135 軍神のときめきとアレスの真実! 歪んだ理想郷の果てに見つけた光
「エチラル王国女王ヴァイシュラ様。窮地を救っていただき、心より感謝いたします。アレス王国国王のレンです」
レンはいつになく真剣な表情を浮かべ、一国の王として改めてヴァイシュラへ丁重に挨拶を交わした。
「アレス王国王妃のヘレナです。危ないところを、うちのコボルトごと助けていただき本当にありがとうございました」
ヘレナもまた、隣でヴァイシュラに向かって深く頭を下げる。
二人の真っ直ぐな謝意を受け、ヴァイシュラはどこか決まり悪そうに視線を落とし、小さく首を振った。
「いえ……女王は先ほど引退いたしました。今の私は、ただのヴァイシュラです。それよりも……驚きました。本当に貴方方が、あのアレス王国の国王と王妃なのですね」
「ええ、一応は。間違いなく国王ですよ」
レンが苦笑交じりに答えると、ヴァイシュラは彼を凝視したまま、言葉を慎重に選ぶようにして続けた。
「……およそ国王らしくありませんね。い、いや! 決して悪い意味ではないのです。ただ、部下の方々と随分フランクな関係を築かれているようですし、何より……これほど多くの見事なモフモフたちに囲まれているのが、その、羨ましいというか、なんと言うか……」
「あはは、そうですよね。国外の要人の前でこんな風に崩した態度を取るのが不味いのは重々分かっているのですが、昔からの腐れ縁と言いますか……どうしても直せないのですよ」
「……失礼ですが、レン様を含めて、皆さんは平民の御出身なのですか?」
ヴァイシュラは思わず、胸の内で確信を持って呟いていた。
(このような暖かく対等な関係、男尊女卑と特権意識に塗れた我が国の貴族社会では絶対にあり得ないわ。きっと、平民から実力で成り上がった傑物たちの集まりに違いない)
しかし、レンから返ってきた言葉は、彼女の予想を小気味よく裏切るものだった。
「いや、僕はヒダ国王の息子――つまり一応は王族の生まれですし、ヘレナは伯爵家の令嬢ですよ。まあ、他のメンバーは元冒険者だったりしますけどね」
「ええ。私も一応は貴族の娘として育ちましたし、立場上は今も貴族ですわ。あ、はじめまして。アレス王国で軍師を務めております、サンディと申します」
レンの背後からひょっこりと顔を出したサンディが、完璧な礼法でヴァイシュラに微笑みかける。その肩書きと性別を耳にした瞬間、ヴァイシュラに衝撃が走った。
「ぐ、軍師……!? 女性でありながら、一国の軍略を司る軍師を務められているのですか?!」
「そうですわ。アレス王国において、性別による差別など何の意味も持ちません。女性であっても能力さえあれば、それを十全に発揮して国に貢献してもらうべきです。……ねえ、エリー、ダリア?」
サンディから突然話を振られ、後方で控えていた二人が慌てて居住まいを正した。
「えっ、ちょっとサンディ、いきなりこっちに振らないでよ! ……あ、名乗り遅れてしまい大変失礼いたしました。アレス王国第一騎士団団長のエリーです」
「同じくアレス王国第二騎士団団長を務めております、ダリアです」
「……同じく、ゲイルだ」
「あ~、ちなみに俺は将軍をやってるフェルダーだ。よろしくな」
「私は国王の側仕えをしているロジーナよ。というかヴァイシュラ様、うちの国はむしろ重臣の女性比率の方が圧倒的に高いわよ。そこの王妃様が、事実上の宰相として国政のすべてを切り盛りしているくらいだしね」
ヴァイシュラがすでに「女王を引退した」と宣言したのを聞いたロジーナは、いつもの不敬極まる平常運転へと戻り、あっけらかんと言い放った。
「そう……なんですね。能力のある者が、性別に関係なく正当に評価され、国を動かしている……。本当に、とても素晴らしいことだと思います……!」
ヴァイシュラの切れ上がった美しい瞳が、みるみるうちに少女のようにキラキラと輝きを帯びていく。
男たちの醜い嫉妬と偏見にまみれたエチラル王国で、どれほど結果を出しても認められなかった彼女にとって、アレス王国のあり方はまさに奇跡のような理想郷に思えたのだ。
(……この若さで女王を電撃引退だなんて、一体何があったんだ? エチラル王国の噂は耳にしていたけど、やっぱり根深い性差別か何かが原因なのかな。女王なら強権を発動して男どもを黙らせることもできたと思うんだけど……何かそうできない事情があったんだろうか)
そんなヴァイシュラの、感動と一抹の寂しさが入り混じった横顔を見つめながら、レンは静かに思考を巡らせていた。
すると、ヘレナが優しく微笑みながら、先ほどレンを身を挺して守った忠義の犬を呼び寄せた。
「さて、改めてうちの子を助けてくれてありがとうございました。ほら、こっちに来なさい。貴方からもちゃんとお礼を言いなさいよ」
「わんわん!」(ヴァイシュラ様、助けてくれて本当にありがとうワン!)
ブラッドハウンドのコボルトが、短い尻尾をちぎれんばかりに振りながらヴァイシュラの足元にすり寄る。
「本当に、健気で良い子なんだから……」
ヘレナが愛おしそうにブラッドハウンドのコボルトの頭を撫でているのを見て、ヴァイシュラは我慢できなくなったように、顔をほんのり赤らめて恐る恐る尋ねた。
「あ、あのぉ……っ。不躾ながら、私も……その子の頭を、少しだけ撫でさせていただいてもよろしいでしょうか……?」
「ええ、もちろん良いですよ! ほら、撫でてほしいって。良いわよね?」
「わんわん!」(もちろん大歓迎ワン! 撫でてワン!)
ヘレナがブラッドハウンドのコボルトの背中を優しく押して前に出すと、コボルトは自ら進んでヴァイシュラの膝元に大きな頭を差し出した。
「――まぁ……! なんて、なんて可愛らしいのかしら……!」
ブラッドハウンドのコボルトの健気な動作を目にした瞬間、ヴァイシュラは思わず素の声を上げた。それは、戦場を支配した『軍神』の冷徹な声とはおよそかけ離れた、年相応の女性らしい、弾むような高いトーンだった。
「あら、この子で良いのかしら? 向こうにはもっと毛並みがフサフサで、いわゆる『モフモフ』な可愛い子たちもたくさん控えていますよ?」
ヘレナがツヴァイやノインを指差して笑うが、ヴァイシュラは大きく首を横に振った。
「いいえ! 私は、この子が抜群に良いのです! 確かにあちらの子たちも大変愛らしいですが、このお顔の深い皺ですとか、首元のデューラップ……この喉の皮のたぷたぷとしたたるみ具合が、たまらなく愛おしいじゃないですかぁ……!」
ヴァイシュラは完全に瞳をハートマークにしながら、ブラッドハウンドのコボルトの頭を何度も優しく撫で回し、その魅力的な喉元のたるみを両手でたぷたぷと触りまくっている。その表情は、先ほど九頭竜の首を神速で跳ね飛ばした人物と同一とは到底思えないほど、完全に骨抜きにされていた。
「……確かに、ちょっとブサ可愛い系統だけどね。まさかそっちがストライクゾーンだったとはねぇ」
夢中になってコボルトと戯れる元女王の姿に、ロジーナが呆れたように、しかしどこか温かい眼差しを向けながら、ぽつりと呟くのだった。




