089 妖艶なる蛇の誘惑! ミノス王国の第一王女リリス、未知なる「アレス王国」へ赴く
「――まだ、アレス王国へ交渉に行く人材が見つからないみたいですわね、ヨリツナ?」
ヒダ王国の王城。嫡男ヨリツナの元を訪れていた一人の美女が、流し目を送りながらそう尋ねた。
彼女の名はリリス。ヨリツナの正室の姉であり、南の隣国「ミノス王国」の第一王女である。
ミノス王国は、新生アレス王国のさらに南に位置する、蛇獣人の国だ。
獣人とは言っても、人間とほとんど見分けはつかない。ヨリツナの愛する妻もそうだが、舌の先端が二つに分かれている(スプリットタン)ことや、身体の一部に薄く美しい鱗があること以外は、人間以上の美貌を持つ種族だった。
目の前にいる姉のリリスもまた、明眸にて花唇、長く艶やかな黒髪に雪のような白い肌、ほっそりとしてしなやかな腰つき。その妖艶な肢体とたおやかな身のこなしは、男であれば誰もが目を奪われる極上の色香を放っている。
「そうなんです、義姉上。我が国の貴族どもは馬鹿ばっかりで困りますよ……」
ヨリツナはため息をつきながら、リリスの美貌から辛うじて視線を外して応じた。
「早く解決して戦況を安定させて欲しいですわね。私たちにとっても他人事ではありませんのよ?」
リリスの言葉はもっともだった。隣国だと思っていたヒダ国との間に、突如として正体不明の「アレス王国」が割り込んできたのだ。その内情を知ることは、ミノス王国の今後の命運を握る重大事項だった。
「我が城の信頼できる者たちも、表面上はともかく、腹の底では未だにレンを嘲り、侮っている者ばかりです。現状の認識が甘すぎるのです!」
「まあ……。レン国王はそれほど、子供の頃は凡庸に見えたのですね」
リリスがか細くしなやかな指先で、自身のなめらかな頬を撫でる。その何気ない仕草に、ヨリツナはゴクリと喉を鳴らし、再び目を離せなくなる。
「ええ。何故あれほどの強大な国を一瞬で興せたのか、内情が分からず疑問が増えるばかりで……」
「それは困りましたね。私の国でも密偵を放って内情を探ろうとしておりますが、境界の防衛が厳重すぎて全く中に入れず、不安が募るばかりですの」
「はい。国交を断絶している現状、正式ルートでの情報収集はできず、非公式のルートも機能していません。完全にお手上げの状態です」
「――成程。……それならば、私がヒダ国の『特使』となりましょう」
「えっ!? それは止めてください、義姉上! あまりにも危険すぎます!」
ヨリツナは慌てて立ち上がった。
「ふふふ、心配性ですね。ヒダ王国の使者ならいざ知らず、ミノス王国の王女である私を、向こうも無闇に害することは大罪のはずですわ。背後の我が国とヒダ国から『挟撃』される事態を嫌うのは、アレス王国も同じでしょう?」
「そ、それはそうでしょうが……。だったら、わざわざ王女である貴方が危険を冒して行かなくても、代わりの者を立てれば良いのではないでしょうか」
「いいえ、私じゃないと駄目なのです。他人の曇った言葉より、自分のこの目で真実を確かめたいのです」
リリスの強い意志を孕んだ瞳に見据えられ、ヨリツナは気圧される。たまらず、隣に座る自身の正室(リリスの妹)に助けを求めた。
「なぁ、お前からも義姉さんに言ってくれ! 義姉さんがアレス王国に行くのは危険だと!」
しかし、妻はクスクスと可笑しそうに笑うだけだった。
「ふふふ、無駄よ、ヨリツナ。お姉さんは一度言い出したら、我が国の国王(父上)が言っても絶対に聞かないわ。諦めなさいな」
「はぁ……。心配です……」
ヨリツナは頭を抱えた。
(――だが、確かにリリス義姉上に行ってもらうのも、一つの手か……? 幼少期の『無能なレン』という先入観を一切持たない者の方が、ありのままの驚異的な現状を正しく認識し、対等に交渉できるかもしれない……)
ヨリツナの脳裏に、そんな打算がよぎる。
(ふふふ、本当に楽しみですわ……。我がミノス王国が長年打ち破れなかった、あの辺境の英雄コジマ公爵を、一瞬で撃破して建国した男……。その正体を見られるのですもの、他の誰かに特等席を譲るなんて有り得ませんわ。ヒダ王国からの帰り道にそのまま寄れば、父上から反対される心配もありませんしね)
紅口白牙。
クスクスと嫣然一笑したリリスが、艶めかしくペロリと出したその舌の先端は、妖しく二つに分かれていた。
ヒダ国、ミノス国、そしてアレス王国――三国の運命が、この妖艶な蛇の王女の気まぐれによって、大きく動き出そうとしていた。




