060 愚者たちの進軍と、鉄壁の防壁――アキツナ、獲物(地獄)を前にして悦に浸る
ヒダ国が隣国との戦争の準備を進める中、国王の執務室では重苦しい空気が漂っていた。今回の戦には、次期国王たる嫡男ヨリツナも初陣として出陣することが決まっており、国王ヨショリとヨリツナは軍の編成や兵糧についての最終打ち合わせを行っていた。
そこに、ノックもそこそこに現れたのが、廃嫡された次男アキツナであった。
「父上、これから始まる戦争では、大量の回復薬が必要になるでしょう。噂によれば、あのレンに任せた辺境の開拓村には、使い切れないほどの回復薬が大量に転がっているとか。国の一大事です、これを全て供出させましょう。私が直々に赴き、取り上げて参ります!」
「ふむ……」
国王ヨショリは、アキツナの言葉の裏にある私怨と野透きの魂胆をすべて見抜いた上で、冷酷に顎を撫でて考え込んだ。
(隠密の報告すら遮断するあの開拓村の実態……。ちょうどいい、アキツナを噛ませ犬として使ってみるか)
「良かろう。行って来い」
「父上!」
嫡男ヨリツナが「これでは無駄な身内の争いが起きる」と慌てて止めようとしたが、国王はそれを手で制し、取り合うことなく断を下した。
「有り難き幸せ……!」
床に伏せた顔に、クツクツと邪悪な笑みを浮かべるアキツナ。彼はすぐに踵を返し、勝ち誇った足取りで国王の執務室を後にした。
「……宜しいのですか、父上。この戦を前にして、兄弟同士争わせることになりますよ。今は国力を外に向けるべきでは?」
なおも食い下がるヨリツナに対し、国王ヨショリは低く笑った。
「くくく、アキツナが上手く立ち回って富を持ち帰ればそれで良し。もし上手く出来なければ……レンがそれだけの頭角を表すというだけのことだ。どちらに転んでも王家は損をせん。獅子は我が子を千尋の谷に落とすというが、競わせるのもまた経験だろう」
国王はそう言い放つと、興味を失ったように冷徹な目で窓の外の王都を見下ろした。
◇◇
数日後、アキツナは隣領である辺境の街へと到着し、あの陰険な領主と秘密の面談を行っていた。
「アキツナ様、ようこそお出で下さいました。お待ちしておりましたぞ」
領主が揉み手をしながら、いやらしい笑みで出迎える。
「ふん、こんな埃っぽくて汚い街にあまり用はないんだがな。父上の許可を得て仕方なく来てやったぞ。それで、約束通り兵は貸して貰えるんだろうな?」
「はい、もちろんでございます。いつでも動かせる精鋭を準備しておりました」
すべては辺境の街の領主の計画通り、お膳立ては完璧だった。
これが国対領地の反乱なら王軍が動くが、今回赴くのは廃嫡されたとはいえ「元王子」のアキツナだ。名目は「王命による回復薬の供出」。
つまり、ただの『王族の兄弟喧嘩』という形になる。これなら、王家が「息子を殺された」という大義名分を盾に、この辺境の街へ軍を派遣してくる言い訳を完全に潰せる。
(ふははは、盛大な兄弟喧嘩のついでに、あの生意気なレンの村を占領し、どさくさに紛れて王子二人をともに『戦死』として殺してしまえば……。あとはそのまま村を我が領地に組み込み、なし崩し的にあの莫大な富を手に入れるだけよ!)
領主は腹の底で暗黒の笑みを爆発させていた。
「おいおい、いつまでこんな狭い部屋に居させるつもりだ。サッサと極上の寝室に案内しろ。長旅で疲れてるんだ、酒と女も最高に上等なのを用意してるんだろうな?」
そんな領主の恐ろしい腹の内など1ミリも気づく様子なく、アキツナは傲慢にブツブツと文句を言い散らしている。
(ふん……偉そうにふんぞり返りおって。この足りん頭のクソ馬鹿王子の言葉に付き合うのも、あの村を手に入れるまでの我慢だ)
領主は冷ややかな目でアキツナの背中を見送った。
◇◇
翌日。アキツナは辺境の街から借り受けた500人の兵を従え、意気揚々と開拓村への進軍を開始した。
「はぁ……しかし、こんなド田舎に住んだところで、何も面白いことなんかねえな」
豪華に装飾された騎竜の竜車に揺られながら、アキツナは日中から高級な酒を煽っていた。その隣には、昨日一晩の伽を勤めさせた若い女を侍らせ、下品に腰を抱き寄せている。
そんな竜車のすぐ外を進む歩兵たちの間では、不穏な空気が流れていた。
「おい……もうじき、その開拓村とやらが見えて来るはずだが――」
前方を見つめていた一人の兵士が、突然言葉を失って足を止めた。
その視線の先。かつてはただの寂れた廃村だったはずの場所には、下手な一等領地の城塞都市すら生ぬるいと感じさせるほどの、圧倒的な高さと厚みを誇る巨大な石造りの防壁が地平線を埋め尽くすようにそびえ立っていた。
「な、なんだありゃ……。おい、お前は前に一度ここに来たことがあるんだろ? 聞いてねえぞ、あんな大層なもん!」
「ああ、俺も驚いた……前に来た時よりさらに守りが固くなってやがる。おいおい、こんな場所、まともな攻城兵器もなしに本当に攻略できるのかよ?」
怯え始める兵たちを、隊長格の男が鼻で笑って宥める。
「バカ言え、力押しで落とす必要なんてねえんだよ。今回はあのバカ王子が王家の正式な命令書を携えて来ているんだ。いくらレン王子が立て籠もろうが、中に入れない訳がない。王の命令を拒否すればそれこそ反逆だからな。……つまり、中に入っちまえばこっちのもんだ」
「なるほどな……。中に入りさえすれば、あのクソ生意気で調子に乗ってるレン王子も、どさくさに紛れて殺っちまっても良いんだろ?」
「しっ! 声が大きい! 余計なことは喋るな、周りに聞かれたら不味いだろ」
「ああ、すまんすまん。……ちっ、それにしても、あの上で呑気に酒を飲んで、戦場に女まで連れてきやがって……。あのクソ王子のことも、タイミングを見て後ろから必ずぶっ殺してやるからな……」
兵士たちがそんな恐ろしい暗殺計画をヒソヒソと囁き合っているとは露知らず。
アキツナは竜車の窓から見えてきた壮大な防壁を、うっとりとした目で見つめていた。
「良いね、良いねぇ……! あの下手な都市より立派な城塞が、今日から全部俺のモノになるのか。それに、中には数え切れないほどの回復薬と、コボルトたちが稼ぎ出した莫大な金が眠っている……。ククク、わざわざこんな最果ての田舎まで足を運んでやった甲斐があるってもんだ!」
アキツナは、自分の足元へと迫る破滅の足音に全く気づかないまま、ただひたすらに下卑た笑みを浮かべてニヤニヤと妄想に耽るのだった。




