろん、すべてが好意ではない。
疑いもある。
好奇もある。
だが、値踏みする視線ではなくなった。
「異議はありますか」
マルタが確認する。
セリアは少しだけ息を吸った。
「ない」
「では仮登録証を」
銅色の小さな証が差し出される。
セリアはそれを受け取った。
奴隷番号ではない。
自分の名前が刻まれた証。
彼女はしばらく、それを見つめていた。
周囲の冒険者たちは、最初こそざわついていた。
だが、マルタが一度だけ受付台を指で叩くと、騒ぎは少しずつ収まった。
「ギルド内での身分侮辱、奴隷契約の強要、所有権を騙る発言は禁止です」
マルタの声は淡々としていた。
「違反者は罰金。悪質な場合は依頼停止。質問は?」
誰も手を上げなかった。
彼女は眼鏡の奥から全員を見回し、最後にセリアへ視線を戻す。
「あなたが自由身分として扱われる以上、あなた自身にも責任が発生します。依頼失敗時の負債、装備破損の弁償、ギルド規約違反の罰則。すべて本人名義です」
「望むところだ」
セリアは即答した。
マルタの口元が、ほんの少しだけ緩んだ気がした。
「では、ようこそ。ラグノール冒険者ギルドへ」
「正式登録には、戦闘適性と依頼実績の確認が必要です」
「承知した」
「なお、昨日までの同行責任者はレオンさんでしたが、今後は対等なパーティ登録に切り替えられます」
マルタがこちらを見る。
「どうしますか」
俺はセリアを見た。
「君が決めてくれ」
セリアは少しだけ眉を寄せた。
「私が?」
「そうだ」
「貴殿が買い戻したのだろう」
「だからこそ、俺が決める話じゃない」
周囲の冒険者たちが聞き耳を立てている。
セリアはしばらく黙った。
そして、静かに言った。
「パーティ登録を望む」
俺は頷く。
「俺もだ」
マルタは書類に羽根ペンを走らせた。
「パーティ名は」
そこまでは考えていなかった。
俺とセリアは顔を見合わせる。
「名前がいるのか」
「必要です。空欄では管理できません」
マルタらしい理由だった。
「では、仮でいい」
セリアが言う。
「解放者、という名は大きすぎる。今の私たちにはまだ早い」
「じゃあ」
俺は少し考えた。
「灰羽」
「灰羽?」
「燃えた後でも、羽ならまた飛べるかもしれない」
口にしてから、少し恥ずかしくなった。
セリアは俺を見た。
「悪くない」
「本当に?」
「少なくとも、雑用係よりはよい」
「それは比較対象が低すぎる」
マルタが淡々と書く。
「仮パーティ《灰羽》。構成員、レオン・グランヴィル、セリア・アルトレイン」
その瞬間、何かが一つ形になった気がした。
まだ二人だけ。
資金もない。
拠点もない。
セリアの呪印も残っている。
王都の刺客もいる。
それでも、これは俺たちの名前だ。
手続きを終えた後、俺たちはギルド裏の訓練場へ向かった。
セリアが望んだからだ。
その前に、彼女はギルドの掲示板を一度だけ見た。
昨日までそこにあった「同行者」の欄は消えている。
代わりに、仮登録冒険者として小さく名前が書かれていた。
セリア・アルトレイン。
罪人奴隷でも、商品番号でもない。
ただの名前。
彼女は指先でその文字に触れようとして、途中で手を止めた。
「触らないのか」
「消えそうでな」
「消えない」
「そうか」
彼女は手を下ろした。
「なら、見るだけでいい」
「昨日の解呪後に訓練は早い」
俺は言った。
「全力ではやらない。確認だけだ」
「その確認が怪しい」
「マルタにも同じことを言われた」
「なら私も信用がないのだな」
「自覚があるなら助かる」
訓練場には、古い木人が並んでいる。
セリアは盾を構えた。
昨日までより自然だ。
彼女はゆっくり踏み込み、剣を振る。
速くはない。
重くもない。
だが、剣筋がぶれない。
二度目。
三度目。
首元の呪印は反応する。
しかし昨日ほど強くない。
黒い蔦は薄く浮かぶだけで、彼女の膝を折るほどではなかった。
「どうだ」
俺が尋ねる。
「軽い」
「体が?」
「首が」
セリアは剣を下ろした。
「完全ではない。だが、誰かに後ろから鎖を引かれている感覚が薄い」
それは大きい。
「無理はするな」
「しない」
「本当に?」
「努力する」
「信用できない」
セリアは少しだけ笑った。
今度ははっきりとわかった。
笑った。
ほんの短いものだったが、それだけで訓練場の空気が変わった気がした。
「レオン」
「何だ」
「私は、貴殿に礼を言うべきなのだろうな」
「礼なら昨日聞いた」
「言っていない」
「顔に書いてあった」
「勝手に読むな」
彼女は剣を鞘に戻した。
「ありがとう」
まっすぐな言葉だった。
俺は返事に少し困った。
「どういたしまして、でいいのか」
「知らん。私も礼を言い慣れていない」
「じゃあ、受け取っておく」
「そうしてくれ」
その時、訓練場の入口から声がした。
「レオンさん、セリアさん」
マルタだった。
いつもより表情が硬い。
「奴隷市場に、新しい危険商品が入ったそうです」
嫌な言い方だった。
「危険商品?」
「獣人の暗殺者。銀灰色の髪と耳。首輪付きですが、買い主候補を三人負傷させたと」
セリアの表情が引き締まる。
「暗殺者か」
俺は昨日の金属札を思い出した。
王都からの刺客。
首輪に干渉する術式。
奴隷商会。
偶然と考えるには、タイミングが悪すぎる。
「見に行くのか」
セリアが問う。
「まだ買うとは言っていない」
「そうか」
「ただ、見る」
セリアは盾を腕に通し直した。
「なら、私も行く」
「休むんじゃなかったのか」
「確認だけだ」
「それは信用できない言葉だ」
彼女は少しだけ口元を上げた。
「お互い様だ、戦友」
戦友。
その言葉が、胸の中に静かに落ちた。
買い主でも主人でもない。
奴隷でも所有物でもない。
俺たちはまだ弱い。
まだ何も知らない。
それでも、並んで歩く名前を得た。
《灰羽》。
仮の名前だ。
きっと後で変えるかもしれない。
もっと仲間が増えれば、別の名が必要になるかもしれない。
だが今は、この名前でいい。
燃えた後に残る灰。
それでも飛ぼうとする羽。
追放された俺と、奴隷契約を焼き切ったセリアには、少しだけ似合っている気がした。
セリアは訓練場の出口で一度だけ振り返る。
「レオン」
「何だ」
「私は、まだ完全に自由ではないのだな」
「奥の認証が残っている」
「なら、完全に自由になるまで付き合え」
「命令か」
彼女は少し考えた。
「依頼だ」
「報酬は」
「私の背中を預ける」
十分すぎる報酬だった。
「受けた」
そう答えると、セリアは満足そうに頷いた。
俺は背嚢を手に取る。
「行こう」
セリアが頷く。
ギルドを出ると、昼のラグノールはいつも通り騒がしかった。
鉱山通りからは槌音。
市場からは値切りの声。
奴隷市場の方角からは、耳障りな呼び込みの声。
セリアの足が一瞬だけ止まった。
無理もない。
昨日まで、彼女はあちら側にいた。
檻の中にいて、値札をつけられ、買い主候補に眺められていた。
そこへ自分の足で戻る。
しかも今度は、誰かを見に行くために。
「無理なら、俺だけで行く」
俺が言うと、セリアは首を振った。
「無理ではない」
「本当に?」
「怖くないとは言っていない」
正直な言葉だった。
彼女は首元の亀裂入りの首輪に触れる。
「だが、私が檻の外に出られたのなら、他にも出られる者がいるかもしれない」
「暗殺者でも?」
「危険なら、なおさら見極める必要がある」
「騎士らしいな」
「今は冒険者だ」
セリアはそう言って、一歩を踏み出した。
奴隷市場へ向かう道は、昨日より短く感じた。
俺一人で歩いた時とは違う。
隣にセリアがいる。
首輪の亀裂を隠さず、盾を持ち、仮登録証を懐に入れている。
檻から出た者が、次の檻へ向かう。
それは復讐ではない。
同情だけでもない。
たぶん、確認だ。
自分たちが始めたことを、もう見なかったことにはしないという確認。
そして俺たちは、再び奴隷市場へ向かった。
檻の中で待つ銀灰色の少女が、やがて俺たちの旅をさらに厄介にすることを、この時の俺はまだ知らない。
セリアは自分の意志でレオンの隣に立つことを選びました。
そして二人は、次の檻へ向かいます。
次回から、銀灰色の獣人斥候ミュールの章が始まります。
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