表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

PR
116/145

第116話 聖都へ行く理由

 夜明け前、解放者の家の食堂に全員が集まった。


 戦いの後片づけは、まだ終わっていない。


 門は仮補修のまま。


 医務室には反応者が残っている。


 庭の柵も折れたままだ。


 それでも、誰も寝ようとしなかった。


 聖都へ行く理由を聞くために。


 そして、留守をどう守るかを決めるために。


 食堂の机には、修理道具と帳簿と薬箱が同じように並んでいた。


 戦いの前なら、武器だけが目立っただろう。


 今は違う。


 この家を守るものは、剣だけではない。


 水の配分表。


 名前確認の木札。


 医務室の手順書。


 補修用の釘。


 願い箱の紙片。


 そういうものが、剣や盾と同じ重さで置かれている。


 最初に立ったのはセリアだった。


 彼女は盾を横に置き、首元の誓約痕に触れる。


 亀裂は淡く残っている。


「私は聖都へ行く」


 声は静かだった。


「王国の法、教会の誓約、聖騎士の名。その全てが、目の前の人を守るためではなく、人を分類し従わせるために使われているなら、私はそれを見過ごせぬ」


 彼女は一度、ガルドのいた門の方を見た。


「私は王国を憎むために行くのではない。誓いを取り戻すために行く」


 誰も茶化さない。


 セリアの言葉は、盾のように重かった。


 次に、ミュールが立つ。


 黒布を手の中で丸めている。


「ミュールは、夜爪の命令を終わらせたい」


 彼女は言葉を探すように、少しずつ話した。


「逃亡個体とか、処分対象とか、そういう言葉、まだ外にある。ミュールがここで止まっても、他の誰かに届く。だから元を見る」


 黒布を机に置く。


「ミュールは、もう戻らない。でも、戻されそうな人の匂いは分かる。だから行く」


 エナが小さく「ミュール」と呼んだ。


 ミュールは照れたように耳を伏せる。


「いる」


 その返事だけで、食堂の空気が少し柔らかくなった。


 イリスは観測板を抱えて立った。


「私は、怖いです」


 最初の一言が、それだった。


 誰も驚かなかった。


 イリスは続ける。


「聖都の術式は、魔塔より大きい。王都地下より複雑です。私の魔力炉も、また利用されるかもしれません。暴走するかもしれない」


 彼女はそれでも、観測板を机へ置いた。


「でも、見ないまま怖がり続けるのは嫌です。術式を解析します。危険を危険として説明し、止める手順を作ります」


 リリアが手順書を握る。


「先生」


 イリスは少しだけ笑った。


「はい。先生として行きます」


 次はロゼッタだった。


 彼女は帳簿を開かず、閉じたまま立った。


「私は、人を資産にする契約を終わらせに行きます」


 その声には、商人令嬢の礼儀と、債務奴隷だった者の怒りが同時にあった。


「奴隷商会の帳簿は、聖都の認証を使っていました。債務契約も、所有権照合も、保護名目の再回収も、根は同じです」


 彼女は俺を見る。


「契約は、人を縛るためだけのものではありません。約束を守るためのものでもある。私はそれを、奪われた側としてではなく、契約当事者として取り戻します」


 マルタが小さく頷く。


「戻ったら、山ほど書類がありますよ」


「望むところです」


 ロゼッタは少しだけ笑った。


 最後に、ナギが立った。


 彼女は長く黙っていた。


 誰も急かさない。


 ナギは刀の柄に触れる。


「神域鍵」


 短い言葉。


「ナギは、そう呼ばれた。門を開く道具。生かされた理由。死んでもいい理由」


 彼女は首元の鍵印の亀裂へ触れる。


「でも、ここに帰る場所ができた。だから、鍵が何か知りたい。東雲流が何を守っていたのか、ナギが自分で知る」


 少し間を置いて、言う。


「帰る場所を守るために、外へ行く」


 その言葉は、聖都からの命令を聞いた時よりも重かった。


 もう衝動ではない。


 理由になっている。


 五人が、それぞれ自分の言葉で聖都行きを選んだ。


 俺は、その一つ一つを聞きながら思った。


 彼女たちはもう、俺に買われた少女たちではない。


 俺が救ったと胸を張る対象でもない。


 それぞれの傷を持ち、それぞれの怒りを持ち、それぞれの未来を選ぶ人間だ。


 その五人が同じ方向を向いている。


 俺の命令ではなく。


 俺への恩でもなく。


 自分の理由で。


 俺は席を立つ。


 喉が少し詰まった。


「俺は」


 全員の視線が集まる。


「五人を連れていくんじゃない」


 言いながら、自分の中で何かがほどける。


「五人と一緒に行く。解放者の家を置いていくんじゃない。ここが守れる場所になったから、外へ行ける」


 ガレスが鼻を鳴らす。


「ようやく分かったか」


「遅いです」


 マルタが淡々と言う。


 リリアが笑う。


 エナも、ダロも、コルも、ロットも、小さく笑った。


 責められているのに、胸が軽くなる。


 ここはもう、俺一人の保護施設ではない。


 帰る者たちの家だ。


「留守の規約を確認します」


 ロゼッタがすぐに実務へ戻った。


 食料配分。


 水の確保。


 反応者の名前確認。


 ギルド連絡。


 捕縛者の引き渡し。


 門の修理。


 願い箱と苦情箱。


 ひとつずつ確認していく。


 誰かが命じるのではない。


 役割を受け取れる者が受け取る。


 無理な者は休む。


 それを全員で確認する。


 出発の準備は、別れの準備ではなかった。


 家が家であり続けるための準備だった。


 出発前、五人はそれぞれ住人たちと短く言葉を交わした。


 セリアはロットへ、盾の構えではなく逃げ道の作り方を教えた。


「守るとは、必ず前に立つことではない。逃げ道を残すことも守りだ」


 ミュールはエナに、怖くなった時に匂いではなく名前を探す方法を教えた。


「怖い時、近くの人の名前を三つ言う。戻れる」


 イリスはリリアへ、観測板がなくてもできる呼吸確認を教えた。


「魔法がなくても、見られるものはあります」


 ロゼッタはマルタと帳簿を分けた。


「私が戻るまで、無理な契約には署名しないでください」


「それは私の台詞です」


 ナギはダロへ、庭の裏手に残る足跡の見分け方を教えた。


「深い足跡は、急いだ人。浅く続くのは、隠れた人」


 教えるという行為が、別れを少しだけ未来へ変えていく。


 ガレスは門の補修図を広げ、ロットに釘の打ち方を教えた。


 マルタはリリアへ、連絡石の応答文例を渡す。


 エナは名前確認の札を読み上げる練習を始めた。


 ダロは庭の薬草を、危険なものと使えるものに分ける。


 コルは包帯を畳む。


 誰も完璧ではない。


 だが、完璧でないまま役割を持つ。


 それが、この家の強さになっていた。


 俺は一人ずつ顔を見た。


 エナはまだ青白い。


 ダロの手は土で汚れている。


 コルの包帯は少し曲がって畳まれている。


 ロットは今にも逃げたそうな顔をしている。


 それでも、全員がそこに立っていた。


 完璧な留守番ではない。


 だからこそ、命令ではなく選択だった。


 夜が明ける。


 東の空が白み始め、壊れた門の向こうに細い光が差した。


 俺たちは外へ出る。


 セリアが盾を背負い、ミュールが黒布を懐にしまい、イリスが観測板を抱え、ロゼッタが帳簿を鞄へ入れ、ナギが刀を腰に差す。


 俺は振り返った。


 解放者の家の住人たちが、門の内側に並んでいる。


 守られるためではない。


 見送るために。


「行ってきます」


 俺が言うと、エナが答えた。


「ここにいる」


 ダロが続ける。


「薬草、守る」


 コルが薬箱を掲げる。


「帰ったら、手当て」


 ロットが苦笑する。


「逃げるのは、帰ってきてから考える」


 笑いが起きた。


 その笑いを背に、俺たちは歩き出す。


 聖都へ。


 世界契約の本体へ。


 そして、人を主人と奴隷に分ける檻の中心へ。


 道の先には何があるか分からない。


 エルヴィアがいる。


 アルベルトも、聖剣も、まだ終わっていない。


 管理者権限の誘惑は、聖都へ近づくほど強くなるだろう。


 それでも、背後には家がある。


 俺たちが帰る場所。


 そして俺たちがいなくても、自分たちで朝を迎えられる場所。


 その事実が、俺の足を前へ出させた。


 帰る場所があるから、遠くへ行ける。


 守るべき家があるから、家の外の檻を見に行ける。


 その時、空が光った。


 遠く、聖都の方角。


 朝焼けとは違う白い光が、雲の上へ広がっていく。


 巨大な刻印陣だった。


 空に浮かぶ、世界を覆うほどの檻。


 その光が、地上へ淡く降り注ぐ。


 セリアの誓約痕が熱を持つ。


 ミュールの耳が伏せる。


 イリスの観測板が震える。


 ロゼッタの帳簿の金具が鳴る。


 ナギの鍵印が青く光る。


 俺の右手にも、管理者権限の熱が戻る。


 聖都が、こちらを見ていた。


 家を守る戦いは終わった。


 だが、世界の檻は今、完全に目を覚ました。


 俺たちはその光の下で、足を止めなかった。


 足を止めれば、また誰かが命令に戻される。


 だから進む。


 命令ではなく、五人の理由と、家に残る者たちの声を背負って。


 聖都へ向かう一歩は、誰かの主人になるための一歩ではなかった。


 主人という言葉を終わらせるための一歩だった。


 その先に何が待っていても、もう一人ではない。


 五人も、家も、俺の隣にあった。


 確かに、そこにあった。

解放者の家防衛戦は、レオン一人が守る物語ではなく、家も五人も自分で選んで立つ章でした。

次章は聖都と世界契約。主人という言葉を終わらせるため、レオンたちは世界の中枢へ向かいます。

少しでも続きが気になったら、ブックマーク・評価・いいねで応援していただけると励みになります。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ