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第019話 解呪の夜

セリアの呪いを解くため、レオン、セリア、ガレスが夜の工房で解呪に挑みます。

彼女が取り戻すのは力だけではありません。

 解呪は、夜に行うことになった。


 理由は単純だ。

 月光水の力が最も安定するのが、月の出ている時間だからだ。


 場所はガレス工房の奥。

 炉の火を落とし、代わりに小さな浄化灯を四隅へ置く。

 作業台の上には、聖銀草、月光水、浄化塩、聖銀の緩衝輪、銅線、ガレスの工具が並んでいた。


 セリアは椅子に座っている。

 白い簡素な上衣に着替え、首元の呪印が見えるようにしていた。

 黒い蔦は、昨日より薄い。

 だが消えてはいない。


「始める前に確認する」


 俺は言った。


「痛みが強ければ止める」


「止めるな」


「止める」


 セリアが俺を見る。


「命令か」


「約束を守るための条件だ」


 彼女は少しだけ黙り、やがて頷いた。


「わかった。だが、私も止めるべき時は言う」


「頼む」


 ガレスが鼻を鳴らした。


「始める前から面倒な会話だな」


「大事な確認です」


「わかってる。だから言ってんだ」


 マルタも工房の隅にいる。

 ギルド記録上は、彼女は立会人ではない。

 ただ、万一の時に治療院へ走る役と、必要な薬材を記録する役を引き受けてくれた。


「私は何をすればいいですか」


 セリアが問う。


「逃げないこと」


 俺が答えると、彼女はわずかに眉を寄せた。


「それだけか」


「痛みからも、記憶からも、命令からも。逃げるなという意味じゃない。戻ってこいという意味だ」


 セリアは目を伏せた。


「難しいな」


「俺もそう思う」


 俺は聖銀の緩衝輪を手に取る。

 ガレスが一晩で作ったものだ。

 細く、柔らかく、しかし簡単には切れない。

 首輪と肌の間に挟み、首輪が縮む力を逃がす。


「まず緩衝輪を入れる」


 ガレスが低く言う。


「レオン、お前は魔力線を見ることに集中しろ。金属の締まりは俺が見る」


「はい」


 セリアの首輪へ触れる。

 冷たい。


 彼女の肩がわずかに揺れる。


「触れる」


「もう触れている」


「次から先に言う」


「今ので十分だ」


 短いやり取りで、少しだけ緊張が緩んだ。


 俺は緩衝輪を首輪の下へ差し込む。

 ガレスが細い工具で角度を調整する。


 黒い蔦が反応した。


 セリアの指が椅子の肘掛けを掴む。


「痛みは」


「まだ耐えられる」


「耐えるだけじゃなく、言え」


「……痛い」


「わかった」


 俺は月光水を浸した布を呪印の端へ当てる。

 白い光が淡く広がる。


 次は契約線。


 奴隷契約の文字は首輪の表層にある。

 所有。

 服従。

 罰。

 譲渡。


 その下に、封印。

 証言遮断。

 聖印剥奪。


 さらに奥に、所有者認証。


 そこへ触れた瞬間、世界が反転した。


 工房の音が遠ざかる。

 炉の匂いも消える。


 俺は王都の広場に立っていた。


 いや、俺ではない。


 セリアの記憶だ。


 白銀の鎧。

 王弟殿下の馬車。

 民衆の歓声。

 聖騎士団の隊列。


 セリアは警護位置に立っている。

 剣には手をかけていない。

 視線は群衆。

 転びかけた子供。

 それを押し戻す。


 俺は、その光景に見覚えがあった。


 王都の式典。

 人混みの端で荷物を抱えていた俺が、遠くから見た騎士の背中。

 あの時、セリアは確かに子供を守った。

 剣を抜くより先に、人を守るために動いた。


 つまり、この記憶は作られたものではない。

 少なくとも、ここまでは真実だ。


 その事実が、解呪の糸口になる気がした。


 その直後、王弟殿下が倒れた。


 悲鳴。

 毒だ、という声。

 誰かが叫ぶ。


「セリアが剣を抜いた!」


 違う。

 抜いていない。


 セリアは叫ぼうとする。

 だが声が出ない。


 喉元が熱い。

 黒い蔦が首を締める。


 視界の端で、白と青の法衣が揺れた。

 顔は見えない。

 ただ、指輪の光だけが見える。


 契約文字。

 証言遮断。


 さらに、別の声があった。


 女の声だ。

 穏やかで、祈るような声。


「秩序のために、証言を閉じなさい」


 その言葉と同時に、セリアの喉が焼ける。

 言いたいことがある。

 抜いていない。

 毒など塗っていない。

 私は守ろうとした。


 だが、声にならない。


 周囲の騎士たちの目が逸れる。

 誰も彼女を見ない。

 見てしまえば、信じなければならなくなるからだ。


 その孤独が、呪印より深く刺さった。


 セリアの記憶が痛みで歪む。


「レオン!」


 ガレスの声で現実へ戻った。


 セリアが苦しんでいる。

 首輪が縮もうとしていた。


「緩衝輪、持ってる! だが長くは保たん!」


 ガレスが叫ぶ。


 俺は息を吸い、月光水を追加する。

 聖銀草の葉を潰し、呪印の流れへ乗せる。


 壊すな。

 押さえるな。

 逃がせ。


 セリアの力を鎖から戻す。


「セリア!」


 俺は名前を呼んだ。


 彼女の目が開く。

 青い瞳が揺れている。


「君は剣を抜いていない」


 言葉にした瞬間、黒い蔦が大きく脈打った。


「君は裏切っていない」


 セリアの唇が震える。


「私は……」


「言え」


 命令ではない。

 願いだ。


 セリアは奥歯を噛み、痛みの中で声を絞り出した。


「私は、王弟殿下を殺そうとしていない」


 工房の空気が震えた。


 証言遮断の術式がひび割れる。


 黒い蔦の一部が灰になって剥がれた。


 ガレスが叫ぶ。


「今だ、契約線を切れ!」


 俺は銅線を首輪の表層へ当てる。

 奴隷契約の文字が光る。


 所有。

 服従。

 罰。


 どれもいらない。


 俺は魔力を流す。

 白、金、緑、銀。

 複数の職能の感覚が重なる。

 だが、もう名前に惑わされない。


 これは支配のための力ではない。

 彼女を彼女へ返すための力だ。


 首輪が裂けるような音を立てた。


 ガレスが緩衝輪を押さえる。

 マルタが浄化塩を投げる。

 白い光が首元を包む。


 そして、黒鉄の首輪に亀裂が入った。


 一つ。

 二つ。

 三つ。


 完全には砕けない。

 だが、奴隷契約の文字は焼き切れた。


 セリアの体から、長い息が漏れる。


 黒い蔦の呪印も、半分ほど薄くなっていた。

 根は残っている。

 所有者認証も奥に残っている。


 それでも、首輪の表層にあった「所有」は消えた。


 セリアは震える手で、自分の首に触れた。


「外れた、のか」


「全部ではない」


 俺は正直に言う。


「でも、奴隷契約は切れた」


 セリアは目を閉じた。


 涙は出ていない。

 ただ、肩が小さく震えている。


「そうか」


 それだけだった。


 ガレスが工具を置き、深く息を吐く。


「ひでえ仕事だった」


「ありがとうございました」


「礼は完成してから言え。奥の古い認証は残ってる」


「わかっています」


 マルタは静かに記録を閉じた。


「少なくとも、ギルド上は彼女を奴隷として扱う必要はなくなります。正式な身分処理は明日します」


 セリアが目を開ける。


「私は、もう奴隷ではないのか」


 マルタは少しだけ考え、はっきり言った。


「少なくとも、この町のギルドはそう扱いません」


 セリアは俺を見た。


 俺は頷く。


「まだ全部終わっていない。でも、一つは終わった」


 セリアは椅子の背にもたれた。


 その顔は疲れ切っていた。

 だが、檻の中で見た冷たさとは違う。


 痛みの奥に、確かに光が戻っている。


 マルタが水を差し出す。

 セリアは両手で受け取った。

 その手は震えている。


 水面が小さく揺れた。


「手が、震える」


 セリアが呟く。


「当然だ」


 俺は答えた。


「怖かったんだ。痛かったんだ。震えていい」


「騎士は」


「騎士でも震える」


 言い切ると、セリアは少しだけ目を見開いた。


「貴殿は、騎士ではないのに」


「騎士じゃないから言える」


 ガレスが作業台の向こうで鼻を鳴らした。


「震えねえ奴は、道具の扱いを間違える。怖さを知らん奴が一番危ねえ」


 マルタも静かに頷いた。


「少なくとも、ギルドでは恐怖を申告できる冒険者のほうが長生きします」


 セリアは水を見つめた。


 やがて、一口飲む。


 それだけの動作に、妙な重みがあった。


 彼女はもう、痛みを隠して黙るだけではない。

 震える手で水を受け取り、飲むことができる。


 それもまた、戻ってきたものの一つなのかもしれない。


「レオン」


「何だ」


「私は、声を出せた」


「ああ」


「なら、次は剣も戻る」


 彼女の声は弱い。

 だが、折れていなかった。


 解呪の夜は終わった。


 すべてが解決したわけではない。

 むしろ、奥に残った所有者認証は、もっと大きな闇の入口だ。


 それでも今夜、セリアは自分の声を取り戻した。


 それは、どんな勝利よりも確かな第一歩だった。


 工房を出る頃、月は高かった。


 セリアは俺の肩を借りず、自分で歩いた。

 歩幅は小さい。

 何度か足元が揺れた。


 それでも彼女は自分で歩いた。


 宿へ戻る道で、彼女は空を見上げた。


「月が、こんなに明るいとは思わなかった」


「奴隷市場からは見えなかったか」


「檻の中からも見えた。だが、見ようと思わなかった」


 彼女は少しだけ息を吐く。


「今は、見える」


 それはただの月の話ではないのだろう。


 俺は何も言わず、隣を歩いた。


 言葉にしなくていいこともある。


 今夜は、それでよかった。


 解呪の夜は、静かに明けようとしていた。


黒い蔦の呪印は砕け、セリアは自分の目で前を見ることができるようになりました。

次回、彼女は奴隷ではなく戦友として、レオンの隣に立ちます。

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