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第131話 最後の選択

レオンが最後の選択を迫られる回です。

支配者になれば救える、ならなければ失うかもしれないという状況に立たされます。

 五人が苦しんでいる。


 その事実だけで、世界の理屈は全部どうでもよくなりそうだった。


 セリアは盾を床につき、腕の誓約痕を押さえている。


 ミュールは首筋を掻きむしりそうになる指を、必死に握り込んでいる。


 イリスは観測板を見ようとして、焦点の合わない目を何度も瞬かせる。


 ロゼッタは落ちた帳簿へ手を伸ばすが、手首の債務印が白く焼けて動けない。


 ナギは刀を鞘に納めようとしている。


 だが、刀が勝手に抜けようとしていた。


 五人とも、意識はある。


 だから余計に痛い。


 命令に塗り潰されるのではなく、自分の身体が自分を裏切る瞬間を見せられている。


「やめろ」


 俺は世界契約へ向けて言った。


 右手には権限がある。


 五人の刻印を止める線が見える。


 命令を流せばいい。


 動くな。


 眠れ。


 痛みを感じるな。


 たったそれだけで、五人の苦痛は収まる。


 エルヴィアの声が、すぐ近くで聞こえた。


「命じなさい」


 彼女は俺を責めていない。


 むしろ、促している。


 優しい声で。


「今この瞬間、命令しないことは彼女たちを傷つける選択です」


 胸が潰れそうになる。


 その通りだ。


 今、命令すれば止められる。


 命令しなければ、五人は苦しむ。


「愛しているなら、支配すべきです」


 エルヴィアは言った。


 その言葉が、封印室に重く落ちる。


 愛しているなら。


 守りたいなら。


 傷つけたくないなら。


 支配すべき。


 それは、最も優しい顔をした誘惑だった。


 俺は、五人と出会った日のことを思い出す。


 セリアは檻の中で、それでも騎士の背筋を失っていなかった。


 ミュールは言葉を短く切り、誰にも自分の奥を見せようとしなかった。


 イリスは自分の価値を危険性でしか説明できなかった。


 ロゼッタは契約の敗者として、自分の敗北を冷静に数えていた。


 ナギは鍵として扱われ、自分の行き先を他人に決められていた。


 俺は彼女たちを買った。


 その事実は消えない。


 どれだけ解放を選んでも、最初の関係には所有の形があった。


 だからこそ、ここで命令したら終わる。


 俺は結局、最初の形へ戻る。


 優しい理由をいくら並べても、主人が奴隷へ命じる構図に戻ってしまう。


 世界契約は、それを知っている。


 俺が一番怖がっている場所を、正確に突いてくる。


 五人を失いたくない。


 五人を傷つけたくない。


 その思いを使えば、俺は自分から命令権を握る。


 これは罠だ。


 だが、罠だと分かってもなお、踏みたくなる。


 五人の痛みが目の前にあるから。


 エルヴィアは、俺の沈黙を迷いだと受け取った。


「貴方は、優しい」


 彼女は言う。


「だから苦しむ。彼女たちが痛むのを見ていられない。ならば、その優しさを最後まで使いなさい」


「最後まで?」


「ええ。彼女たちが後で貴方を憎んだとしても、今は命じる。命を守るとは、そういうことです」


 その言葉は、また俺を揺らした。


 嫌われても守る。


 憎まれても救う。


 それは物語の中では美しい覚悟に聞こえる。


 だが、今この場所では違う。


 俺が命じれば、五人は俺を憎むかもしれない。


 それでも生きているならいい、と言えるか。


 俺は言えそうだった。


 その自分が怖かった。


 生きていればいい。


 後で分かってくれればいい。


 いつか許してくれればいい。


 そう考えた瞬間、俺は優しい支配者になる。


 相手の今の拒否を、未来の感謝で踏み越える者になる。


 俺は何度も見てきた。


 奴隷商も、教会も、魔塔も、黒杯商会も、それぞれ違う言葉で同じことをした。


 後で感謝する。


 安全のため。


 社会のため。


 あなたのため。


 その言葉で、本人の今を奪った。


 俺はその列に並びたくない。


 たとえ、五人を救うためでも。


 セリアが顔を上げる。


 汗が額を伝っている。


「レオン」


「喋るな」


「喋る」


 彼女は歯を食いしばって笑った。


「命令するな」


 短い言葉だった。


 だが、盾で受けたどの一撃より重かった。


 ミュールも震える声で言う。


「主人、止めないで」


「苦しいだろ」


「苦しい。でも、命令で楽にしないで」


 イリスが泣きながら首を振る。


「怖いです。すごく怖いです。でも、恐怖を消されたくありません。私の恐怖です」


 ロゼッタは手首を押さえながら、かすれた声で言った。


「不利益を承知で拒否します。何度でも言います。私たちを担保にしないでください」


 ナギは刀の柄を押さえたまま、短く言う。


「信じて」


 五人の言葉が、俺の右手を縛っていた白い線より強く刺さる。


 信じる。


 何を。


 彼女たちが命令に抗えることをか。


 自分が命令しなくても、最悪を避けられることをか。


 違う。


 たぶん、信じるのは結果ではない。


 五人が、自分の意思で苦しむことを選んだという事実だ。


 その選択を、俺が奪わないことだ。


「綺麗な言葉です」


 エルヴィアが言う。


「ですが、彼女たちが壊れた後でも同じことを言えますか」


 言えないかもしれない。


 五人が壊れたら、俺は後悔する。


 命令すればよかったと、何度も思うだろう。


 それでも、今ここで命令すれば、別の後悔が残る。


 俺は、五人が一番嫌がる形で五人を守ったことになる。


 優しい主人。


 優しい管理者。


 優しい支配者。


 全部、同じ場所へ続いている。


 俺は右手を握りしめた。


 権限が手の中で暴れる。


 使え。


 命じろ。


 救え。


 世界契約がそう囁く。


「俺は」


 声が震える。


 それでも、言う。


「命令しない」


 エルヴィアの目が、ほんの少しだけ揺れた。


「彼女たちが壊れても?」


「壊させない」


「命令せずに?」


「命令せずに」


 答えた瞬間、右手の権限が焼けるように痛んだ。


 世界契約が、俺の拒否を異常として認識する。


 管理者候補、命令権不使用。


 保護対象、反抗継続。


 自動補正へ移行。


 イリスが叫ぶ。


「まずいです! 世界契約が、レオンさんの拒否を失敗判断にしました」


「失敗ではありません」


 エルヴィアは静かに言う。


「貴方が選ばないなら、世界契約が選びます」


 五人の刻印が、一斉に白く燃えた。


 燃え上がる光の中で、五人の声が途切れ途切れに聞こえた。


 セリアは、盾を握る手を開こうとしている。


「私は、貴殿を守ると誓った」


 だが、剣は鞘から抜ける。


「殺すためでは、ない」


 ミュールは短剣を落とそうとして、指を一本ずつ床へ押しつけていた。


「ミュールの手」


 彼女は震える。


「ミュールの、手なのに」


 イリスの魔力が暴れ、彼女自身の髪を逆立てる。


「解析不能じゃありません」


 涙声で、彼女は言う。


「分かっています。これは命令です。だから、嫌です」


 ロゼッタは契約術式の筆跡を止めようと、爪が割れるほど帳簿を掴んでいた。


「同意なき契約は」


 声がかすれる。


「何度でも、無効です」


 ナギは一歩ずつ俺へ近づきながら、目だけで必死に距離を測り直している。


「斬らない道」


 彼女は呟く。


「探す」


 その全てが、命令への抵抗だった。


 世界契約は身体を動かす。


 だが、五人の言葉までは完全に奪えていない。


 俺はその声を聞く。


 命令権ではなく、その声を信じる。


 信じるとは、相手が必ず勝つと思い込むことではない。


 負けるかもしれない。


 折れるかもしれない。


 それでも、相手の選択を自分の恐怖で奪わないことだ。


 俺はようやく、それを理解した。


 解放とは、檻の鍵を開けるだけではない。


 開いた扉の先で、その人がどこへ行くかを管理しないことだ。


 たとえ危険な道でも。


 たとえ俺が見ていられない道でも。


 その人が自分で歩くなら、俺は隣に立つ。


 前から引っ張らない。


 上から命じない。


 後ろから檻へ戻さない。


 それがどれほど怖いことか、今さら分かった。


 解放する側にも覚悟がいる。


 相手を信じる覚悟だけではない。


 自分が万能ではないと認める覚悟だ。


 俺は救えないかもしれない。


 守れないかもしれない。


 それでも支配しない。


 その線を越えないために、五人は俺の隣に立ってくれた。


 俺が強いからここまで来られたのではない。


 何度も止められたから、ここまで来られた。


 セリアに叱られ、ミュールに見抜かれ、イリスに怖いと言われ、ロゼッタに契約の穴を突かれ、ナギに短い言葉で戻された。


 その全部が、今の俺を作っている。


 命令すれば、その全部を裏切る。


 俺だけの決断ではない。


 俺たちが積み上げた関係への返事だった。


 だから、痛くても逃げない。


 その返事を、最後まで持つ。


 震えても、持つ。


 痛んでも、持つ。


 セリアの剣が、勝手に鞘から抜ける。


 ミュールの短剣が掌へ滑り込む。


 イリスの魔力が暴発寸前まで膨らむ。


 ロゼッタの帳簿から契約術式が立ち上がる。


 ナギの刀が、完全に抜かれた。


 俺は息を止める。


 世界契約の命令が、封印室全体に響いた。


「反抗管理者候補の排除」


 白い文字が、五人の瞳に映る。


 次の命令が、形になる。



レオンが管理者になることを拒んだ瞬間、世界契約は排除命令へ移りました。

次に五人へ下る命令が、最終章への最大の刃になります。

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