006 最弱から最強のもふもふへ!? 初テイムと驚異の生活魔法
狂ったような飢餓の目をギラつかせ、涎を垂らしたコボルトが、猛烈なスピードでレンの目と鼻の先まで迫る。
(うはっ! 脚が速いとは聞いてたけど、あっという間に来やがったな!)
前世のゲーム知識の通り、ゴブリン以上の俊敏性にレンは内心で肝を冷やす。だが、恐怖よりも先に、コボルトテイマーとしての本能が体を突き動かした。
「だから下がってって言ったでしょ、このおバカ!!」
背後から緊迫した叫び声が響き、魔法使いの女がレンの前に割り込むように回り込んだ。彼女は鋭い目つきで木製の杖を構え、至近距離での迎撃魔術を放とうとする。
「待って! 撃たないで!」
レンは魔法使いの制止を振り切り、さらに一歩前へと踏み出した。そして、迫りくるコボルトの濁った瞳を正面から見据え、魔力を込めて右手を力強く突き出す。
「――『テイム』!!」
レンの掌から淡い光の波紋が放たれ、突進してきたコボルトの全身を包み込んだ。
その瞬間、ガウッ!と牙を剥いていたコボルトの動きがピタリと止まる。狂気に染まっていた瞳からすうっと血の気が引き、まるで魔法が解けたかのように、その場に突っ立ってキョトンと首を傾げた。
そして……。
「ワフ、ワフ、ワフ、ワフ、ワフ、ワフ、ワフ、ワフ、ワフ、ワフ、ワフ、ワフ、ワフ!」
(お腹空いたワン! お腹空いたワン! お腹空いたワン! お腹空いたワン! お腹空いたワン! お腹空いたワン!)
コボルトの口から、信じられないほどの高速連打で甘えた鳴き声が飛び出してきた。
(お、おおっ……! 本当にコボルトの心の声が、日本語で脳内に直接聞こえてくるぞ!)
レンは感動に震えながら、目の前の小さな魔物に視線を合わせる。
「……なぁ、そんなにお腹が空いてるのか?」
「ワフ、ワフっ」
(そうなの! もうペコペコなんだワン!)
コボルトはちぎれんばかりに尻尾を振り、健気に何度もコクコクと頷いてみせた。
(素晴らしいな。俺の言葉も完璧に理解できているようだ)
◇◇
「……ちょっと、あんた。もしかしてテイマーだったのね」
すぐ横で杖を構えていた魔法使いの女が、信じられないものを見るように眉を顰めた。しかし、完全に戦意を失って尻尾を振るコボルトの姿を見て、ゆっくりと杖を降ろす。
「フン、テイマーだからってさ。わざわざこんな弱っちいコボルトなんかテイムしなくてもいいじゃん。何の戦力にもならないよ?」
街道の屋根から、軽い身のこなしで狩人の女が飛び降りてきた。彼女はコボルトを鋭く睨みつけつつも、敵対の意思がないと判断したのか、手にした弓を背中へと背負う。
「そうそう。それに何より……すっごく汚いし、臭いし……うぅ」
魔法使いの女は思い出したように自分の鼻を指でつまみ、くぐもった声で顔をしかめた。
「グルルルルル……!」
二人の女冒険者から放たれる明確な嫌悪と敵意を感じ取ったのか、コボルトはレンを庇うように一歩前に出て、再び鼻頭にシワを寄せて激しく唸り始める。
(た、確かに……間近で見ると、めちゃくちゃ汚いし猛烈に臭うな……。野生の腹ペコ動物だし仕方ないけど)
密かに顔を顰めたレンは、これ以上のいざこざを防ぐためにコボルトの頭に手を置いた。
「こら、二人に攻撃しちゃダメだぞ。警戒を解きなさい」
レンが優しく命令すると、コボルトは一瞬で牙を引っ込め、耳をペタンと寝かせてしょんぼりと縮こまった。
「キュゥン……」
そのあまりにも哀れで情けない鳴き声に、その場の空気がふっと和らぐ。
「おやおや、まあまあ。よく見たら、とっても可愛いワンちゃんじゃない?」
その時、馬車の手すりをつかみながら、乗客の老夫婦の婦人がゆっくりと街道に降りてきた。驚くべきことに、その手には携帯食料である大きな干し肉の塊が握られている。
「本当にお腹が空いているのね。さあ、これをお食べなさい」
上品に微笑む婦人は、コボルトのすぐ目の前にぽんと干し肉を置いてやった。
「ワフ、ワフ、ワフッ!!」
(やったーー! 本物の肉だワン! ごちそうだワン!)
コボルトは目を輝かせ、短い尻尾をプロペラのように激しく振り回しながら、狂ったように干し肉の塊を貪り食い始めた。
「――『クリーン(洗浄)』」
肉を食べるコボルトを見つめながら、婦人が優しく呪文を唱えた。
瞬間、柔らかな光の粒子がコボルトの体を包み込む。すると、こびりついていた泥汚れや凝固した血痕が瞬く間に剥がれ落ち、ツンと鼻を突いていた強烈な獣臭まできれいに消え去っていった。
クリーンは、この世界における基本的な「生活魔法」の一つだ。魔法使いのような戦闘用魔力がなくても、一般人がごく少量の魔力を消費するだけで発動できる、対象を清潔にするお役立ち魔法である。
生活魔法によって本来の姿を取り戻したコボルトを見て、レンは息を呑んだ。
「え……これ、コボルトなのか……?」
綺麗になったその姿は、前世の日本においてマタギ犬、あるいは有数の大型狩猟犬として知られる高貴な『秋田犬』にそっくりだったのだ。毛色は額の周りや背中、手足に綺麗な茶色が入る美しい赤毛。しかも、その被毛はみっちりと詰まった二重構造のダブルコート――。
そう、のちにレンの最高の相棒となる記念すべき第一のコボルト、最高峰の『高モフモフ』を誇るコボルトであった。
「あ、嘘……もふもふ……っ!」
「え、何これ!? すっごいもふもふになったじゃない!」
さっきまで「汚い」「臭い」と鼻をつまんでいた魔法使いと狩人の女が、一瞬で目をハートに変えた。両手をワキワキと怪しく動かしながら、吸い寄せられるようにコボルトへとジリジリ近づいていく。
しかし、当のコボルトは大きな干し肉の塊をあっという間に完食すると、満腹になった満足感からか、大きくて丸いあくびを一つ漏らした。
「ワフ、ワフぅ……」
(お腹がいっぱいになったら、急に眠くなってきたワン……)
コボルトはその場にごろりと横たわると、自分の尻尾を枕にするように丸くなり、すやすやと寝息を立て始めてしまった。
「よしよし、可哀想に。こんなところで寝たら風邪をひいてしまいますから、一緒に馬車へ行きましょうね」
婦人は全く物怖じすることなく、丸まったコボルトを愛おしそうにひょいと抱きかかえると、そのまま楽しげに馬車へと戻っていった。
(おいおいおい……俺がマスター、俺がテイマーなんだけどなぁ……!)
完全に置いてけぼりを食らったレンは、自分の従者を我が物顔で運んでいく婦人の後ろ姿を、ただ呆然と見送るしかなかった。
「あああ~っ! 私のもふもふが~!」
「待って、私にも触らせて! あんなに綺麗になるなんて反則よ!」
魔法使いと狩人の二人は、我を忘れてフラフラと婦人の後を追いかけ、吸い込まれるように馬車の中へと消えていく。女性陣は完全にもふもふの虜になってしまったようだ。
◇◇
「はぁ……。まぁ、女性陣がああなっちまったら仕方ないか」
いつの間にかレンのすぐ後ろに立っていた御者の男が、やれやれと肩をすくめて呟いた。
「そうですな。女性陣は全員馬車に引っ込んでしまった。ここは我々男手だけで、手早く後始末を済ませてしまいましょう」
御者の提案に、老夫婦の旦那、そして丸々と太った商人の男が同意して腕をまくる。彼らは街道に転がっている、他のコボルトたちの死骸を手際よく一箇所に集めてくると、ナイフを使って手慣れた手つきで解体し、心臓付近から小さな「魔石」を次々と取り出していった。
レンも遅れてはならないと、地面に取り残されたコボルトの死骸をよいしょと引きずって集め、周囲の大人たちの見様見真似で、ナイフを使って魔石を取り出す作業を手伝った。
「はぁ……。一応、私も『女性』のはずなんですけどねぇ……」
商人の若い使用人の女が、馬車の中からのキャアキャアという黄色い歓声を聞きながら、ブツブツと不満げに毒づいた。彼女は手に持った油の小瓶を、魔石を抜き取ったコボルトの死骸の山へと豪快に振りかける。
「――『ファイア(火付け)』!」
彼女が短い呪文を唱えると、油を吸った死骸の山へ一気に火が燃え移り、激しい炎を上げて燃え上がった。
「こうして未練なくきれいに燃やしておかないと、この乱世の淀んだ魔力でゾンビとして動き出したりするからな。戦国時代の鉄則さ」
老夫婦の旦那は深く腕を組み、パチパチと音を立てて灰になっていく魔物の山を静かに見つめていた。
「おっ! こっちも無事に片付いたようだな!」
死骸の処理がちょうど終わった頃、前方の魔物を完全に殲滅した大剣のリーダー剣士と、槍術士の男が馬を駆って戻ってきた。周囲の状況を確認し、被害がないことに満足げに頷く。
「よし、それじゃあ出発するか。夜が明ける前には次の宿場へ着きたいからな」
御者がパンパンと衣服の埃を払って御者席へと戻ると、レンたち男衆もそれぞれの荷物を持って馬車へと続いた。
馬車の中に乗り込むと、そこには婦人の膝の上で完全に仰向けになり、無防備なヘソ天ポーズで女性陣にこれでもかとモフモフされているコボルトの姿があった。
「ワフ~ン……(極楽だワン……)」
レンと目が合っても、コボルトはトロンとした目で尻尾を小さくぴこぴこと振るだけ。
(……まぁ、可愛いから許すか)
レンは苦笑しながら、新しく得た頼もしい(?)もふもふの相棒と共に、開拓村への旅路を再開するのだった。




