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第124話 勇者だった男

「よう、雑用係」


 アルベルトの声は掠れていた。


 それでも、その言葉には昔の棘が残っている。


 俺は一歩、聖剣封印室へ入った。


 五人が横に並ぶ。


 エルヴィアは少し離れた場所で、静かに見ていた。


 アルベルトは白い鎖に繋がれている。


 鎖は金属ではない。


 聖剣から伸びる光の術式だ。


 彼の胸、腕、喉、額へ繋がっている。


 勇者を飾る光ではなく、勇者を逃がさないための光。


「生きていたのか」


 俺が言うと、アルベルトは笑った。


「勇者だからな」


 その言葉に、誰も返さなかった。


 彼自身も、もうその言葉を信じきれていないように見えた。


 頬はこけ、鎧は壊れ、聖剣を握る手は震えている。


 それでも、彼は勇者という肩書きにしがみつく。


「お前、また女を連れてるのか」


 アルベルトの目が五人へ向く。


 セリアが静かに盾を構えた。


 ミュールの耳が伏せる。


 イリスは観測板を握る。


 ロゼッタは冷たい目で彼を見る。


 ナギは無言だった。


「違う」


 俺は言った。


「連れているんじゃない。並んでいる」


「はっ」


 アルベルトは笑おうとして、咳き込んだ。


 鎖が光り、彼の身体を支える。


 まるで、倒れることすら許さないように。


「いい気になりやがって。雑用係が、裁判だの解放者だの」


「まだ俺をそう呼ぶのか」


「そうだろ。お前は俺の荷物を運んでた。俺の剣を磨いてた。俺のために」


「お前のためじゃない」


 昔なら、言えなかった。


 今は言える。


「パーティが進むためにやっていた。お前がそれを、自分のものだと思っていただけだ」


 アルベルトの顔が歪む。


「黙れ」


 聖剣が反応し、封印室の壁が光る。


 イリスが叫ぶ。


「感情に連動しています。聖剣がアルベルトさんの怒りを増幅している」


「俺の怒りだ」


 アルベルトが吠える。


「俺の力だ。俺は勇者だ。選ばれたんだ」


 ロゼッタが壁の記録を見た。


「勇者認定初期記録。選定基準、民衆信仰適性、命令応答性、聖剣同期率」


「命令応答性?」


 俺が聞くと、ロゼッタは頷く。


「勇者として扱いやすいか、という項目です」


 アルベルトが固まった。


「嘘だ」


 エルヴィアは否定しない。


 それが何より答えだった。


 アルベルトの目が揺れる。


「俺は、選ばれた」


「選ばれたのは事実だろう」


 俺は言った。


「ただし、英雄としてだけじゃない。使いやすい勇者として」


「黙れ」


 彼はまた叫ぶ。


 だが、声に力がない。


 聖剣がその弱さを嫌うように光を強める。


 アルベルトの背筋が無理やり伸ばされた。


「俺は勇者だ」


 その言葉は、彼自身の意思なのか、聖剣の命令なのか分からなかった。


 俺は胸の中に、嫌な痛みを感じた。


 こいつは俺を見下した。


 追放した。


 セリアたちを所有物のように扱った。


 許す理由はない。


 だが、今ここにいるのは、制度に飾られ、膨らまされ、最後には鎖に繋がれた男でもある。


 その哀れさを見ても、過去の加害が消えるわけではない。


 両方が同時にある。


 それが、胸を重くした。


 ミュールが小さく言う。


「かわいそう、だけじゃない」


「ああ」


 ロゼッタも頷いた。


「利用されていたことと、誰かを傷つけた責任は別です」


 セリアは盾を下ろさない。


「だから、裁かれるべきものは二つある。アルベルト個人と、彼を勇者として使った制度だ」


 その整理が、俺を少しだけ楽にした。


 どちらか一つにしなくていい。


 憎しみだけでも、同情だけでもなくていい。


 アルベルトは加害者だ。


 同時に、勇者制度に消費された者だ。


 その両方を見た上で、俺は前に進む。


「レオン」


 セリアが小さく言う。


「無理に許す必要はない」


「分かってる」


 俺はアルベルトを見る。


「俺はお前を許しに来たんじゃない」


 アルベルトの目が俺を睨む。


「倒しに来たのか」


「それも違う」


 俺は首を振った。


「もう、お前の価値観で生きないと告げに来た」


 封印室が静かになる。


 昔の俺は、アルベルトに認められたかったのかもしれない。


 役に立つと言われたかった。


 追放が間違いだったと認めさせたかった。


 ざまぁの瞬間を、心のどこかで望んでいた。


 だが今、目の前の男はもう俺の価値を決められない。


 勇者という肩書きごと崩れかけている。


 俺は、そこから降りる。


「お前は勇者だった」


 俺は言った。


「そして、俺を見下した加害者だった。同時に、勇者制度に使われた人間でもあった」


「黙れ」


「どれか一つにしてやるつもりはない」


 アルベルトの顔が歪む。


 聖剣の光が強くなる。


「俺は勇者だ」


 今度は、彼の声と聖剣の音が重なった。


 イリスが観測板を見て叫ぶ。


「聖剣が再接続します」


 鎖がアルベルトの身体へ食い込む。


 彼の目から、意思の光が薄れていく。


 エルヴィアが悲しげに言った。


「勇者は、世界のために必要です」


 アルベルトの口が開く。


 声は彼のものではなかった。


「勇者端末、再起動」


 聖剣が、アルベルトを取り込んだ。


 彼の背中から光の翼のようなものが広がる。


 美しい。


 だが、その根元は全て鎖だった。


 勇者だった男は、もう自分の足で立っていない。


 聖剣が立たせている。


 そして次の瞬間、アルベルトの目が完全に白く染まった。


 それでも、口元だけは歪んでいた。


 笑っているのか、苦しんでいるのか分からない。


「俺は」


 アルベルトの喉が震える。


「勇者、だ」


 その言葉は、聖剣の命令と彼自身の執着が混ざっていた。


 完全に操られているわけではない。


 だからこそ、痛々しい。


 自分でしがみついた肩書きに、今は食われている。


 俺は一歩前へ出る。


「アルベルト」


 白い目が俺を見る。


「お前は俺を追放した。俺を雑用係と呼んだ。俺の価値を決めた気でいた」


 聖剣が鳴る。


「でも、もう違う」


 俺は右手を握る。


「お前が勇者でも、勇者じゃなくても、俺の価値はお前の言葉で決まらない」


 アルベルトの顔が歪む。


 その奥に、ほんの一瞬だけ人間の目が戻った。


「じゃあ、俺は」


 声がかすれる。


「俺は、何なんだ」


 その問いに、俺は答えられなかった。


 答えてやる権利もない。


 アルベルトが自分で見つけるべき問いだ。


 だが、聖剣は待たなかった。


 白い光が彼の喉を締める。


「勇者端末、再起動完了」


 アルベルトの身体が、剣を構えた。


 それは見事な構えだった。


 勇者らしい。


 英雄らしい。


 だからこそ、もうアルベルト自身の構えではなかった。


 セリアが盾を上げる。


 ナギが刀へ手をかける。


 ミュールが横へ跳び、イリスが観測板を開き、ロゼッタが壁の記録へ目を走らせる。


 俺は息を吸った。


 勇者だった男との決着が、始まろうとしていた。


 だが、すぐに踏み込むことはできなかった。


 聖剣の光が床へ流れ、封印室全体を戦場に変えていく。


 円形の広間に、白い線が走る。


 それはただの魔法陣ではない。


 王都の公開裁判で見た紋章。


 聖騎士団の誓約。


 魔塔の実験印。


 黒杯商会の隷属刻印。


 ナギの鍵印。


 これまで俺たちが壊してきた檻の基礎文様が、すべて床に重なっていた。


 アルベルト一人の戦いではない。


 ここに、俺たちが辿ってきた全部が繋がっている。


 セリアが盾を構え直す。


「正面は私が受ける」


「聖剣の出力は、ただの斬撃じゃありません」


 イリスが早口で言う。


「信仰波、命令波、ジョブ補正が混ざっています。盾で受けても、意思へ干渉する可能性があります」


「それでも受ける」


 セリアは即答した。


「私はもう、命令で盾を掲げていない」


 ミュールが横へ低く構える。


「ミュール、鎖を探す」


 ナギが頷く。


「私は継ぎ目」


 ロゼッタは壁の記録を読み続ける。


「聖剣の再起動には段階があります。第一段階、肉体制御。第二段階、勇者人格の固定。第三段階、外部信仰との再接続。第三段階まで進むと、聖都全体の祈りがアルベルト様へ流れます」


「止めるなら今か」


「はい。ただし、今止めれば、彼の自我も一緒に砕ける危険があります」


 俺はアルベルトを見る。


 白い目。


 勇者らしい構え。


 その奥で、一瞬だけ戻った問い。


 俺は何なんだ。


 あれは、アルベルトが初めて勇者以外の自分を見かけた瞬間だったのかもしれない。


 だが、聖剣はその問いを許さない。


 勇者は迷わない。


 勇者は膝をつかない。


 勇者は、民衆のために戦う。


 そういう物語で、彼を塗り潰そうとしている。


「レオン」


 セリアが言う。


「情けをかければ、こちらが死ぬ」


「分かってる」


 ミュールも続く。


「でも、殺すだけだと、檻残る」


「それも分かってる」


 分かっていることばかりが増える。


 答えは一つも簡単にならない。


 イリスが観測板を差し出した。


「レオンさんのマルチジョブなら、接続をずらせるかもしれません。戦士、治癒師、鑑定士、錬金術師、聖職者、全部を少しずつ重ねれば、斬るのではなく外す形にできます」


「外したら、アルベルトは」


「分かりません」


 イリスは正直に言った。


「勇者として保っていた部分が崩れます。たぶん、とても痛いです。彼が自分で自分を見ることになります」


 ロゼッタが静かに言う。


「それは罰ではなく、返却です。自分の人生を本人へ返す」


 ナギが短く言った。


「重い」


 確かに重い。


 アルベルトに自分を返す。


 それは許しではない。


 救済とも言い切れない。


 自分がしたことも、自分がされたことも、全部本人の前に戻す。


 それを受け止められるかどうかは、俺たちが決められない。


 だが、聖剣の中で勇者端末として使われ続けるよりは、人間の地獄だ。


 俺たちが壊そうとしてきたのは、そういう檻だった。


 エルヴィアが遠くから言う。


「それは残酷です」


「管理されるよりか」


 俺は右手を上げた。


「自分で苦しむ方が、人間に近い」


 聖剣が高く鳴る。


 アルベルトが動いた。


 速い。


 白い翼のような鎖が広がり、刃が一直線に俺へ迫る。


 セリアが前に出る。


 盾と聖剣がぶつかった瞬間、封印室に鐘のような音が響いた。


 セリアの誓約痕が光る。


 彼女の膝がわずかに沈む。


「命令波、来ます!」


 イリスが叫ぶ。


 セリアは歯を食いしばった。


「私は」


 盾が軋む。


「私の意思で、ここにいる!」


 光が弾けた。


 その隙に、ミュールが床を蹴る。


 ナギの刀が白い鎖の一本を捉える。


 ロゼッタが叫ぶ。


「右後方、第三接続線!」


 俺は右手を伸ばした。


 戦いは始まった。


 だが、これはアルベルトを倒すだけの戦いではない。


 勇者という檻を、人間の形まで引き戻す戦いだった。



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