第013話 壊れた盾と壊れない誇り
ガレス工房での仕事は、想像以上にきつかった。
炭を運ぶ。
灰をかく。
工具を磨く。
壊れた鎧の留め具を分類する。
客が持ち込んだ刃物の状態を記録する。
どれも地味な仕事だ。
だが、一つでも雑にやれば次の作業に響く。
勇者パーティでやっていた雑用と似ている。
違うのは、ガレスがそれを仕事として見ていることだった。
「その留め具は混ぜるな」
炉の前からガレスの声が飛ぶ。
「鉱山用と冒険者用じゃ負荷のかかり方が違う」
「はい」
「返事は一回でいい。手を止めるな」
「はい」
「二回目だ」
「……」
黙って作業に戻ると、ガレスは満足そうに鼻を鳴らした。
セリアは工房の隅で、壊れた盾を前に座っていた。
ただ眺めているわけではない。
ガレスから渡された布で泥を落とし、亀裂を確認し、使える金具を外している。
彼女の手つきは丁寧だった。
戦うための道具を、きちんと扱う手。
時折、首元の呪印が痛むのか、指が止まる。
それでも彼女は顔に出さない。
昼過ぎ、ガレスが俺たちを作業台の前に呼んだ。
そこには、セリアの盾が置かれている。
木製の小盾。
昨日の戦闘で亀裂が入り、縁の金具も歪んでいた。
「こいつは直せる」
ガレスは言った。
「ただし、元通りにはしねえ」
「なぜだ」
セリアが問う。
「元通りにしたところで、今のお前には合わん」
セリアの表情がわずかに硬くなる。
ガレスは容赦しない。
「昔の癖で重い盾を使えば、今のお前は潰れる。呪いだか封印だか知らんが、力が落ちてる。なら、受け止める盾じゃなく、流す盾に変える」
「私は聖騎士だ。盾で退くわけには」
「盾で死ぬ騎士が偉いのか」
ガレスの声が低くなった。
セリアが黙る。
「守るってのは、突っ立って殴られることじゃねえ。守る相手の前で倒れねえことだ」
工房の火の音だけが残った。
俺は何も言わなかった。
これは俺が口を挟む話ではない。
セリアは盾を見つめている。
「私は、倒れた」
やがて彼女は言った。
声は静かだった。
「王都で。守るべき人の前で」
ガレスは黙っている。
俺も黙った。
セリアが自分から話すのは、初めてだった。
「式典の日、私は王弟殿下の護衛についていた。広場には民がいた。子供も、老人も、地方から来た商人も。私は彼らを守るために立っていた」
彼女の指が、壊れた盾の亀裂をなぞる。
「殿下が倒れた。毒だと誰かが叫んだ。私は剣に手をかけた。周囲を守るためだ。だが、その瞬間、体が動かなくなった」
黒い蔦の呪印が、首元でわずかに脈打つ。
セリアは痛みに耐えながら続けた。
「気づけば、私の剣に毒が塗られていたと言われていた。私は殿下を殺そうとしたのだと。民衆が叫んだ。裏切り者と」
裏切り者。
その言葉だけ、セリアの声が少し震えた。
「聖騎士団長も、同僚も、私を見なかった。誰も、私が剣を抜いていないと言わなかった。私は弁明しようとした。だが声が出なかった」
「証言封鎖の術式だ」
俺は小さく言った。
セリアは頷く。
「今なら、そう思える。だが、あの時は違った。私が弱かったから声が出ないのだと思った。騎士として、守る者として、私は終わったのだと」
彼女は壊れた盾を持ち上げた。
「この盾も同じだ。昨日、私は受けきれなかった。昔なら止められたはずの一撃を、止められなかった」
「昨日、君が止めなければ俺は死んでいた」
俺は言った。
セリアはこちらを見ない。
「それでも、受けきれなかった」
「なら、次は受け流せばいい」
彼女の瞳がこちらへ向く。
俺は続けた。
「昔の君に戻る必要はないと思う。今の君に合う戦い方を作ればいい」
「簡単に言う」
「簡単じゃない。だからガレスさんの工房にいる」
ガレスがふんと鼻を鳴らした。
「俺を巻き込むな」
「もう巻き込まれています」
「口が回るようになったな、雑用係」
「鍛えられています」
ガレスは面倒そうに盾を手に取った。
「いいか、騎士の姉ちゃん。道具は過去を保存するためだけにあるんじゃねえ。今の使い手を生かすためにある」
彼は盾の縁を叩いた。
「この盾は軽くする。縁に薄い聖銀を噛ませる。受ける面は斜めに削る。正面から耐える盾じゃねえ。攻撃を流し、相手の姿勢を崩す盾だ」
「聖銀を使えば、解呪用の材料が」
「屑を使う。首輪の緩衝輪には使えねえ端材だが、盾の縁なら十分だ」
セリアは盾を見つめた。
「私は、それを使ってよいのか」
「使う気がねえなら捨てろ」
ガレスの言葉は荒い。
だが、そこには侮りがない。
セリアはしばらく黙り、やがて頷いた。
「使う」
「なら手伝え。自分の盾だ」
その日、セリアは初めて工房の作業に加わった。
重い槌は振れない。
だが、金具を磨き、革紐を締め、盾の角度を確認することはできる。
ガレスは厳しく指示を出し、セリアは黙って従った。
俺も隣で作業を続ける。
首輪の緩衝輪に使う聖銀線を伸ばしながら、何度も失敗した。
「力を入れすぎだ」
ガレスが言う。
「鍛冶は殴りゃいいってもんじゃねえ。鉄の逃げ道を見ろ」
「逃げ道」
「人と同じだ。押さえつけるだけなら歪む」
その言葉に、セリアが一瞬こちらを見た。
俺も同じことを考えていた。
首輪も、呪印も、人を押さえつけるための道具だ。
だから歪む。
壊れる。
そして、壊れる時に人を傷つける。
外すには、逃げ道がいる。
夜になる頃、盾は形を変えていた。
以前より少し小さく、軽い。
縁には薄い銀色の線。
表面はわずかに斜めに削られ、攻撃を正面で受けずに流す構造になっている。
新品ではない。
傷も残っている。
だが、その傷が妙に似合っていた。
セリアは盾を腕に通す。
軽く構え、角度を変える。
動きはまだぎこちない。
けれど、昨日より自然だった。
「どうだ」
ガレスが問う。
「軽い」
「不満か」
「いや」
セリアは盾を見つめた。
「生きて戻るための盾だ」
ガレスは満足そうに鼻を鳴らした。
「わかってりゃいい」
工房を出る頃、夜風が火照った体に心地よかった。
セリアは新しい盾を抱え、しばらく無言で歩いた。
宿へ向かう途中、彼女がぽつりと言う。
「レオン」
「何だ」
「私は、もう一度剣を取ってよいのだろうか」
問いは、俺に向けられているようで、彼女自身に向けられていた。
俺は少し考えた。
軽い慰めはたぶん届かない。
許す、などと言う立場でもない。
「君が取りたいなら」
だから、そう答えた。
「俺は、その剣で何を守るのかを一緒に考える」
セリアは足を止めた。
夜の通りで、工房の火が遠くに揺れている。
彼女は盾を胸に抱え、目を伏せた。
「……そうか」
それだけだった。
だが、彼女の声は、檻の中で聞いた時より少しだけ温かかった。
宿に戻ってからも、セリアはしばらく盾を外さなかった。
食事の時も、寝台の横に置く時も、何度か角度を確かめている。
まるで新しい道具ではなく、失くした言葉を取り戻すような手つきだった。
「気に入ったのか」
俺が尋ねると、セリアは少し考えた。
「まだ、わからない」
「そうか」
「だが、嫌ではない」
彼女にとっては大きな前進なのだろう。
俺は机に座り、ガレスから借りた金属加工の覚書を開いた。
聖銀の扱い。
熱を入れすぎないこと。
魔力を流す時は逃げ道を残すこと。
閉じた輪を作る前に、必ず一箇所だけ弱い継ぎ目を用意すること。
首輪を外すための緩衝輪。
それは、力で壊すための道具ではない。
壊れる時に、彼女の喉と魔力路を守るための道具だ。
セリアは盾を見たまま言った。
「レオン」
「何だ」
「私は、まだ貴殿を完全には信じていない」
「ああ」
「だが、盾を直すと言った職人を信じた。貴殿が紹介状を持っていなければ、あの工房には行かなかった」
「つまり?」
「貴殿の選ぶ道を、少しだけ信じる」
遠回しな言い方だった。
けれど、その遠回しさが彼女らしかった。
「十分だ」
俺がそう言うと、セリアは目を伏せた。
「十分、か」
その言葉を確かめるように、彼女は小さく繰り返した。
窓の外では、ラグノールの夜が騒がしい。
酔った冒険者の笑い声。
馬車の車輪。
遠くの鍛冶場の槌音。
王都の祝勝宴とはまるで違う音だった。
けれど俺には、こちらのほうがずっと息がしやすかった。
明日は、解呪素材を本格的に探す。
聖銀草と月光水。
どちらも危険区域にある。
今のセリアを連れて行くべきか、置いていくべきか。
答えはまだ出ない。
ただ、もし同行すると彼女が言うなら、今度は止め方を間違えないようにしようと思った。
守るために遠ざけるのではない。
勝つために役割を渡す。
それが、彼女の誇りを折らずに隣を歩く方法なのだと、少しだけわかってきた。
机の上で、聖銀の覚書が夜風に揺れる。
首輪を外す道はまだ遠い。
だが、壊れた盾は今日、形を変えて戻ってきた。
なら、人だってきっと戻れる。
元通りではなく、今の自分に合う形で。
そう信じるには、十分な夜だった。
明日へ進む理由もある。




