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第135話 聖騎士の誓い

 セリアの腕で、誓約痕が砕け始めた。


 だが、世界契約はそれを許さない。


 白い文字が、彼女の全身へ走る。


 王国騎士団登録。


 教会承認。


 聖騎士誓約。


 奴隷隷属刻印。


 主人殺害命令。


 それらが一斉にセリアを引っ張った。


 守れ。


 従え。


 裁け。


 殺せ。


 矛盾した命令が、彼女の身体を引き裂こうとしている。


 セリアは片膝をついた。


 剣を握る手が震える。


 盾を持つ腕は、俺の前へ出ようとしている。


 剣は俺を殺そうとし、盾は俺を守ろうとしている。


 その両方が、彼女の身体の中でぶつかっていた。


「セリア!」


 俺は踏み込もうとする。


 ナギの刀が退路を塞いだまま、俺の進路も切る。


 世界契約が他の四人を使い、セリアへ近づけさせない。


 ミュールの短剣が俺の袖を縫うように走る。


 イリスの魔力が床で爆ぜ、ロゼッタの鎖が足首を引く。


 全員が苦しんでいる。


 それでも、今一番危ないのはセリアだった。


 彼女は複数の命令に引かれすぎている。


 このままでは、刻印が砕ける前に身体が壊れる。


 右手が熱を持つ。


 止められる。


 命令すれば。


 だが、セリアは顔を上げた。


「来るな」


 彼女は言う。


「いや、来てほしい。違う。私は」


 言葉が乱れる。


 それでも、目は俺を見ている。


「私を、命令で助けるな」


 俺は足を止めた。


 止まることが、これほど苦しいとは思わなかった。


 セリアは剣を持ち上げる。


 切っ先は俺へ向く。


 だが、盾はその剣の軌道へ割り込もうとしている。


 彼女は自分の剣を、自分の盾で止めようとしていた。


「私は、聖騎士だった」


 セリアの声が封印室に響く。


「王国に仕え、教会に認められ、人々を守ると誓った」


 白い文字が彼女を縛る。


 聖騎士は秩序を守れ。


 聖騎士は教会に従え。


 聖騎士は反抗者を裁け。


「だが、その誓いは、命令ではなかったはずだ」


 セリアは盾を上げる。


 腕から血が流れる。


 誓約痕の亀裂が深くなる。


「私は、誰かに命じられたから盾を持ったのではない」


 剣が震えながら振り下ろされる。


 その軌道は俺へ向かっている。


 セリアは盾を、自分の剣の前へ差し込んだ。


 金属音が鳴る。


 剣と盾がぶつかる。


 彼女自身の力と、彼女自身の抵抗が正面から衝突した。


「私は、目の前で倒れる人を見捨てたくなかった」


 世界契約の光が強まる。


 主人を殺せ。


 反抗管理者候補を排除せよ。


 聖騎士は世界秩序を守れ。


「秩序のために目の前の人を殺すなら」


 セリアは歯を食いしばる。


「それは、私の誓いではない」


 盾が青く光った。


 セリアの内側から出た光だった。


 教会の承認ではない。


 王国の紋章でもない。


 奴隷刻印の反転でもない。


 彼女自身の誓いが、盾に宿っている。


 俺はその光を見て、胸が熱くなった。


 セリアの目に、過去が映っているようだった。


 王都の訓練場。


 幼い彼女が、重すぎる木盾を持ち上げようとしている。


 周囲の少年たちは笑っていた。


 騎士家の娘だから。


 形だけの訓練だから。


 どうせ前線には立たないから。


 そんな声の中で、セリアは何度も盾を持ち上げた。


 最初に彼女を褒めたのは、偉い騎士ではなかった。


 訓練場の隅で転んだ見習いを、彼女が盾で庇った時。


 その見習いが、泣きながら「ありがとう」と言った。


 たぶん、それが始まりだった。


 教会の承認よりも。


 王国の任命よりも。


 聖騎士という肩書きよりも前に。


 誰かの前に立ちたいと思った瞬間があった。


 世界契約は、その始まりには触れられない。


 登録された誓約ではないから。


 台帳に載っていないから。


 だから、セリアはそこへ戻ろうとしている。


 セリアはもう、命令の中で守っているのではない。


 命令に逆らうために、守っている。


 世界契約は、さらに強い命令を重ねた。


 聖騎士資格剥奪。


 反逆認定。


 奴隷命令違反。


 処罰対象。


 白い文字が、彼女の鎧を焼く。


 セリアは痛みに息を詰める。


 それでも、盾を下げない。


「資格を剥奪する?」


 彼女は笑った。


 苦しげに。


 だが、確かに笑った。


「好きにしろ。資格で守っていたわけではない」


 その言葉に、誓約痕の亀裂がさらに広がった。


 教会から与えられた聖騎士ではなく。


 自分で選んだ盾持ちとして。


 セリアは立っている。


 剣が再び動いた。


 世界契約は、セリアの誓いを危険因子として認識したのだろう。


 命令が単純化される。


 守るな。


 殺せ。


 盾を捨てろ。


 剣を取れ。


 セリアの左手から盾が引き剥がされそうになる。


 彼女は歯を食いしばり、盾の内側の革帯を握り込んだ。


 指の皮が裂れる。


 それでも離さない。


「盾を捨てれば、楽になります」


 エルヴィアが言う。


「貴方の身体はもう限界です」


「だろうな」


 セリアは荒い息を吐く。


「だが、限界だからこそ分かる。これは命令では持てない重さだ」


 盾が震える。


 その重さを、彼女は自分で選び直している。


 俺は思わず前へ出そうになる。


 だが、セリアは俺を見るだけで止めた。


 命令ではない。


 視線だけで。


 来るな。


 私が選ぶ。


 そう言っていた。


 俺は立ち止まる。


 セリアは剣を振り下ろした。


 今度の軌道は、俺ではなく、彼女自身の盾へ向かう。


 剣と盾がぶつかる。


 白い命令線が、衝撃で可視化された。


 盾の表面に絡みつく無数の糸。


 王国。


 教会。


 奴隷商。


 世界契約。


 彼女を所有し、定義し、従わせようとした全ての線。


 セリアは盾を前へ押し出した。


「私の盾は」


 声が震える。


「誰かの命令を守るためのものではない」


 さらに一歩。


「誰かが、自分で立つ時間を稼ぐためのものだ」


 命令線が盾の上で裂ける。


 セリアの誓約痕が、粉々に砕けた。


 白い光が散る。


 その光は、彼女を縛っていたものの残骸だった。


 だが、消える寸前、まるで祝福のようにも見えた。


 エルヴィアが低く言う。


「誓いもまた、役割です」


「違う」


 セリアが即答した。


「役割なら、返上できる。命令なら、拒める。だが、これは私が選び続けるものだ」


 剣が押し込まれる。


 盾が軋む。


 彼女の腕の誓約痕が、ついに大きく割れた。


 同時に、首筋に残る隷属刻印も光る。


 聖騎士として従え。


 奴隷として従え。


 主人を殺せ。


 全ての命令が、セリアを縛ろうとする。


 セリアは盾を構え直した。


「私は」


 彼女は俺を見る。


 それから、苦しむ仲間たちを見る。


 封印室の外で震える人々を見る。


「私は私の誓いで立つ」


 盾が、白い命令線を受け止めた。


 受け止めるだけではない。


 押し返す。


 世界契約の命令が、盾の表面で砕けていく。


 誓約痕が完全に砕けた。


 隷属刻印も、同時に割れる。


 セリアの身体から白い鎖が剥がれ落ちる。


 彼女は大きく息を吸い、剣を下ろした。


 今度は、命令で下ろしたのではない。


 自分の意思で。


 セリアは俺の前に立った。


 盾を構える。


 その背中は、初めて出会った時よりも、ずっと自由だった。


「レオン」


「ああ」


「私は、貴殿を殺さない」


 その言葉が、世界契約に亀裂を入れた。


 だが、次の瞬間、ミュールの首筋が黒く燃え上がった。


 夜爪の旧命令系統。


 暗殺者を処分するための、古い合図。


 ミュールの目から、光が薄れていく。


「逃亡個体、処分」


 彼女の口から、自分の声ではない言葉が漏れた。


 セリアはすぐにミュールへ向き直ろうとした。


 だが足元が揺れ、膝が落ちる。


 解放された直後の身体は、まだ痛みに慣れていない。


 俺は彼女を支えた。


 今度はセリアも拒まなかった。


 命令で助けるのではない。


 倒れそうな仲間を支えるだけだ。


「重いな」


 俺が言うと、セリアは苦しげに笑った。


「盾持ちだからな」


「解放された気分は」


「痛い」


 彼女は即答した。


「だが、軽い」


 痛いのに軽い。


 解放とは、痛みを全部消すことではない。


 自分の痛みとして持てるようになることなのかもしれない。


 セリアは俺の胸元の傷を見た。


「すまない」


「謝るな」


「謝る。これは私の剣だ」


 彼女ははっきり言った。


「命令に引かれていたとしても、私はこの傷を忘れない。忘れずに、二度と命令へ預けない」


 その決意が、砕けた刻印の跡に新しい光を宿す。


 もう拘束の光ではない。


 彼女自身の誓いの光だった。


 セリアは盾をもう一度構えた。


 腕は震えている。


 だが、盾の向きは迷っていない。


 俺の前に。


 仲間たちの前に。


 命令ではなく、彼女自身の判断で。


「次はミュールだ」


 セリアが言う。


「ああ」


 俺は頷く。


 彼女の完全解放は終わりではない。


 次の仲間を帰すための、最初の盾だった。


 セリアは痛みを抱えたまま、前を見た。


 解放された騎士として。


 誰かに任命されなくても、盾を持つ者として。自由な盾として。



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「役割」を押し付けるのではなく、「選択」させる。 これこそが、人が行える自由だ。 「支配」はいつか、綻んでいくもの、その綻びで「選択」させられるものもある。 「役割」という「支配」は、いずれ消え…
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