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第134話 命令しない主人

 五人が同時に動いた。


 セリアの剣が正面から。


 ミュールの短剣が左脇から。


 イリスの魔力が足元で爆ぜる準備をし、ロゼッタの契約鎖が逃げ場を削る。


 ナギの刀は、俺が避ける先を塞いでいる。


 完璧な包囲だった。


 五人が俺を守るために磨いてきた連携。


 それが、俺を殺す形へ反転している。


 世界契約は、本当に嫌なものを選ぶ。


 俺は右手を握りしめた。


 命令権はまだある。


 使えば、止まる。


 だが、使わない。


「命令しない」


 俺は声に出した。


 自分に言い聞かせるためではない。


 五人に届かせるために。


 そして、世界契約へ突きつけるために。


「俺は、管理者命令を使わない」


 エルヴィアの表情が険しくなる。


「それは無責任です」


「そうかもしれない」


「貴方が命じれば止まる。貴方が命じなければ、彼女たちは苦しみ続ける。世界中の刻印も荒れ続ける」


 彼女の声は、怒りよりも悲しみに近かった。


「貴方の拒否は、自由ではありません。責任からの逃避です」


 胸に刺さる。


 俺もそう思う部分がある。


 命じないことは、何もしないことに見える。


 力があるのに使わない。


 止められる痛みを止めない。


 その選択を、無責任と呼ぶ人間はいるだろう。


 俺自身も、そう責める声を心の中に持っている。


 だが、それでも言う。


「俺は、主人として正しくなるつもりはない」


 エルヴィアが目を細める。


「主人として正しく?」


「そうだ。優しく命じて、傷つけないように管理して、後で感謝される主人になるつもりはない」


 セリアの剣が震える。


 ミュールの短剣がわずかに遅れる。


 イリスの魔力が揺らぎ、ロゼッタの鎖に緩みが生まれる。


 ナギの刀の軌道が、ほんの少し外れた。


 言葉は届いている。


 命令ではない言葉が。


 封印室の刻印陣が大きく光った。


 その光の向こうから、声が聞こえた。


「レオンさん!」


 エナの声だ。


 遠い。


 解放者の家から、刻印陣を通じて流れ込んできている。


「家が、光ってます。でも、皆で押さえてます」


 ダロの声も混じる。


「こっちは大丈夫だ。まだ大丈夫だ。だから、変な命令で助けようとするな」


 コルの震える声が続く。


「怖いです。でも、怖いって言えます。言えるなら、まだ大丈夫です」


 胸が熱くなる。


 解放者の家も戦っている。


 俺が命令で守らなくても、あの家の人々は自分たちで踏ん張っている。


 王都からも声が届いた。


 マルタだ。


「こっちの登録台帳も暴れてるよ。まったく、面倒なことをしてくれるね」


 いつもの実務的な声。


「でも、勝手に分類されるのは趣味じゃない。こっちはこっちで処理する。あんたは、あんたの現場を見な」


 ガレスの低い声もあった。


「盾の修繕代は高くつくぞ。生きて払え」


 笑いそうになって、痛みで息が詰まる。


 各地の声が、断片的に流れ込んでくる。


 奴隷印に抗う者。


 ジョブ登録の補正に逆らう者。


 血統証明の命令を拒む者。


 勇者候補であることをやめようとする者。


 全員が強いわけではない。


 泣いている者もいる。


 助けを求めている者もいる。


 だが、全員がただ管理を待っているわけではない。


 世界契約が人々を項目に分けるほど、その項目からはみ出す声が聞こえてくる。


 イリスが苦しみながら叫んだ。


「レオンさん、声が、術式のノイズになっています」


「ノイズ?」


「世界契約は、人を分類して命令しようとしています。でも、本人の言葉が分類とずれている。ずれが増えれば、命令精度が落ちます」


 ロゼッタが鎖を押さえながら笑った。


「契約書に、想定外の当事者意見が大量に差し込まれている状態です」


「それは面倒そうだ」


「ええ。とても」


 彼女の笑みは苦しげだったが、本物だった。


 エルヴィアはその声を聞き、表情を硬くした。


「一時的な混乱です。やがて補正されます」


「補正させない」


 俺は言った。


「俺一人じゃない。皆が、自分の声でずらしている」


 セリアが剣を押さえながら、俺を見る。


「レオン」


「セリア」


「命令しないことを、私は支えにしている」


 彼女の声は震えている。


「貴殿が命じないから、私は自分で止めるしかない」


 誓約痕が強く光る。


 同時に、亀裂が広がる。


「自分で止めるしかないから、私はまだ私でいられる」


 その言葉に、世界契約の白い文字が乱れた。


 聖騎士誓約。


 奴隷命令。


 主人殺害命令。


 三つの線が、セリアの腕でぶつかり合う。


 そして、その奥から別の光が見えた。


 彼女自身の誓い。


 誰かに与えられたものではない。


 セリアが、自分で選んだ盾の理由。


 誓約痕が、音を立てて砕け始めた。


 その音は小さかった。


 だが、封印室にいた全員が聞いた。


 エルヴィアも。


 アルベルトも。


 リディアも。


 倒れていた聖都兵たちも。


 聖騎士の誓約痕に亀裂が入る音。


 それは、教会が与えた役割に、人間の意思が勝ち始めた音だった。


 エルヴィアは一歩前へ出る。


「一人が抗ったところで、全体は変わりません」


「一人じゃない」


 俺は答える。


 声はまだ届いてくる。


 王都の商人が、血統証明の補正を拒んでいる。


 魔塔の研究員が、自分の研究を危険指定されながらも、実験記録に反論を書いている。


 東方の剣士が、古い一門命令へ向かって自分の名を名乗っている。


 解放者の家では、エナたちが互いの刻印を押さえ合っている。


 そのどれも、世界契約を一撃で壊す力ではない。


 だが、全てがノイズになっている。


 分類からはみ出す声。


 命令に対する小さな遅延。


 同意しないという宣言。


 世界契約は、完璧な処理を前提にしている。


 人間が一斉に面倒なことを言い始めるとは、想定していない。


 ロゼッタが苦しみながら笑った。


「大規模契約の破綻原因としては、実に典型的です」


「何がだ」


「当事者説明を怠ったことです」


 彼女らしい言い方に、ミュールが小さく笑い、イリスの涙の中にも少しだけ光が戻る。


 ナギは刀を構えたまま、短く言った。


「皆、うるさい」


「いい意味か」


「うん」


 うるさい。


 整っていない。


 ばらばら。


 だが、それこそ世界契約が嫌うものだった。


 命令しないという俺の選択は、何もしないことではなかった。


 誰かが自分の声を出す余地を残すことだった。


 その余地の中で、セリアが立ち上がろうとしている。


 セリアは盾を拾った。


 命令で落とされた盾を、自分の意思で。


 剣はまだ俺へ向こうとしている。


 盾は俺を守ろうとしている。


 二つの武具の間で、彼女は揺れていた。


 だが、その揺れはもう弱さではない。


 命令に従うだけの者は、揺れない。


 セリアは揺れている。


 だから、選べる。


 俺は血の滲む胸を押さえながら、彼女の名を呼んだ。


「セリア」


 彼女は顔を上げる。


「貴殿の声は、本当にしつこい」


「悪い」


「謝るな」


 セリアは盾を構えた。


「そのしつこさで、私は戻れる」


 エルヴィアは首を横に振った。


「個人の絆で、世界は支えられません」


「支えるつもりはない」


 俺は答える。


「世界を支えるために、五人を命令するつもりはない」


「では、誰が弱者を守るのです」


 その問いは、やはり重い。


 世界契約が壊れれば、混乱は起きる。


 悪意ある者も出る。


 自由を得た者が、別の誰かを踏むこともある。


 エルヴィアの恐れは、嘘ではない。


 だから俺は、軽く否定できなかった。


「皆で守る」


 ようやく言う。


 それは頼りない答えだった。


 管理者が一人で世界を整える答えに比べれば、ずっと不安定だ。


「皆とは誰ですか」


「今、声を出している人たちだ」


「彼らは失敗します」


「するだろうな」


「争います」


「それもある」


「傷つきます」


「ああ」


 エルヴィアの目が悲しみに沈む。


「それでも管理を拒むのですか」


「傷つく可能性を理由に、最初から全員を従わせることはできない」


 その言葉を言い切った瞬間、俺の中でも何かが定まった。


 これは、楽園を選ばない答えだ。


 混乱を許す答えだ。


 だから、綺麗ではない。


 だが、人が自分で選ぶ世界は、たぶん綺麗なだけでは済まない。


 泥も、失敗も、後悔もある。


 それでも、誰か一人が全員の痛みを預かる世界より、俺はそちらを選ぶ。


 セリアが盾越しに笑った。


「不完全な答えだ」


「悪い」


「いや」


 彼女の誓約痕が、さらに砕ける。


「だから、私たちが隣にいる」


 エルヴィアはその言葉を聞き、初めて明確に眉を寄せた。


「隣にいるだけで、何が変わるのです」


「止められる」


 セリアは答えた。


「命令ではなく、声で。権限ではなく、関係で」


 彼女は盾を握り直す。


「私は、命令される前の私へ戻るのではない」


 白い亀裂が腕を走る。


「ここまで来た私へ戻る」


 過去への回帰ではない。


 積み重ねた傷も、出会いも、選択も持ったまま戻る。


 それが、世界契約の分類にはない答えだった。


 だからこそ、分類は揺らいだ。


 白い文字が、意味を失いかける。



積み重ねた傷も、出会いも、選択も持ったまま戻る。

その答えは世界契約の分類にはなく、白い文字は意味を失い始めます。

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― 新着の感想 ―
ガンダムSEEDの「Destinyプラン」と一緒だな。 人の職業も何もかもを決めつける、あの悪しき政策と。 ずっと引っかかっていたんだ、なんかに似てるなって。 そんな世界なんて、いらない。自由だ…
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