第012話 鍛冶屋ガレス
南通りの鍛冶屋街は、朝から熱気に満ちていた。
炉の火。
鉄を叩く音。
煤けた壁。
鉱石を積んだ荷車。
油と革と汗の匂い。
王都の武具店のように、飾られた剣を美しく並べる店は少ない。
ここにあるのは使うための武器だ。
折れた刃。
へこんだ盾。
血の染みた鎧。
鉱山で使うつるはし。
その中でも、ガレス工房は一番奥にあった。
看板は古い。
店先に飾りはない。
ただ、入口の横に置かれた一本の剣だけが目を引いた。
豪華ではない。
宝石もない。
だが、刃の線が美しい。
握った者が生きて帰るための剣。
そんな印象だった。
「ここか」
セリアが呟く。
彼女は昨日の戦闘で壊れた木盾を抱えている。
借り物とはいえ、戦闘で使った以上、修理か弁償が必要だ。
中古の片手剣も刃が荒れている。
俺はマルタの紹介状を確認し、工房の扉を開けた。
熱が顔に当たる。
奥の炉の前で、小柄だが岩のようにがっしりした男が槌を振るっていた。
赤茶けた髭を三つ編みにし、片目の上には古い傷。
ドワーフだ。
槌が鉄を叩くたび、火花が散る。
しばらく声をかける余地はなかった。
男は一連の作業を終え、焼けた鉄を水に沈めてから、ようやくこちらを見た。
「客か」
「マルタさんの紹介で来ました。レオン・グランヴィルです」
俺は紹介状を差し出す。
男は受け取り、ざっと読む。
「ガレス・ドーンだ」
それだけ言うと、紹介状を作業台に置いた。
「で、何の用だ。剣か。鎧か。死にたくないなら盾も買え」
「聖銀加工の相談です」
ガレスの片目が細まる。
「聖銀? 新米冒険者が?」
「解呪に使います」
「解呪屋へ行け」
「首輪と呪印に金属加工が絡んでいます。普通の解呪だけでは危ない」
ガレスは俺を見た。
次にセリアを見る。
彼女の首元を隠す外套。
壊れた盾。
中古の剣。
そして、姿勢。
「そっちの女、騎士か」
「元だ」
セリアが答える。
「今は奴隷身分にある」
「自分で言うのか」
「隠しても、首輪を見ればわかる」
セリアは外套を少し開いた。
黒鉄の首輪と、黒い蔦の呪印。
ガレスの顔から、職人以外の表情が消えた。
彼は近づき、触れずに首輪を見る。
「こいつは嫌な仕事だな」
「見ただけでわかりますか」
「鉄が泣いてる」
ガレスは吐き捨てるように言った。
「首輪なんざ好きじゃねえ。だが、まだ普通の奴隷首輪は道具として作られてる。こいつは違う。人を縛るために、鉄を呪いの芯にしてやがる」
セリアの表情がかすかに動いた。
「外せるか」
「俺だけじゃ無理だ。壊すだけならできる。だが壊せば、その黒い蔦が暴れる」
「同じ見立てです」
俺が言うと、ガレスがこちらを向いた。
「お前が見たのか」
「はい」
「職は」
「……雑用係でした」
ガレスは眉を寄せた。
「ふざけてんのか」
「ふざけてはいません」
「雑用係がこの首輪の構造を読んだって?」
俺は図面を出した。
ガレスはそれを受け取り、最初は疑わしそうに見ていた。
しかし、数秒で目つきが変わる。
「誰に習った」
「独学と、旅の中で少しずつ」
「少しずつで描ける図じゃねえ」
ガレスは図面を作業台に広げた。
「契約線、封印の芯、聖属性の逆流。大筋は合ってる。だが金属の応力が抜けてる」
「応力?」
「首輪の内側に、締まる力が残ってる。契約を切る時、鉄そのものが縮むように作られてる。先に緩衝輪を入れねえと喉を潰す」
俺は思わず図面を覗き込んだ。
見落としていた。
魔術の線ばかり見て、金属としての動きを読めていなかった。
「助かります」
「まだ仕事を受けるとは言ってねえ」
ガレスは腕を組んだ。
「聖銀は高い。加工も面倒だ。金はあるのか」
「足りません」
「正直だな」
「足りない分は稼ぎます」
「皆そう言う」
「素材回収や修理補助ならできます」
ガレスの片目が鋭くなる。
「修理補助?」
「鍛冶師の真似事程度ですが」
「見せろ」
彼は作業台の下から、刃こぼれした短剣を一本出した。
「これを見て、何が悪い」
俺は短剣を受け取った。
刃こぼれ。
柄の緩み。
重心のずれ。
刃だけを研いでも駄目だ。
柄を締め直し、芯を少し削る必要がある。
「刃先より先に柄です。ここが緩んでいる。使い手が右へねじる癖がある。刃の欠けは、その癖で同じ場所に負担がかかったせいだと思います」
ガレスは無言で俺を見た。
「直せ」
「道具を借りても?」
「好きにしろ」
俺は作業台の道具を見た。
どれも手入れが行き届いている。
使うのが少し怖いくらいだ。
柄を外し、芯を確認し、細く削る。
革を一枚噛ませ、握りの角度を調整。
刃は欠けをすべて消そうとせず、戦闘に支障のある部分だけ落とす。
時間はかかった。
だが、手は自然に動いた。
勇者パーティで、何度もやってきた作業だ。
ダリオの剣。
フィーネの短剣。
野営用の鉈。
馬具の金具。
戦場で壊れた道具を、次の日も使えるようにする。
それが俺の仕事だった。
修理を終え、短剣を差し出す。
ガレスは受け取り、軽く振った。
次に革の端を切る。
最後に柄を握り直し、ふんと鼻を鳴らした。
「雑だ」
「すみません」
「だが、使い手を見て直してる」
それは、褒め言葉だったのだろう。
ガレスは短剣を作業台に置いた。
「金が足りねえ分、工房で働け。掃除、炭運び、簡単な修理。逃げたらマルタに請求する」
「ありがとうございます」
「礼は早い。俺は気に入らねえ仕事は途中でも投げる」
ガレスはセリアの壊れた盾を受け取った。
木盾の表面を見て、眉をしかめる。
ギルドへの弁償分は、昨日の報酬からすでに差し引かれている。
それでも、壊れた盾そのものは修理できるなら使いたいとマルタに言われ、俺たちはここへ持ち込んでいた。
「こいつで泥牙狼の変異種を受けたのか」
「受けた」
「馬鹿か」
「必要だった」
「馬鹿の返答だ」
セリアは反論しなかった。
ガレスは盾の亀裂を指でなぞる。
「受け方は悪くねえ。力は落ちてるが、技は死んでない」
セリアの瞳がわずかに揺れる。
「わかるのか」
「盾の壊れ方を見りゃな。正面で潰されたんじゃねえ。流そうとして、最後に力が足りなかった。昔はもっといい盾を使ってたろ」
「白銀の大盾を」
「今はないのか」
「奪われた」
ガレスは舌打ちした。
「道具を奪う奴は嫌いだ。使い手の生き方を奪うのと同じだ」
セリアは何も言わなかった。
だが、指が盾の縁を強く握っている。
「明日から来い」
ガレスは言った。
「首輪の緩衝輪を作る。材料費は働いて返せ。そっちの騎士は、しばらく無茶な盾受け禁止だ」
「私は」
「反論するなら、この壊れた盾を見てから言え」
セリアは黙った。
俺は少しだけ笑いそうになった。
ガレスは俺よりセリアの扱いがうまいかもしれない。
工房を出る頃、日は高くなっていた。
セリアはしばらく無言だった。
「どうした」
「盾を見れば、戦い方がわかると言っていた」
「ガレスさんが?」
「ああ」
彼女は壊れた盾を抱え直した。
「なら、私がまだ騎士であることも、少しは残っているのだろうか」
「残っている」
俺は即答した。
セリアがこちらを見る。
「なぜ言い切れる」
「昨日、俺は君に守られた」
彼女は黙った。
否定はしなかった。
それだけで、今日は十分だった。
宿へ戻る途中、セリアは何度か南通りを振り返った。
「気になるのか」
「あの工房の音が」
遠くで、まだ槌の音が鳴っている。
一定ではない。
強く、弱く、間を置き、また強く。
「聖騎士団の訓練場にも、似た音があった。鎧を直す音だ。遠征前は夜通し鳴っていた」
「懐かしい?」
「少し」
セリアはそう言ってから、自分の首輪に触れかけ、手を止めた。
「だが、私はもう聖騎士団には戻れない」
「戻りたいのか」
「わからない」
彼女にしては珍しく、曖昧な答えだった。
「名誉を取り戻したい気持ちはある。だが、私を切り捨てた場所へ戻ることが、私の望みなのかはわからない」
「急いで決めなくていい」
「奴隷の身で、先のことを考えられるとは思わなかった」
セリアの声は静かだった。
俺は返す言葉を選び、結局、短く言った。
「考えよう。首輪を外した後のことも」
彼女は横目で俺を見た。
「外れる前提なのだな」
「そのつもりで動いている」
「失敗したら?」
「別の方法を探す」
セリアは小さく息を吐いた。
「貴殿のそういうところは、少しだけ厄介だ」
「少しだけか」
「今は、少しだけにしておく」
その声に、ほんのわずかだが笑みの気配があった。
俺はその気配に気づかないふりをした。
指摘すれば、きっと彼女はまた表情を閉ざす。
今はそれでいい。
ほんの少しでも前に進んだなら、それを騒がず置いておきたい。
南通りの槌音は、宿の角を曲がると聞こえなくなった。
代わりに、セリアの足音が隣にある。
鎖の音もまだある。
けれど昨日より、その音だけがすべてではなくなっていた。
金属の音には、いろいろある。
縛る音。
壊れる音。
鍛え直される音。
今の俺には、その違いが少しだけわかる気がした。
次は、その音を首輪に聞かせる番だ。
俺はそう思った。




