008 名付けられたアインス、元薬師と大工の老夫婦がもたらす未来の約束
傾きかけた太陽が街道を赤く染める頃、乗り合い馬車は広々とした安全な野営地へと滑り込んだ。
「はーい、今日はここで野営にしますよ〜!」
御者の威勢の良い声とともに馬車が完全に停止する。御者が手際よく馬を繋ぎ、野営の準備を始めると、護衛の冒険者たちも周囲の警戒を強めながら、薪集めや見張りの配置にと慌ただしく動き出した。
「さあさあ、お腹を空かせた皆さんのために、これから夕食を作りますよ! 一食につき銅貨二枚ですからね〜!」
丸々と太った商人とその使用人の女が、馬車から調理器具を取り出して手際よく火を起こし始めた。この乗り合い馬車では、事前に商人が全員分の食事を用意し、乗客がその都度実費(食事代)を払うことで合意しているのだ。
護衛でも労働力でもない乗客の老夫婦とレンは、今は特に手伝えることもなく、のどかな空気の中でボーっとその様子を眺めていた。
そんな中、眷属となった秋田犬そっくりのコボルトは、ご機嫌に尻尾を振りながらレンと老夫婦の周りをウロウロと歩き回り、あちこちの地面の匂いをフンフンと嗅いでいる。
「――おや、あらあら。こんなところに薬草があるわ」
不意に、元薬師である老夫婦の婦人が、野営地の端に自生している草むらに目を留めて声を上げた。
「可愛いコボルトちゃん、こっちにおいで」
婦人が優しく手招きして呼びかける。
「ワフ?」
(な〜に〜? 美味しいものでもあるのかワン?)
馬車の中ですっかり婦人に懐いていたコボルトは、呼ばれるがままに嬉しそうに彼女の元へと駆け出した。
「薬草ですか?」
レンも興味を惹かれ、コボルトの後を追うようにして婦人の隣へと歩み寄った。
「そう、薬草よ。この薬草はね、根っこを残して葉っぱだけが必要なの。こうして、葉っぱだけを傷つけずに綺麗に採取するのよ。コボルトちゃん、この匂いを覚えられるかしら?」
「ワフワフ!」
(お鼻はとっても利くから、バッチリ大丈夫だワン!)
コボルトは頼もしく胸を張る。
「コボルトはゴブリンと違って手が人間に近いですし、器用だから葉っぱだけの採取もできるかもしれませんね。よし、コボルト、婦人の真似をしてやってみてくれ」
レンは腰に差していた採集用の小さなナイフをコボルトに手渡した。
コボルトは短い手で器用にナイフを受け取ると、婦人の手元をじっと見つめ、その動きを真似るようにして薬草の葉だけをサッと綺麗に切り取ってみせた。
「まあ! そうそう、上手ね〜! 筋が良いわ!」
見事な手際に婦人は手を叩いてコボルトを褒めちぎると、クスッと笑ってレンの方を振り向いた。
「それにしてもレンくん、いつまでも『婦人』って言い方は、ちょっとよそよそしいわ。袖振り合うも多生の縁、って言うじゃない? ……あら、そういえばまだ自己紹介がまだだったわね。私はアンナ。よろしくね」
「あ、はい! アンナさん、こちらこそよろしくお願いします」
「それからね、その子のこともずっと『コボルト』って呼び方のままじゃ改まった方がいいわ。せっかく家族になったのだから、可愛い名前を付けてあげましょうよ」
「名前、ですか……。そうですね、うーん……」
レンは少し考え込み、前世の記憶の引き出しを探った。
「……よし、アインス。アインスにします。分かったかいアインス、君のこれからの名前はアインスだ」
(確か、前世のドイツ語で『1』をアインスって言うはず。俺がこの世界で初めてテイムした、最初の記念すべき眷属だからアインス。うん、ぴったりだ)
「ワフワフッ!!」
(アインス! かっこいい名前だワン! 気に入ったワン!)
アインスは新しい名前が相当嬉しかったのか、レンの足元に体をすり寄せて激しく尻尾を振った。
◇◇
その後、アインスは薬草の独特な匂いを完全に記憶し、アンナに伴われて野営地の周辺を散策しながら、様々な植物の採取方法を教わっていった。
「レンくん、アイちゃんは本当に優秀よ! もう三種類も薬草の匂いと正確な採取の仕方を覚えたわ」
「……あの、アンナさん。『アイちゃん』ですか?」
「ええ、この子は女の子だもの。アインスだから、親しみを込めてアイちゃんと呼ぶわ」
「えっ、女の子だったんですか……」
レンが驚いてアインスを見ると、アインスは「ワフン」と少しおすましした顔で小首を傾げた。
「そうですか。アインスに根気強く採取の仕方を教えてくださって、本当にありがとうございます」
「いいのよ。退屈で寂しい旅路になるかと思っていたけれど、こんなに楽しくなったんだから。ねえ、あなた?」
アンナが優しく微笑みながら、隣で静かに見守っていた旦那に同意を促した。
「あお、そうそう。私の名前はバークと言います」
日焼けした顔の、いかにも頑固だが優しそうな老人が一歩前に出て名乗った。
「私はね、街で長く大工をしていましてな。体を壊して引退したのを機に、妻と一緒に地方ののどかな田舎で、余生をゆっくり暮らそうとこの馬車に乗ったのです。妻がこうして楽しそうにしてくれているのが、何より私にとっても助かります」
「バークさんですか。……そう言っていただけると、俺としても本当に救われます。あの、もし良ければなのですが、目的地に着くまでの移動の間、アインスの面倒をアンナさんと一緒にお願いしても宜しいでしょうか?」
「いいですとも! こちらからお願いしたいくらいさ」
バークは豪快に笑い、温かい目でレンを見つめた。
「レン殿は、辺境の開拓村で村長をされる予定なのでしょう? 我々もその近くの地方に腰を落ち着けるつもりです。村に行って、もし建物や大工仕事のことで何か困ったことがあったら、いつでも訪ねてきなさい。私に出来ることなら、何だって手伝いましょう」
「おお……! 本当ですか! そう言っていただけると、めちゃくちゃ心強いです!」
大工のベテランが味方になってくれるなど、これから村を開拓していく身としてはこれ以上ない僥倖だ。レンが顔を輝かせると、アンナがクスクスと楽しそうに肩を揺らした。
「あらあら、二人とも。まだ次の街にすら着いていないのに、ずいぶんと気が早いんじゃないかしら?」
「ははは! 確かに最もだな、これは一本取られた」
バークが頭を掻き、レンも一緒に声を上げて笑った。
パチパチと薪がはぜる音と、商人たちが作るスープの香ばしい匂いが野営地に広がり始める。
実家での冷遇から一転、温かい人々と、優秀なもふもふの相棒アインスに囲まれながら、レンはこれからの開拓生活への希望を確かに膨らませていくのだった。




