第141話 全ジョブを捨てる
白い線が、俺の右手へ集まっていく。
戦士。
治癒師。
鑑定士。
錬金術師。
聖職者。
鍛冶師。
薬師。
支援者。
これまで俺を支えてきた力の名が、次々と浮かび上がる。
便利な力だった。
追放された俺が生き残るための力。
セリアの盾を直し、ミュールの傷を見抜き、イリスの魔力を測り、ロゼッタの契約を読み、ナギの鍵印へ触れた力。
解放者の家を守るためにも、何度も使った。
その全てが、世界契約の中枢へ繋がっている。
イリスが観測板を見つめ、苦しそうに言った。
「レオンさんの《マルチジョブ》は、やっぱり管理者権限の欠片です」
「ああ」
「複数のジョブを扱えるのではなく、複数の登録線へ触れられる。だから、世界契約はレオンさんを管理者候補として認識した」
エルヴィアは静かに頷いた。
「その力があれば、世界を整えられます」
「整えない」
「では、何に使うのです」
俺は右手を見る。
白い線が掌に絡んでいる。
この力を使えば、命令できる。
救える。
守れる。
そして、支配できる。
「壊す」
俺は言った。
「世界契約を壊すために使う」
エルヴィアの表情が硬くなる。
「それは、自分の力を捨てるということです」
「分かってる」
「治癒も、鑑定も、支援も、戦闘も。貴方が積み上げた全てを失う」
言葉が胸に刺さる。
失う。
それは怖い。
力があるから、ここまで来られた。
力があるから、誰かの役に立てた。
その力を失った後、俺は何者になるのか。
雑用係ですらない、ただの青年か。
不安が顔に出たのだろう。
セリアが言った。
「レオン」
「分かってる」
「分かっていない顔だ」
こんな時でも、彼女の言い方は容赦がない。
俺は少し笑った。
セリアは盾を下ろさずに続ける。
「貴殿は、力があるから隣にいたのではない」
ミュールが俺の袖を掴む。
「便利だから、好きじゃない」
イリスが観測板を胸に抱いた。
「怖い私を、管理対象にしなかったからです」
ロゼッタが帳簿を閉じる。
「契約条件を言うなら、レオン様本人が主契約です。付帯能力は重要ですが、契約の本体ではありません」
ナギが短く言う。
「力、なくてもレオン」
その言葉だけで、右手の震えが少し収まった。
五人は止めない。
だが、一人で犠牲になれとも言わない。
隣に立っている。
それが、何より強かった。
「一人で背負うな」
セリアが言う。
「全ジョブを捨てるのは貴殿の選択だ。だが、その後の貴殿を支えるかどうかは、私たちの選択だ」
「重いぞ」
「望むところだ」
ミュールが頷く。
「主人、軽くない」
「そこは少し遠慮してくれ」
イリスが小さく笑い、ロゼッタも肩を揺らす。
ナギは真顔で言った。
「運ぶなら五人」
その言葉に、ようやく息ができた。
エルヴィアは理解できないという目で見ている。
「力を失った者は、守れません」
「守られることもある」
俺は答えた。
「それを覚えるのも、必要なんだろう」
右手を中枢へ伸ばす。
白い線が、俺の中へ入り込む。
全ジョブの感覚が一斉に開く。
戦士の筋肉。
治癒師の温度。
鑑定士の視界。
錬金術師の配合。
聖職者の祈り。
鍛冶師の金属音。
薬師の匂い。
支援者の位置取り。
全部が俺の中で光り、そして中枢へ流れ始める。
失う感覚は、痛みよりも寂しさに近かった。
ひとつひとつ、世話になった道具を手放すような感覚。
「ありがとう」
俺は小さく言った。
誰に向けてか、自分でも分からない。
だが、その言葉を言わずにはいられなかった。
白い線が世界中から集まる。
奴隷刻印。
勇者認定。
ジョブ固定。
貴族血統。
債務契約。
神域鍵。
全ての登録線が、俺の右手へ集まり始めた。
世界契約の中枢が、俺を管理者として迎え入れようとする。
俺は、その門をくぐらない。
入口で、全ジョブを手放す。
管理者になるためではなく。
管理者という仕組みごと壊すために。
中枢の白い光が、俺の決意を読んだように揺れた。
管理者候補、権限放棄。
異常行動。
自己価値の毀損。
補正を推奨。
そんな文字が、俺の視界に浮かぶ。
世界契約は、俺が力を手放すことを理解できないらしい。
力は保持するもの。
権限は行使するもの。
管理者は管理するもの。
その前提から外れた行動を、世界契約は異常として処理する。
「異常でいい」
俺は言った。
「この力を持ったまま正しくなろうとすれば、いつか誰かを命令する」
セリアが頷く。
「だから捨てるのか」
「捨てるというより、返す」
俺は白い線を見る。
「この力は、世界契約の欠片だった。俺のもののように見えて、ずっと制度の穴から流れてきたものだった」
便利だった。
救いにもなった。
けれど、その根が管理者権限に繋がっているなら、最後にはそこへ戻さなければならない。
支配に使わないために。
自分の価値を、この力に預けないために。
ミュールが俺の手を見た。
「痛い?」
「少し」
「嘘」
「かなり」
彼女は満足そうに頷いた。
「正直、よし」
イリスが観測板へ必死に書き込む。
「ジョブ反応、順次消失。ですが、生命反応は維持されています。レオンさん自身は消えていません」
その言葉に、俺は救われた。
力が消えても、俺自身は消えていない。
当たり前のはずのことを、誰かに言ってもらわないと分からない。
ロゼッタが静かに言う。
「失うことと、無価値になることは違います」
ナギが短く続ける。
「空く。だから、入る」
「何が」
「これから」
これから。
力を失った後にも、これからがある。
その言葉が、胸の奥に残った。
エルヴィアはまだ諦めない。
「貴方が力を失えば、彼女たちは貴方を守る負担を負います」
「負担だろうな」
「それを愛と呼ぶのですか」
俺は少し考えた。
答えは簡単ではない。
誰かに負担をかける関係を美化したくはない。
だが、負担を一切かけない関係など、たぶん存在しない。
「分からない」
俺は正直に言った。
「でも、命令して負担を消すより、相談して背負い合う方が近い」
エルヴィアは黙る。
五人の手が、俺の手に重なる。
世界契約は、それを無駄な接触として処理しようとした。
だが、無駄ではない。
俺の恐怖を、五人が少しずつ受け止めている。
五人の傷を、俺が見ている。
それは効率の悪い支えだ。
だからこそ、人間のものだった。
白い線がさらに集まる。
世界中の刻印が、俺の右手を通じて中枢へ接続される。
ここから先は、もう戻れない。
俺は息を吸う。
全ジョブを捨てる。
その選択は、自分を弱くする選択だった。
同時に、誰かを命令しないための、最後の強さでもあった。
白い線の奥で、世界契約が最後の誘惑を見せてくる。
全ジョブを捨てなかった未来。
俺は管理者になり、世界を穏やかに整える。
セリアの傷は消える。
ミュールは悪夢を見なくなる。
イリスは恐怖を鎮静される。
ロゼッタの家は返還される。
ナギの鍵印は安全に保管される。
解放者の家は保護区画になり、誰にも襲われない。
何もかもが、うまくいっているように見えた。
ただ、その未来の五人は俺を止めない。
笑っている。
穏やかに暮らしている。
けれど、俺が間違った時に怒ることも、苦しい道を選ぶことも、危険だからと拒否することもない。
安全だった。
あまりにも安全だった。
俺はその未来を見て、ようやく心から怖いと思った。
傷つかない五人より、俺を止められない五人の方が怖い。
だから、迷いは消えた。
「俺は、その未来を選ばない」
未来の映像が割れる。
世界契約が白く明滅する。
管理者候補、説得不能。
権限回収。
強制同期。
中枢が俺を飲み込もうとした。
五人が手を重ねる力を強める。
俺は飲み込まれない。
全ジョブを差し出す。
だが、自分自身は渡さない。
「レオン」
セリアが言う。
「戻ってこい」
「命令か」
「願いだ」
ミュールが言う。
「帰る。絶対」
イリスが言う。
「手順に入れてください。戻るまでが作戦です」
ロゼッタが言う。
「未帰還は契約違反です」
ナギが言う。
「帰る場所、ある」
俺は笑った。
怖さは消えない。
でも、帰る場所があるなら手放せる。
力ではなく、帰る場所を信じて。
俺は右手を中枢へ押し込んだ。
白い光が腕を包む。
もう便利な熱ではない。
焼けるような別れの熱だった。
それでも手を引かない。
五人の手が重なっている。
俺は一人ではない。
その事実だけが、管理者権限より強かった。
世界を一人で持つのではなく、隣にいる者たちと痛みを分ける。
それが、俺の最後の答えだった。
その答えを、右手に込める。
もう迷いは、消えなくてもいいのだ。
全ジョブを捨てることは、万能の管理者になる道を捨てることでもありました。
迷いが消えなくても進む。その答えを右手に込めて、世界契約破壊へ向かいます。
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