第014話 解呪素材を求めて
翌朝、俺たちはラグノールの西門に立っていた。
空は薄曇り。
森から吹く風には湿った土と若葉の匂いが混じっている。
昨日より少し冷える。
セリアは新しく調整された盾を左腕に通していた。
昨日までの木盾とは違う。
軽く、少し小さく、縁に薄い聖銀の端材が噛ませてある。
正面から受け止める盾ではなく、攻撃を流す盾。
ガレスの言葉を借りるなら、生きて戻るための盾だ。
「違和感は」
俺が尋ねると、セリアは盾をわずかに動かした。
「ある」
「問題か」
「問題ではない。昔の盾と違うだけだ」
彼女はそう言って、少しだけ視線を落とした。
「違うものとして扱えばいい」
その言葉は、盾だけに向けたものではないのだろう。
俺は背嚢の紐を締め直した。
中には薬草袋、水袋、簡易罠、採取用の小刀、ガレスから借りた小型の金属筒が入っている。
金属筒は月光水を採るための容器だ。
普通の瓶では月光水の浄化性が抜けやすいらしい。
今日の目的は二つ。
聖銀草。
月光水。
どちらもセリアの首輪と呪印を切り離すために必要な素材だ。
聖銀草は、森の奥にある銀脈近くに生える。
葉脈が細く銀色に光り、聖属性の魔力を溜める。
月光水は、その聖銀草の群生地に夜露として溜まる水だ。
本来は夜明け前に採るのが一番いい。
ただし今の俺たちが夜の森へ入るのは危険すぎる。
昼でも残っている水脈を探すしかない。
「本当に私が同行してよいのか」
セリアが言った。
「昨日も聞いた」
「昨日とは違う。今日は解呪素材を採りに行く。私が倒れれば、本末転倒だ」
「だから役割を決める」
俺は地図を広げた。
ガレスが教えてくれた古い採取道。
マルタが赤い印をつけた危険地帯。
昨日の泥牙狼変異種の出現位置。
「君は前に出すぎない。盾で受け止めるんじゃなく、俺が採取している間の視界を確保する。魔物が出たら、倒すより進路をずらす」
「護衛ということか」
「そうだ」
セリアは少しだけ目を細める。
「守られる側ではなく?」
「守る側だ。ただし、無理に受け止める必要はない」
「難しい注文だな」
「俺もそう思う」
彼女は小さく息を吐いた。
「だが、承知した」
西門を抜け、森へ向かう。
ラグノールの西森は、王都近くの整備された林とは違う。
木々の間隔は不規則で、足元には湿った根が張り出し、ところどころに獣道が交差している。
魔物の気配も濃い。
俺は歩きながら、道端の草を見ていく。
苦灰草。
火打ち蔓。
水脈苔。
銀砂茸。
目的の聖銀草ではないが、使えるものはある。
採りすぎれば荷物になる。
必要な分だけを摘む。
「貴殿は、歩くのが遅いな」
セリアが言った。
「採取中だからな」
「いや、違う。足が遅いのではなく、視線が多い」
「視線?」
「足跡、枝、草、風向き、土の色。歩くたびに見ている」
彼女は前方を警戒しながら続けた。
「騎士団の斥候とは違う。だが、見ている量は多い」
「勇者パーティでは、それをうろうろしていると言われていた」
「見る目がなかったのだろう」
さらりと言われて、少し返答に詰まった。
セリアはすぐに視線を前へ戻す。
褒めたつもりではないのかもしれない。
ただ事実を言っただけ。
だからこそ、妙に効いた。
森へ入って半刻ほどで、最初の危険があった。
道の先に、赤い実が落ちている。
鳥が食べた跡ではない。
不自然に等間隔。
俺は手を上げ、セリアを止めた。
「罠か」
「魔物の餌場だ」
赤い実は甘い匂いを出す。
小動物を誘い、それを狙う魔物が待つ。
自然にできることもあるが、この並びは違う。
「誰かが置いた」
「冒険者か」
「たぶん」
森の中では、採取場所を独占するために魔物を誘導する者もいる。
ギルド規約では禁止だが、見つからなければやる者はいる。
俺は風下へ回り、足跡を見る。
人の足跡が三つ。
重い荷物。
鉄靴。
それから、小さな爪跡。
「爪鼠がいる」
「低級魔物だな」
「単体ならな。群れだと厄介だ」
俺は苦灰草を砕き、風上へ撒いた。
爪鼠はこの匂いを嫌う。
しばらく待つと、茂みの奥で小さな影がいくつも動いた。
セリアが盾を構える。
「戦うか」
「戦わない」
俺は火打ち蔓を細く裂き、匂いの強い煙を出す。
爪鼠たちは警戒し、餌場から離れていった。
「通るぞ」
「倒さなくていいのか」
「依頼外だ。素材にもならない。怪我の危険だけ増える」
「合理的だな」
「臆病とも言う」
「生きて戻るなら、臆病は悪徳ではない」
セリアはそう言って、先に進んだ。
その背中に、昨日より少しだけ余裕がある。
盾が変わったからか。
それとも、彼女自身が変わり始めているのか。
昼前、俺たちは銀脈の沢へ着いた。
地図では古い採掘跡と記されている場所だ。
岩肌に銀色の筋が走り、水は澄んでいる。
周囲の草の葉脈が、光の角度によって細く輝いた。
「聖銀草だ」
俺は膝をついた。
見つけた。
だが、すぐには採らない。
聖銀草は根を傷つけると力が抜ける。
葉だけを切れば再生するが、呪印に使うなら葉脈が最も光る部分を選ぶ必要がある。
俺は息を整え、採取用の小刀を出した。
「周囲を」
「任せろ」
セリアは背後に立つ。
盾を構え、剣はまだ抜かない。
風を遮らず、俺の視界も塞がない位置。
いい位置だ。
俺は聖銀草の葉を一枚ずつ選んでいく。
銀脈に近すぎるものは魔力が強すぎる。
沢の水に近いものは水気が多い。
中間。
葉先が少しだけ白く光るもの。
切る。
布に包む。
次。
作業に集中していると、背後でセリアが低く言った。
「左、茂み」
俺は手を止めた。
茂みが揺れる。
出てきたのは、大きな蜘蛛のような魔物だった。
脚は六本。
背中に苔をまとっている。
沢蜘蛛。
毒は弱いが、糸で獲物を絡める。
採取中に出会うと面倒な相手だ。
「下がるか」
セリアが問う。
「いや、群生地を荒らされたくない。右へずらせるか」
「やってみる」
セリアは前へ出た。
俺は思わず声をかけそうになり、飲み込む。
前へ出るな。
無理をするな。
そう言うのは簡単だ。
だが、彼女は護衛として役割を持っている。
ここでそれを奪えば、昨日までと同じになる。
セリアは盾を斜めに構え、沢蜘蛛の糸を受けた。
受け止めない。
盾の面で滑らせ、横へ流す。
ガレスの盾が、きちんと機能している。
沢蜘蛛が向きを変える。
セリアは剣を抜かず、足運びだけで進路を塞いだ。
蜘蛛は嫌がり、沢の下流へ逃げる。
倒していない。
だが、追い払った。
「上出来だ」
俺が言うと、セリアは振り返らずに答えた。
「まだ終わっていない」
その通りだった。
聖銀草は必要量に届いた。
次は月光水だ。
俺は沢の岩陰を探す。
月光水は夜露が聖銀草の葉を伝い、銀脈の窪みに落ちたもの。
昼にはほとんど蒸発する。
だが岩陰に残ることがある。
沢沿いを上流へ進む。
そこで、聞こえた。
金属音。
悲鳴。
人の声だ。
「誰かいる」
セリアが剣に手をかける。
俺は地面を見る。
新しい足跡。
三人。
さっきの赤い実を置いた連中かもしれない。
その先、聖銀草の群生地の奥で、冒険者らしき三人組が魔物に囲まれていた。
一人は倒れている。
一人は腕を押さえている。
残る一人が剣を振り回しているが、足場が悪い。
年齢は俺と大きく変わらない。
装備を見る限り、まだ経験は浅い。
革鎧は新しく、剣の鞘には店の刻印が残っている。
採取籠には聖銀草が乱暴に詰め込まれていた。
あの赤い実を置いたのは、おそらく彼らだ。
他の魔物を餌場へ寄せ、採取場を空けようとした。
浅い知識で森を操作しようとして、さらに厄介なものを起こしたのだろう。
助ける義理があるか。
そう考えかけて、やめた。
義理があるかどうかで傷口は塞がらない。
死にかけている者を見つけた時、先に考えるべきことは、助ける価値ではなく助ける手順だ。
それもまた、勇者パーティで染みついた癖だった。
ただし、今回は少し違う。
誰かの命令で動くわけではない。
俺が見て、俺が選ぶ。
「あの三人が罠を置いた可能性がある」
俺はセリアに小声で言った。
「なら、見捨てるか」
「いや。助けた後で叱る」
セリアがわずかに眉を動かした。
「順番としては正しいな」
その声には、ほんの少しだけ騎士らしい安堵が混じっていた。まだ彼女は守る側にいるのだ。
相手は沢蜘蛛ではない。
岩陰から這い出した、白い甲殻の魔物。
銀殻百足。
聖銀草を食う魔物だ。
牙には麻痺毒がある。
俺は息を吐いた。
素材採取だけで終わるはずだった。
予定は、また崩れた。
セリアが俺を見る。
「どうする」
問いは短い。
だが、もう彼女は俺の命令を待っているのではない。
作戦を求めている。
俺は採取袋を背嚢へ押し込み、短剣を抜いた。
「助ける。ただし、正面から突っ込まない」
「承知」
セリアの盾が、朝の光を受けて細く銀に光った。




