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第140話 彼女たちは自分で帰ってきた

 五人が、俺の前に戻ってきた。


 セリアは盾を持っている。


 ミュールは短剣を下ろしている。


 イリスは観測板を抱えている。


 ロゼッタは帳簿を閉じている。


 ナギは刀を鞘に納めている。


 全員、傷だらけだった。


 息も荒い。


 立っているだけで限界に近い。


 それでも、五人は俺の前にいた。


 命令で戻ったのではない。


 俺が命令で戻したのでもない。


 五人が、自分で帰ってきた。


「俺が助けた」


 そう言いそうになって、やめた。


 違う。


 俺は呼んだ。


 命令しなかった。


 隣に立とうとした。


 だが、戻ってきたのは五人自身だ。


 セリアが盾を床についた。


「私は、私の誓いで戻った」


 ミュールが俺の服をまだ少し掴んだまま言う。


「ミュール、名前で戻った」


 イリスは観測板を胸に抱く。


「私は、恐怖を消さずに戻りました」


 ロゼッタが帳簿を軽く叩く。


「私は、同意しない契約を破棄して戻りました」


 ナギは短く言う。


「帰る場所へ戻った」


 その言葉が、封印室に静かに広がる。


 俺の胸が熱くなった。


 痛みもある。


 血も流れている。


 それでも、胸の奥にあるものは安堵だった。


 エルヴィアは五人を見ていた。


 理解できないものを見る目だった。


「命令がなければ、人は戻れません」


 彼女は呟く。


「恐怖に負けます。痛みに負けます。自分に都合のよい逃げ道を選びます」


「負けることもある」


 俺は言った。


「でも、戻ることもある」


「偶然です」


「違う」


 セリアが言う。


「選択だ」


 ミュールが頷く。


「帰る、選んだ」


 イリスが続ける。


「怖かったからこそ、手順を選びました」


 ロゼッタが言う。


「不利益を理解した上で、拒否しました」


 ナギが短く締める。


「開けない、選んだ」


 エルヴィアの表情が揺れる。


 彼女は弱者を信じていないわけではない。


 弱者が壊れることを知りすぎている。


 だから、壊れる前に管理しようとした。


 だが今、目の前で五人が戻った。


 壊れなかったからではない。


 傷つきながら、壊れかけながら、それでも戻った。


 その事実が、彼女の理屈を揺らしている。


「一例です」


 エルヴィアは言う。


「全ての人がそうできるわけではありません」


「そうだな」


 俺は頷く。


「全員ができるとは言わない」


「なら」


「だから、命令じゃなく支えが要る」


 封印室の外から、また声が届く。


 解放者の家。


 王都。


 魔塔。


 東方街道。


 聖都の路地。


 世界契約に揺さぶられた人々の声。


 助けて。


 怖い。


 嫌だ。


 分からない。


 それでも選びたい。


 その声は整っていない。


 綺麗でもない。


 だが、命令ではない。


 世界契約は、それを処理できずに白く明滅する。


 エルヴィアは奥の中枢へ手を向けた。


「ならば、全登録術式を強制再起動します」


 イリスの顔が強張る。


「中枢防壁が開きます。世界中の刻印を、もう一度まとめて同期するつもりです」


 ロゼッタが帳簿を開く。


「今度は個別命令ではありませんね。全契約の基礎を巻き戻すつもりです」


 ナギが刀へ手を置く。


「門、閉じた。でも本体、いる」


 セリアが盾を構える。


「なら、本体を止める」


 ミュールが短剣を握る。


「全部の線、噛み切る」


 俺の右手が熱を持った。


 マルチジョブ。


 世界契約が俺に与えようとした管理者権限の欠片。


 それが、まだ残っている。


 この力を使えば、世界契約の中枢へ触れられる。


 だが、管理者としてではない。


 壊すために。


 俺は五人を見る。


「たぶん、次で終わらせる」


 五人は黙って頷いた。


 止めない。


 だが、俺一人で行かせるつもりもない。


 その目を見れば分かった。


 世界契約の本体が、封印室の奥で白く脈打つ。


 全ての登録線が、再起動のために集まり始めた。


 俺は右手を握る。


 全ジョブを代償にしてでも、この檻を壊す。


 そう思った瞬間、五人の視線が同時に俺へ向いた。


 隠せないらしい。


 セリアが眉を寄せる。


「一人で背負う顔をしている」


「してない」


「している」


 ミュールが頷く。


「主人、悪い癖」


 イリスも観測板を見ずに言った。


「自己犠牲反応、かなり高いです」


 ロゼッタが帳簿を叩く。


「その契約は、私たちの同意を得ていません」


 ナギが短く言う。


「一人で行かない」


 俺は返す言葉を失った。


 五人は傷だらけだ。


 今ようやく命令から戻ったばかりだ。


 休ませたい。


 守りたい。


 その思いは本物だ。


 だが、それを理由に一人で中枢へ行けば、俺はまた同じことをする。


 五人の選択を、俺の優しさで奪う。


「分かった」


 俺は言った。


「一人では行かない」


 五人の表情が少しだけ緩む。


 その瞬間、世界契約の白い防壁が完成した。


 封印室の奥に、無数のジョブ名が浮かぶ。


 戦士。


 治癒師。


 鑑定士。


 錬金術師。


 聖職者。


 鍛冶師。


 薬師。


 支援者。


 俺が使ってきた力。


 俺をここまで運んできた力。


 それら全てが、世界契約の中枢へ繋がっている。


 イリスが息を呑んだ。


「レオンさんのマルチジョブは、世界契約の管理者権限の欠片です」


「だろうな」


「壊すには、たぶん」


 彼女は言いにくそうにする。


「その全部を、中枢へ返す必要があります」


 全ジョブを捨てる。


 その言葉が、まだ口に出す前から胸に落ちた。


 五人は何も言わない。


 ただ、隣に立っている。


 命令ではなく。


 同情でもなく。


 それぞれの意思で。


 俺はその横顔を見て、右手を開いた。


「次で、終わらせる」


 白い線が、俺の手へ集まり始めた。


 五人が横に並ぶ。


 その並びを見て、エルヴィアは小さく首を振った。


「なぜ、貴方たちは戻れるのです」


 誰に向けた問いなのか、彼女自身にも分かっていないようだった。


 セリアが答える。


「戻る場所があった」


 ミュールが続く。


「名前、呼ばれた」


 イリスが言う。


「怖いと言えた」


 ロゼッタが言う。


「拒否しても、関係が終わらなかった」


 ナギが言う。


「帰るって、決めた」


 エルヴィアは黙る。


 その答えは、制度にしにくい。


 数値化しにくい。


 管理者が一括で配れるものでもない。


 だから、彼女の世界契約には入っていなかった。


 関係。


 名前。


 恐怖を言える場所。


 拒否しても壊れない繋がり。


 帰ると決められる余地。


 そういう曖昧で、不安定で、手間のかかるものが、五人を戻した。


 俺は思う。


 解放者の家も、たぶん同じだ。


 完璧な保護区画ではない。


 喧嘩もある。


 失敗もある。


 明日の食事や仕事で悩む。


 それでも、命令ではなく帰れる場所だ。


 世界契約はそれを弱いと見る。


 俺たちは、それを必要だと知っている。


 だから次に壊すべきものも分かる。


 世界契約の本体。


 人を分類し、所有し、保護の名で固定する基礎術式。


 それを残したままでは、また誰かが同じことを始める。


 俺の右手に集まる白い線が、熱を増した。


 全ジョブ。


 全刻印。


 全登録。


 その全てへ触れられる手。


 その力を、支配ではなく破壊に使う。


 それが、次の選択だった。


 エルヴィアは俺の右手を見つめた。


「貴方は、その力を失えば何者でもなくなるかもしれません」


 静かな声だった。


「マルチジョブ。貴方が彼女たちを救い、家を守り、ここまで来た力です。それを捨てれば、貴方はただの青年になる」


 その言葉は、胸の奥に沈んだ。


 俺自身も、どこかで恐れていた。


 力があるから役に立てた。


 治せるから、直せるから、見抜けるから、戦えるから、隣にいられた。


 もしそれが全部消えたら。


 俺はまた、雑用係ですらない何者かに戻るのではないか。


 五人は、そんな俺を選ぶのか。


 言葉にする前に、セリアが言った。


「力があるから隣にいるのではない」


 ミュールが続く。


「便利だから、じゃない」


 イリスが観測板を抱きしめる。


「私を怖いまま見てくれたからです」


 ロゼッタが微笑む。


「契約条件としては、すでに十分以上です」


 ナギが短く言う。


「レオンだから」


 俺は息を吐いた。


 泣きそうになったのを、痛みのせいにする。


 五人が自分で帰ってきた。


 そして今、俺もまた、自分の力から降りる準備をしている。


 肩書きでも、ジョブでも、所有でもない場所へ。


 世界契約の本体が、最後の防壁を開く。


 次の選択は、俺の番だった。


 俺は五人を見る。


 彼女たちはもう、俺の後ろにはいない。


 全員、横にいる。


 傷つき、疲れ、息を乱しながら、それでも横に立っている。


 その並びが、この旅の答えだった。


 買った奴隷たちではない。


 命令で従う戦乙女でもない。


 自分で戻り、自分で立ち、自分で隣を選んだ五人。


 だから俺も、次の選択を自分で選ぶ。


 誰かに与えられた役割ではなく、俺自身の答えとして。最後まで行くんだ。



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