第123話 聖剣封印室
聖剣封印室は、神殿の地下にあった。
階段を降りるほど、空気が冷える。
白い神殿の上層とは違い、地下の壁は灰色の石で作られていた。
祈りの文言はない。
代わりに、古代文字が壁一面に刻まれている。
イリスは一歩ごとに観測板へ書き込んだ。
「上層は祈祷と分類。ここは接続と制御です」
「何を制御する」
「勇者です」
その答えに、セリアの表情が険しくなる。
俺の胸にも重いものが落ちた。
勇者。
アルベルト。
追放した側。
見下した側。
王都裁判で崩れた男。
けれど、聖剣に利用されていた可能性がある男。
階段の奥に、巨大な扉があった。
扉の中央には、聖剣の紋章。
その周囲に、奴隷刻印やジョブ登録と同じ基礎文様が走っている。
イリスが息を呑む。
「やっぱり。聖剣術式は、勇者を強くするためだけではありません」
「では何のためだ」
セリアが聞く。
「勇者を世界契約へ接続するためです」
エルヴィアは否定しなかった。
「勇者は、強すぎる存在です」
彼女は扉へ手を触れる。
「だからこそ、世界のために制御されなければならない」
扉が開く。
中は円形の広間だった。
中央に、折れた光のような剣が浮かんでいる。
王都で見た聖剣よりも、弱っている。
だが、まだ生きていた。
刃の表面には無数の文字が走り、柄には鎖のような文様が絡みついている。
俺の右手が反応する。
セリアの誓約痕も熱を持つ。
「聖騎士誓約と似ている」
彼女は呟いた。
「勇者だけでなく、騎士も同じ基礎に繋がっていたのだな」
イリスは観測板を震える手で掲げる。
「勇者認定、聖剣接続、民衆信仰、教会承認。全部が一つの制御環になっています」
ロゼッタが壁の記録を読む。
「勇者の功績は、聖剣管理台帳へ自動記録。失敗は過負荷、暴走は信仰不足として処理」
「つまり」
ミュールが言う。
「勇者がやったこと、全部勇者だけのせいにできる?」
「逆もできます」
ロゼッタの声が冷える。
「勇者が利用されたことを、勇者本人の責任として片づけられる」
アルベルトの顔が浮かぶ。
俺を追放した時の傲慢な笑み。
王都裁判で崩れた顔。
御前試合で聖剣に振り回された姿。
あいつは加害者だ。
それは変わらない。
だが、聖剣が彼を勇者として膨らませ、操り、消費していたなら。
俺の中のざまぁの感情が、別のものに変わっていく。
あいつだけを倒せば終わる話ではない。
あいつを勇者にして、持ち上げ、使い潰した制度がある。
エルヴィアが聖剣を見上げる。
「勇者は民衆の希望です。ですが、希望は暴走します。だから、接続が必要だった」
「接続ではなく、命令だ」
セリアが言う。
「希望を掲げて人を従わせるのなら、それは剣ではなく鎖だ」
その言葉に、聖剣が震えた。
刃の中から、かすかな声が漏れる。
「……俺は」
俺の背筋が冷えた。
広間の奥に、影があった。
最初は壊れた鎧かと思った。
だが違う。
人だ。
白い鎖に繋がれ、聖剣の光に半ば埋もれている。
痩せた顔。
落ちくぼんだ目。
かつて勇者と呼ばれた男。
「アルベルト」
俺が名を呼ぶと、影が動いた。
彼はゆっくり顔を上げる。
唇が裂けたように笑った。
「よう、雑用係」
声は弱い。
だが、その呼び方だけは昔のままだった。
その一言で、過去の匂いが戻ってきた。
野営地の焦げた鍋。
磨かされ続けた剣。
誰の功績にもならない荷物運び。
笑い声。
追放の日の冷たい視線。
俺は、忘れていなかった。
忘れていないまま、ここへ来たのだ。
セリアが俺の横で盾を構える。
ミュールが匂いを読む。
イリスは聖剣の波形を追い、ロゼッタは壁の勇者管理台帳を読み続ける。
ナギは封印室の奥、聖剣とアルベルトの間にある見えない線を見ていた。
俺一人なら、怒りだけで踏み込んでいたかもしれない。
だが今は、隣に五人がいる。
だから、怒りを制度へ向けることができた。
アルベルトは俺だけを見ている。
五人を見ているようで、見ていない。
昔からそうだった。
自分が中心にいる世界しか見えていない。
だから、聖剣にとって扱いやすかったのだろう。
信じたいものを信じ、聞きたい賞賛を聞き、見たくないものを雑用係へ押しつける。
勇者制度は、その弱さを英雄の形へ整えた。
壁の記録が、さらに浮かび上がる。
ロゼッタが読む。
「勇者候補アルベルト。初期同期率、高。民衆信仰吸収効率、高。命令応答性、高。自尊心増幅による戦意維持、良好」
ミュールが顔をしかめる。
「ひどい」
「ええ」
ロゼッタは淡々と頷く。
「褒めているようで、評価しているのは人格ではありません。扱いやすさです」
イリスが観測板を見る。
「聖剣は、アルベルトさんの劣等感や承認欲求を燃料にしています。彼が自分を勇者だと思うほど、接続が強くなる」
「なら、あいつが勇者にしがみつくほど」
「聖剣から逃げられません」
俺はアルベルトを見る。
あいつの傲慢さが、あいつを鎖へ繋いでいる。
だが、その傲慢さを膨らませたのは聖剣でもある。
因果が絡み合い、単純なざまぁではほどけない。
セリアが静かに言う。
「勇者制度は、勇者を英雄にするのではない。英雄の形をした端末を作る」
エルヴィアは否定しなかった。
「端末でなければ、世界を守る力は制御できません」
「人を端末と呼ぶな」
俺の声は、自分でも驚くほど低かった。
エルヴィアは悲しそうに目を伏せる。
「呼び名ではなく、機能です」
その言葉が、決定的だった。
安全装置。
保護区画。
管理者。
そして端末。
エルヴィアはいつも、人を機能として見る。
優しく、大切に、壊さないように。
それでも、人ではなく機能として。
俺はそれが許せなかった。
封印室の壁が、さらに記録を開く。
古代文字が淡く光り、勇者制度の運用記録が流れ始めた。
そこには、歴代の勇者の名があった。
魔王を討った者。
大陸戦争を終わらせた者。
疫病の源を焼いた者。
民衆に讃えられた名が並ぶ。
だが、その横には別の記録があった。
同期率低下。
信仰不足。
自我干渉。
役割逸脱。
封印処理。
セリアの顔が青ざめる。
「封印処理、だと」
ロゼッタが唇を引き結ぶ。
「功績のある勇者でも、役割を外れれば処理対象になっています」
イリスが観測板を見た。
「聖剣は、勇者の力を増幅するだけではありません。勇者の物語を維持する装置です。物語から外れた勇者を、物語の中へ戻す」
「戻らなければ?」
ミュールが聞く。
イリスは目を伏せた。
「物語の外に出た事実を、消します」
封印室の空気が一段冷えた。
歴代勇者の名のいくつかが、途中で欠けている。
英雄譚では、そこで戦死したことになっているのだろう。
だが壁の記録は違う。
戦死ではない。
処理。
俺は聖剣を見る。
光り輝くはずの刃が、今は台帳の針のように見えた。
人の人生を、勇者という項目へ記入し、不要になれば線を引く。
「勇者は希望だと言ったな」
俺はエルヴィアへ向けて言う。
「希望を守るために、希望になった人間を消すのか」
「一人の破綻で、多くの人々の希望が壊れることがあります」
エルヴィアの答えは静かだった。
「希望は、民衆の生存基盤です」
「だから、人間より物語を優先する?」
「時には」
その一言で、セリアが盾を握る手に力を込めた。
「私は聖騎士だった」
彼女の声は低い。
「教会の旗の下で、人々を守ると誓った。だが、その旗が守っていたのは人ではなく、物語だったのか」
エルヴィアはすぐには答えない。
セリアの誓約痕が、青白く光る。
怒りだけではない。
信じていたものが崩れる痛みだ。
俺は彼女の横に立つ。
セリアは俺を見ずに言った。
「大丈夫だ。まだ立っている」
「ああ」
短く返す。
彼女は折れない。
だが、折れないから痛くないわけではない。
それは、ここまで五人が何度も教えてくれたことだった。
アルベルトが鎖の中で笑った。
「何を難しい顔してやがる」
声は掠れているのに、昔のように人を小馬鹿にする調子だけが残っていた。
「勇者は勇者だ。選ばれたやつが勝つ。選ばれなかったやつは、荷物でも運んでりゃいい」
その言葉に、聖剣が淡く反応する。
イリスが小さく呻いた。
「自己認識の固定文言です。たぶん、本人が何度も言っていた言葉を聖剣が補強しています」
「俺の言葉だ」
アルベルトが睨む。
「誰にも言わされてねえ」
たぶん、それも事実なのだろう。
最初は、彼自身の言葉だった。
それを聖剣が拾い、磨き、増幅し、鎖にした。
人は、自分の言葉に縛られる。
俺もそうだった。
雑用係。
役立たず。
追放された者。
その言葉に縛られたままなら、今もアルベルトの前で膝を折っていたかもしれない。
だが、俺にはその言葉を別の言葉へ変えてくれた人たちがいた。
セリア。
ミュール。
イリス。
ロゼッタ。
ナギ。
解放者の家の人々。
俺はもう、アルベルトの言葉だけで形作られていない。
アルベルトは、そうではなかった。
勇者という言葉が、彼の全てになってしまった。
その全てを、聖剣が掴んでいる。
ナギが静かに刀の柄へ手を置いた。
「斬る場所、難しい」
「人を斬れば終わる話ではありませんね」
ロゼッタが言う。
「聖剣との接続、勇者認定の台帳、民衆信仰の回路。少なくとも三つを同時に切らなければ、アルベルト様を倒しても次の勇者が同じ鎖に繋がれます」
ミュールが鼻を鳴らす。
「じゃあ、全部噛み切る」
「噛み切るには硬すぎます」
イリスは震えながらも、観測板に線を引く。
「でも、継ぎ目はあります。聖剣がアルベルトさんの自尊心に接続している部分。そこが一番強くて、一番不安定です」
俺はアルベルトを見る。
強くて、不安定。
あいつそのものだった。
そして、次の戦いの入口でもあった。




