表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

PR
139/145

第139話 帰る場所を守る鍵

 ナギの胸元で、鍵印が白く燃えていた。


 今まで見たどの刻印とも違う。


 奴隷印でも、債務印でも、実験印でもない。


 扉を開くための印。


 世界契約の中枢門へ接続する鍵。


 封印室の奥に、巨大な門が浮かび上がる。


 実体はない。


 だが、そこにある。


 世界契約の本体へ続く、古代術式の扉。


 ナギの刀が、その門へ向いた。


「開けない」


 彼女は短く言った。


 だが、身体は一歩前へ出る。


 鍵印が命令を流している。


 神域鍵、起動。


 中枢門、開放。


 管理者権限、完全接続。


 世界契約、完成。


 イリスが青ざめた。


「ナギさんが開けたら、世界契約の中枢防壁が完全に展開します。今よりずっと壊しにくくなります」


「閉じれば」


 俺が聞くと、イリスは唇を噛んだ。


「鍵印に反動が来ます。ナギさん自身が砕ける可能性があります」


 ナギはそれを聞いても表情を変えない。


「そう」


「そう、じゃない」


 俺は言う。


 彼女は俺を見る。


「でも、開けない」


 世界契約が命令を強める。


 鍵は扉を開けるもの。


 鍵は所有者の意思に従うもの。


 鍵は門の前で迷わない。


 ナギの足がまた一歩進む。


 セリアが盾を構えた。


 ミュールが低く唸る。


 イリスが観測板を握り、ロゼッタが帳簿を開く。


 だが、ナギは首を横に振った。


「止めないで」


「ナギ」


「私が閉じる」


 その言葉は静かだった。


 だが、決意は硬い。


 ナギはずっと鍵として扱われてきた。


 東方の一門。


 神域門。


 開くべき血筋。


 利用される力。


 彼女の人生は、扉の前に立たされ続けた人生だった。


 開け。


 閉じろ。


 守れ。


 渡せ。


 その命令の中で、彼女自身がどこへ帰りたいかは問われなかった。


 世界契約は、その古い傷を使っている。


 鍵は開く。


 それだけを押しつけてくる。


「ナギ」


 俺は呼ぶ。


 彼女は刀を握りしめる。


「レオン」


「帰る場所は」


 ナギの目が揺れた。


 短い問い。


 けれど、彼女には十分だった。


 帰る場所。


 東方ではない。


 神域門でもない。


 鍵として保管される場所でもない。


 解放者の家。


 食卓。


 屋根。


 鍛冶場。


 皆の声。


 そして、今ここ。


 ナギは小さく息を吐く。


「ここ」


 刀が震える。


「ここへ帰る」


 世界契約の命令が乱れる。


 鍵は帰らない。


 鍵は開く。


 鍵は使われる。


「違う」


 ナギは刀を抜いた。


「私は鍵じゃない」


 中枢門が開きかける。


 白い光が漏れ、封印室全体を飲み込もうとする。


 その向こうに、世界契約の本体が見えた。


 無数の線。


 無数の登録。


 無数の命令。


 ナギが開けば、全てが完成する。


 ナギが閉じれば、彼女の鍵印が砕ける。


 どちらも痛い。


 彼女は痛みを選んだ。


 自分で。


 刀を逆手に握り、門ではなく、自分と門を繋ぐ命令線へ刃を向ける。


「開けない」


 世界契約が命令する。


 開門。


 開門。


 開門。


 ナギは刀を振った。


「ここへ帰る」


 刃が命令線を斬る。


 白い光が弾ける。


 鍵印がひび割れ、彼女の胸元から血のような光が散った。


 ナギの身体が後ろへ倒れかける。


 セリアが盾で支え、ミュールが腕を掴み、イリスが熱を逃がし、ロゼッタが反動の契約線を切る。


 俺はナギの名を呼んだ。


「ナギ!」


 彼女は目を開ける。


「ただいま」


 短い言葉。


 それだけで十分だった。


 鍵印が完全に砕けた。


 隷属刻印も消える。


 中枢門は開かなかった。


 世界契約の完成は阻まれた。


 五人全員が、命令から戻ってきた。


 だが、封印室の奥で、世界契約の本体はまだ脈打っている。


 中枢門は閉じた。


 しかし、壊れてはいない。


 白い光が、最後の防壁を展開し始めた。


 ナギは倒れたまま、しばらく動けなかった。


 胸元の鍵印が砕けた場所から、細い光が漏れている。


 痛みがあるのだろう。


 それでも彼女は、泣かなかった。


 ただ、天井を見ていた。


「ナギ」


 俺が呼ぶと、彼女はゆっくり瞬きをする。


「門、閉じた」


「ああ」


「私、壊れてない」


「壊れてない」


 ナギは小さく頷く。


「よかった」


 その言葉は、あまりにも素直だった。


 神域鍵として扱われていた彼女は、自分が壊れることを当然の代償として受け入れかけていた。


 だが、仲間たちが支えた。


 セリアが身体を受け、ミュールが反動線を切り、イリスが熱を逃がし、ロゼッタが契約の負荷を分散した。


 鍵を一人で壊させなかった。


 ナギは、その事実をゆっくり理解しているようだった。


「一人で閉じたんじゃない」


 俺が言うと、ナギは俺を見る。


「うん」


「でも、選んだのはナギだ」


「うん」


 彼女は刀の柄へ手を置く。


「私は、鍵じゃない」


 少し間を置いて、言い直す。


「鍵にもなれる。でも、それだけじゃない」


 その言葉に、セリアが頷いた。


 ミュールも頷く。


 イリスは観測板へ何かを書き、ロゼッタは帳簿に短く記録した。


 ナギはそれを見て、目を細める。


「書かれた」


「嫌ですか?」


 ロゼッタが聞くと、ナギは首を横に振る。


「今のは、いい」


 誰かに役割として記録されるのではない。


 自分の選択として残される。


 その違いを、ナギは受け取った。


 封印室の奥で、世界契約の本体がさらに強く脈打つ。


 五人が完全に戻ったことで、世界契約は最後の防壁へ移行している。


 中枢門は開かなかった。


 だが、本体はまだ生きている。


 そして、本体を壊すには、俺の右手に残されたマルチジョブの権限へ触れるしかない。


 ナギは身体を起こし、閉じた中枢門を見た。


 門の輪郭はまだ残っている。


 開かなかった。


 だが、存在はしている。


 ナギが鍵であった事実も、消えたわけではない。


 彼女はそれをじっと見つめた。


「嫌いじゃない」


 ぽつりと言う。


「鍵の力」


 俺は少し驚いた。


 ナギは続ける。


「扉、開けられる。閉じられる。守れる。便利」


 彼女は刀の柄を撫でる。


「でも、使われるだけは嫌」


 その区別が、彼女の解放だった。


 力を捨てるのではない。


 役割を全部否定するのでもない。


 鍵になれる。


 だが、鍵として所有されない。


 開くか閉じるかを、自分で選ぶ。


 ナギは中枢門へ背を向けた。


 それは、小さな動作だった。


 だが、彼女にとっては大きな選択だった。


 ずっと門の前に立たされてきた者が、門に背を向ける。


 そして、仲間たちの方へ歩く。


 ミュールが手を伸ばす。


 ナギはその手を取った。


 セリアが盾で足元の光を遮り、イリスが反動値を確認し、ロゼッタが記録する。


 俺はナギの顔を見る。


「おかえり」


 ナギは頷いた。


「ただいま、言った」


「もう一回言ってもいい」


 彼女は少し考える。


「ただいま」


 その言葉は、最初より少しだけ柔らかかった。


 世界契約の白い門が、さらに薄くなる。


 帰る場所を選んだ鍵は、もう中枢門の所有物ではなかった。


 世界契約は、なおも門の残滓を震わせる。


 代替鍵探索。


 血統鍵再計算。


 神域門、予備開放。


 ナギの一門に残された遠い血筋まで、白い線が伸びようとする。


 ナギはそれを見て、刀を抜いた。


 今度は迷わない。


「私だけじゃない」


 彼女は言う。


「鍵にされる人、まだいる」


 刃が白い線を斬る。


 遠くで、誰かの鍵印が消える感覚が走った。


 東方の古い蔵。


 神域門の前に立たされていた子ども。


 役割を継ぐと言われていた少女。


 その子たちへ伸びていた命令線が、一本ずつ切れていく。


 ナギは顔をしかめる。


 反動が彼女の胸へ戻る。


 だが、セリアが盾で支え、イリスが数値を読み、ロゼッタが負荷を分け、ミュールが残った線を切る。


 俺も右手で、彼女へ戻る反動を逃がした。


「一人でやるな」


 俺が言うと、ナギは少しだけ不満そうにする。


「私の選択」


「ああ。でも支えは受け取れ」


 ナギは考える。


 それから、こくりと頷いた。


「受け取る」


 その一言で、彼女の鍵印の残り火が完全に消えた。


 誰かに使われる鍵ではなく。


 誰かと共に扉を選ぶ人間として。


 ナギは戻った。


 彼女は刀を鞘に納めた。


 その音は、門を閉じる音に似ていた。


 だが、閉じ込める音ではない。


 帰る場所を守るための音だった。


「ナギ」


 俺が呼ぶと、彼女は顔を上げる。


「何」


「帰ったら、何をしたい」


 彼女は少し考えた。


「寝る」


 ミュールが小さく笑う。


 イリスも涙の跡を残したまま笑った。


 ロゼッタが「妥当です」と頷き、セリアが盾越しに息を吐く。


 ナギは続ける。


「起きたら、ご飯」


「それから」


「また、出かける」


 その何気ない未来が、神域鍵としての使命よりも尊く思えた。


 世界契約が大きな門を語るなら、ナギは帰って眠る場所を語る。


 その小ささが、彼女の自由だった。


 中枢門の白い輪郭が、完全に消えた。


 ナギは、もう門ではなく皆を見ていた。



評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ