第4話 川辺で光る見慣れない植物
最初の意見が箱に入ってから二日後、香澄は印刷店の作業台で、画面の中の植物に文句を言っていた。
「光っていません。これは絶対に光っていません」
町の小さな投稿欄に、川辺の写真が載っていたのだ。暗い背景の手前に、白い筋の入った葉が数枚浮かんで見える。『川辺で光る見慣れない植物。東橋への道案内をしてくれた』とある。
葉の縁には小さな粒が並び、写真の端には窓枠が写っている。川辺作業室の近くらしい。
「写真だけで絶対と言い切れるの?」
背後から来た聖子が、携帯電話をのぞいた。今日は作業室の掲示物を追加注文するため、印刷店へ寄ったところだった。
「少なくとも、電灯のように発光している証拠にはなりません」
「あら、その鉢は私が植えたものよ」
聖子は胸を張った。施設側から使用を認められた花壇の一角に、斑入りの葉物を置いたという。地下室の川側の窓に近く、通りからも見える位置だった。
「いつか町の名所になると思っていたけど、まさか夜に脚光を浴びるとはね」
「浴びているのはたぶん室内の照明です」
「夢のない訂正ねえ」
聖子は笑ったが、香澄の目は写真の説明に戻った。『道案内してくれた』。植物が歩いたわけではないのだから、その部分も間違っている。そう言いかけたとき、二日前の匿名の紙が頭をよぎった。
『東橋へ行くとき、暗いところで分岐がわからなかった。』
投稿者と投函者が同じとは限らない。それでも、暗がりで目印を求めた点は重なる。
「訂正する前に、どこから撮った写真か確かめませんか」
香澄が言うと、聖子は一瞬きょとんとし、持ってきた注文書を作業台に置いた。
「それ、今日いちばんうれしい提案かもしれないわ」
「注文書の誤字を見つけたときよりですか」
「それはあまりうれしくないわね」
午後、仕事の時間を調整した四人は、川辺作業室に集まった。公太郎は腰に巻尺を下げ、湊斗は町が配布した迂回図を透明な袋に入れて持ってきた。聖子が鉢の位置を施設の管理担当者に確認すると、花壇から動かさず、通路側から観察する分には問題ないとのことだった。
「植物を確かめるのに巻尺が要りますか」と香澄が尋ねる。
「葉っぱの幅を測るかと思って」
「知りたいのは葉っぱの成長記録じゃありません」
公太郎は巻尺をしまったが、代わりに小さな方眼帳を取り出した。使い道が変わっても、測ること自体は楽しいらしい。
まず四人は、まだ通れる白環橋のたもとから、町の迂回図に沿って東橋へ向かった。工事開始まで十六日。予告看板には日程も東橋の名前も載っているが、川沿いへ進むと、道が二つに分かれる場所で足が止まった。
「地図の矢印、ここではどちらを指しているように見えます?」
香澄は印刷された細い線を掲げた。右手の道は短いが、少し先で階段を下りる。左手は川から一度離れて回り込み、階段を避けて東橋へ行く道だ。両方を表した線が、縮小した図の上で寄り添っていた。
「短いほうへ行けば着く、という説明だけなら簡単なんだけどね」と湊斗が言った。「荷物を運ぶ人もいるし、階段を使わない道が必要な人もいる」
「そういう人には、長いほうを案内するべきです」
「うん。ただ、長いほうがあると知らなかったら選べない」
分岐の先には既存の案内板があった。近づけば読めるが、曲がる手前からは植え込みの陰に入り、矢印の向きも分かりにくい。香澄が板の正面へ回り込むと、ようやく小さな『階段あり』の文字が見えた。
「印刷ミスではないんです。読ませる位置が違う」
「その区別、記録しておこう」と湊斗が応じた。
公太郎が方眼帳に、撮影地点と見る方向を描いた。香澄は通行人の顔や住宅の表札が入らない位置から、曲がる手前と案内板の正面をそれぞれ撮る。階段の入口も撮影したあと、四人は来た道へ戻り、今度は段差を避ける長いほうをたどった。実際に歩くと、図の余白に押し込められていた距離が足に伝わってくる。
「地図を大きくしただけでも、まだ足りませんね」
香澄は汗ばんだ掌で資料を押さえた。「短い道と長い道を、使う条件ごとに分けて書く必要があります」
湊斗はうなずき、携帯していた紙束を細い紐でまとめ始めた。紐の端が指の間から逃げ、彼は一度ほどいて、左手を使いやすい位置に持ち替えた。
香澄の手が反射的に伸びた。
「私が結びま――」
「必要なら言うよ」
湊斗は声を荒らげなかった。視線だけを紐へ戻し、膝の上で紙束を支え直す。香澄は伸ばしかけた手を引き、何か言い訳をしようとしてやめた。彼ができるかどうかと、自分が手を出したいかどうかは、別の話なのだ。
結び終えると、湊斗は「じゃあ、次は窓のほうを見ようか」といつもどおりに言った。いつもどおりでいてくれることに甘えたくなり、香澄は代わりに方眼帳の写真番号を確認した。
作業室へ戻った頃には、地上階の開室時間が終わりに近づいていた。聖子が地下室の照明を点け、ほかの三人は柵のある公開歩道から花壇を見た。外から窓へ降りられる足場は使わず、鉢にも触れない。
葉の白い斑には、昼間に降った雨のしずくが残っていた。窓の内側から漏れた光がそこに当たり、角度を変えると粒がまたたくように見える。聖子が建物の中で照明を消すと、そのきらめきはほとんど失われた。
「光っていたのは、植物そのものじゃないんですね」と公太郎が感心した。
「そうです。反射です。写真の説明は正確ではありません」
香澄はそう言ったあと、わずかに言葉を付け足した。
「でも、あの道から見ると、ほかに目立つものが少ないのは本当です」
湊斗が川沿いを見やった。鉢の明るさは、窓の灯りが点いているときだけのものだ。歩く人に必要な表示としては、あまりに頼りない。
「だったらこの鉢を、正式な『夜の道しるべ』として宣伝しましょうか」と聖子が言いかけた。
「窓の灯りが消えたら役に立ちません。鉢は動かせますし、町の案内板でもありません」と香澄が答える。
「そうね。私が管理する鉢を、知らない誰かの責任ある道標にはできないわ」
公太郎は方眼帳に、兎の輪郭をいくつも描いていた。
「じゃあ、光る兎を百匹作って、曲がり角に――」
「置けません」
「まだ『置いていい場所を相談する』まで言ってません」
「百匹という時点で道を塞ぎます」
聖子まで笑い出し、公太郎は兎を一匹だけ残して残りを消した。やがてその一匹も消し、代わりに、撮った写真を二枚並べる枠を描く。
「ここから見える景色と、曲がった先の景色。順番に見せたら、初めて歩く人も分かるかもしれません」
香澄は方眼帳をのぞいた。線の多い地図を一枚で理解してもらうより、現地の写真と階段の有無を並べるほうが伝わる場合もある。公式の表示に見せかけず、まず室内で読みやすさを確かめる資料にすればいい。
「私、印刷できます。写真の場所と撮った方向を先に書きましょう」
「兎は一匹も入れられない?」
「最後まで必要なら一匹だけです」
公太郎はそれを、ずいぶん前向きな許可として受け取ったようだった。
作業室の机に戻ると、聖子は記録用紙の見出しを『夜道を照らす、奇跡の葉』から『迂回路の分岐・現地確認』に直した。香澄は今度、それを急いで取り消さずに済んだ。
写真に写った葉は、道を案内していたわけではない。ただ、暗い角で立ち止まった人の視線が、そこへ向いたことは確かだった。香澄は案内板の写真を先頭に置き、次の印刷で誰が何を見て迷うのか、説明できるようにしようと思った。




