表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

PR
122/145

第122話 仲間だけを救う条件

 白い光の中で、五人の刻印が静かに浮かび上がった。


 セリアの誓約痕。


 ミュールの旧所属刻印。


 イリスの実験印。


 ロゼッタの債務印。


 ナギの鍵印。


 それぞれに亀裂がある。


 だが、まだ完全には砕けていない。


 エルヴィアはそれを、慈しむように見た。


「痛ましい状態です」


「痛ましい?」


 ミュールの声が低い。


「ええ。彼女たちは自分の意思で命令を拒みました。立派です。けれど、その度に刻印は傷を広げ、肉体と精神へ負荷をかけている」


 イリスが唇を噛む。


 事実だった。


 五人の亀裂は希望だ。


 だが、痛みがないわけではない。


「管理者権限があれば、亀裂ではなく解除にできます」


 床下の術式が変わる。


 五人の刻印から赤い命令線が抜け、白い保護線に置き換わる映像。


 痛みのない解除。


 命令波の遮断。


 保護領域の安定化。


 俺の右手が、激しく熱を持つ。


「さらに」


 エルヴィアが手を上げる。


 次に映ったのは、解放者の家だった。


 エナ。


 ダロ。


 コル。


 ロット。


 マルタ。


 リリア。


 ガレス。


 住人たち全員。


 彼らの刻印反応が静まり、家が穏やかな朝を迎える映像。


「あの家を、世界契約の保護区画として登録できます。外部命令波から隔離し、再回収名目を無効化し、住人たちを安定化する」


 ロゼッタが息を呑む。


「保護区画」


「所有ではありません」


 エルヴィアは言う。


「貴方たちが嫌う所有ではない。公的な保護です」


 その響きは甘い。


 解放者の家を守れる。


 五人を完全に救える。


 エナたちも、もう命令波に苦しまない。


 俺は喉が渇くのを感じた。


「代わりに」


 ロゼッタが言う。


「世界契約は温存されるのですね」


「世界契約は必要です」


 エルヴィアは即答した。


「完全な破壊は、世界に混乱をもたらします。奴隷制度だけではありません。ジョブ認定、勇者制御、貴族血統、魔導炉管理。全てが同時に崩れれば、最初に傷つくのは弱い人々です」


 イリスが観測板を握りしめる。


「それも、事実です」


 世界契約が壊れれば、混乱は起きる。


 俺たちはそれを否定できない。


 制度を壊せば、明日から全員が幸せになるわけではない。


 エルヴィアはそこを隠さない。


 むしろ正面から突きつける。


「全員を救おうとすることは、美しい言葉です」


 彼女は俺を見る。


「けれど、多くの場合、無責任です」


 胸を刺された。


 全員は救えない。


 俺自身、さっきそう言ったばかりだ。


「ならば、確実に救える者を救うべきです」


 エルヴィアの声は優しい。


「貴方の大切な人たちを。貴方が責任を持てる範囲を」


 五人と解放者の家。


 俺が責任を持ちたいと思う場所。


 俺の手が届く場所。


 その範囲だけなら、守れる。


 管理者になれば。


 右手が熱い。


 この熱は、欲望だ。


 守りたいという欲望。


 セリアが静かに言う。


「レオン」


「分かってる」


「分かっていない顔だ」


 苦笑しそうになって、できなかった。


 ミュールが一歩前へ出る。


「ミュール、痛いの嫌」


 素直な言葉だった。


「でも、ミュールを言い訳にしないで」


 イリスも続く。


「私も怖いです。完全解除できるなら、欲しいと思います。でも、そのために他の人の檻を残すなら、私は実験体番号と同じです。誰かの都合で安全にされる」


 ロゼッタが帳簿を閉じる。


「契約条件としては魅力的です。だからこそ拒否します。私たちを担保にしないでください」


 ナギが短く言う。


「家を、檻にしないで」


 セリアが最後に言った。


「私たちを守るために、世界の盾を捨てるな。私たちは貴殿の弱点ではない」


 五人の言葉が、右手の熱を少しずつ冷ましていく。


 痛い。


 だが、必要な痛みだった。


 五人は、俺を責めているのではない。


 俺の弱さを知ったうえで、そこに線を引いている。


 俺が守りたいと願うことは否定しない。


 だが、その願いを理由に世界の檻を残すことは許さない。


 そういう厳しさだった。


 その厳しさを、俺はありがたいと思った。


 優しい言葉だけでは、エルヴィアには勝てない。


 痛い線引きが必要だった。


 セリアが言う。


「私たちは貴殿の守るべき荷ではない」


 ミュールが頷く。


「ミュール、歩ける」


 イリスが続ける。


「怖いですが、判断できます」


 ロゼッタが帳簿を叩く。


「契約当事者です」


 ナギが短く言った。


「帰る場所も、行く場所も選ぶ」


 五人の声が、白い保護光に小さな影を落とす。


 その影が、光よりも人間らしく見えた。


 エルヴィアは五人を見て、悲しそうに笑った。


「強い方々ですね」


「強いから拒むんじゃない」


 俺は言った。


「怖いまま拒んでいる」


 エルヴィアは黙る。


 俺は右手を下ろした。


「条件は受けない」


 床下の光が揺れる。


 エルヴィアの表情は崩れない。


「では、貴方にはもう一つ見ていただきましょう」


 白い床に、地下へ続く階段が浮かび上がる。


「勇者制度の核です」


 セリアの顔が変わる。


「聖剣か」


「ええ」


 エルヴィアは静かに頷いた。


「聖剣封印室へご案内します」


 階段の奥から、かすかな金属音が聞こえた。


 それは剣の音だった。


 だが、英雄の剣が鞘から抜かれる音ではない。


 鎖に繋がれたものが、まだ自分を剣だと思い込んで鳴らす音だった。


 階段へ向かう前に、エルヴィアはもう一度だけ俺を見た。


「最後に確認します」


 彼女の声は変わらず優しい。


「貴方は、彼女たちを苦しませる道を選ぶのですね」


 セリアの盾がわずかに鳴る。


 ミュールの耳が伏せる。


 イリスの指が観測板の縁を強く握る。


 ロゼッタが息を止め、ナギが目を細めた。


 俺は、すぐには答えられなかった。


 エルヴィアの言い方は卑怯だ。


 だが、完全な嘘ではない。


 俺が管理者にならなければ、五人はこれからも痛む。


 世界契約に近づくほど、刻印の亀裂は反応する。


 最終的に、もっとひどい命令が下るかもしれない。


 彼女たちを苦しませる道。


 そう呼ばれても、反論しきれない部分がある。


「違う」


 セリアが言った。


「私たちは苦しまされるのではない。苦しい道を選ぶ」


 ミュールも続ける。


「痛いの嫌。でも、勝手に痛くない檻に入れられるのも嫌」


 イリスが震えながら言う。


「恐怖を消されるより、恐怖を説明できる方がいい」


 ロゼッタが帳簿を開く。


「不利益を理解した上で拒否します。契約上、最も重い意思表示です」


 ナギは短く言った。


「選ぶ痛み」


 俺の答えは、五人がもう言っていた。


 俺は頷く。


「俺が苦しませるんじゃない。五人が苦しい道でも選ぶと言っている。その横に立つ」


 エルヴィアは目を細めた。


「それを、愛と呼ぶのですか」


「分からない」


 正直に答える。


「でも、命令よりは近い」


 その言葉に、エルヴィアは初めて少しだけ沈黙した。


 やがて、彼女は階段を示す。


「では、勇者の末路をご覧なさい」


 聖剣の金属音が、地下からもう一度響いた。


 今度は、誰かの呼吸のようにも聞こえた。


 階段の手前で、ロゼッタが足を止めた。


「一つ、確認させてください」


 エルヴィアが振り返る。


「何でしょう」


「管理者継承を受けた場合、レオン様はどこまで命令権を持つのですか」


 その問いに、俺は息を止めた。


 守れる、という言葉ばかり見ていた。


 命令できる、という反対側を見ていなかった。


 エルヴィアは隠さず答える。


「直接命令ではありません。世界契約を介した調整権です。危険行動の停止、役割変更、記憶負荷の軽減、感情過負荷の鎮静、保護区画への誘導」


「十分に命令です」


 ロゼッタの声は冷たかった。


「本人が拒否した場合は」


「拒否理由を解析し、恐怖や混乱が原因であれば補助します」


「補助とは、拒否を無効にすることですか」


 エルヴィアは少し黙った。


「必要な場合は」


 五人の空気が変わった。


 セリアの盾がかすかに鳴る。


 ミュールの指が黒布の下で短剣の位置を確かめる。


 イリスの顔が青ざめる。


 ナギは階段ではなく、エルヴィアの足元の影を見ていた。


 拒否を無効にする。


 それは、奴隷印の命令と何が違うのか。


 言葉は柔らかい。


 手順は整っている。


 痛みは少ない。


 だが、最後には同じ場所へ行き着く。


 本人の拒否が、誰かの判断で取り消される。


 ロゼッタは帳簿に線を引いた。


「この契約は、無効です」


「まだ締結していません」


「だから、締結しません」


 彼女は俺を見た。


「レオン様。私たちは、条件の甘さだけでなく、権限の大きさも見なければいけません」


「ああ」


 俺は頷いた。


 守る権限は、命じる権限に変わる。


 最初は使わないと決めていても、いつか使う日が来るかもしれない。


 エナが外へ出たいと言った時。


 ダロが危険な仕事を選んだ時。


 コルが無茶な治療に走った時。


 五人の誰かが、自分の命を削る選択をした時。


 俺はその権限を使わずにいられるのか。


 使わない自信があると言えるほど、俺は強くない。


 だからこそ、受け取ってはいけない。


 イリスが震えながら言った。


「レオンさんが怖いのではありません」


 彼女は言葉を選ぶ。


「レオンさんが、優しいから怖いんです」


 胸の奥が痛んだ。


 優しいから止める。


 優しいから閉じ込める。


 優しいから命令する。


 その可能性を、彼女は見ている。


 俺も見なければならない。


「ありがとう」


 俺が言うと、イリスは泣きそうな顔で笑った。


「お礼を言われることじゃありません。怖いことを言いました」


「それを言ってくれるのが、ありがたい」


 セリアが小さく息を吐いた。


「貴殿は、守る相手に止められる主人であれ」


「主人じゃない」


「では、隣に立つ者であれ」


 その言い直しに、ミュールが満足そうに頷いた。


 ナギは短く言う。


「止める。何度でも」


 エルヴィアは、そんな俺たちを静かに見ていた。


「不安定ですね」


「そうだな」


 俺は答える。


「でも、人間はたぶん、そのくらいでいい」


 エルヴィアは何も言わず、階段の奥へ視線を戻した。


 金属音が、また一度鳴る。


 今度ははっきりと、誰かが鎖を引きずる音だった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ