122 血に染まる約束の地! 突然のクーデターと、黒き影の嗤い声
「……ん? あれは、ただの鳥じゃねえな」
国境を目前に控え、御者台のアハトとノインが最初に異変に気づいた。並走するドライとフンフも、鋭い視線を頭上の空へと向ける。
「ワォン」(烏だワン)
「ガウ!」(飛行機か?ワン)
「わんわん」(いや、この世界に飛行機はないだろ! ヤタだワン!)
コボルトたちの犬語の応酬に、竜車の窓から顔を出したレンが上空を見上げた。
「ヤタ……? どうしてここに」
「どうかしましたか、レン様?」
リリスが心配そうに問いかける。
「ヘレナの眷属である八咫烏のヤタだ。王都の留守番を任せていたはずなのに、こんなところまで飛んでくるなんて、尋常じゃない」
レンが竜車の窓を大きく開け放つと、黒い影――ヤタが滑り込むように室内へ入ってきた。ヤタはレンの膝の上に着地すると、その鋭い嘴で自らの足をトントンと叩く。そこには、小さな筒に丸められた緊急の手紙が括り付けられていた。
レンは素早く手紙を外し、広げる。その内容に目を通した瞬間、レンの顔から完全に血の気が引いた。
「っ……!? な、んだって……っ!」
驚愕のあまり、言葉を失うレン。
「レン様、何が書いてありましたの……?」
リリスが胸騒ぎを覚えたように、レンの顔を覗き込む。
「……直接、読んだ方が早い。――アハト! 竜車を止めろ!」
レンは震える手でリリスに手紙を渡すと、御者台のアハトへ叫んだ。急ブレーキの音を立てて竜車が止まる。
「見ても……よろしいのですね?」
リリスが恐るおそる手紙を広げ、そこに並ぶ文字を追った。
「え……? 嘘、でしょう……? そんな……あ、お父様、お母様……っ!」
手紙を持つリリスの白い指先が、ガタガタと目に見えて震え始める。その瞳からは、みるみるうちに涙が溢れ出していた。
「ちょっと、どうしたのよ!?」
「何があったっていうの!?」
「ただ事じゃないわね……」
ダリア、エリー、ロジーナが騒然とする中、竜車が止まったことで、外を騎竜で並走していたフェルダーとゲイルも異変を察知して集まってきた。
レンは奥歯を噛み締めながら、竜車から降りて全員を見つめた。
「――ミノス王国で、大規模なクーデターが発生した。首謀者は、庶子の王子。……現国王と王妃は、すでに殺害された」
「っ……な、んだと……!?」
フェルダーが絶句する。
「それだけじゃない。リリスの実の弟たちも、末の弟を除いて全員暗殺されたそうだ。末の弟だけは、たまたま王妃の実家にいて無事だったらしく、現在は忠臣たちに保護されているみたいだけど……」
「うはぁ……。こりゃあ、最悪のタイミングだな。オミランへ遠征中の俺たちのことも、当然そのクーデター派に筒抜けだろう。確実に、リリス様の首を狙って待ち構えているぞ」
フェルダーが苦々しく剣の柄を叩く。しかし、レンの瞳に宿る炎は消えていなかった。
「作戦を変更する。オミラン王国襲撃は全面中止。――これより、ミノス王国を電撃奇襲する!」
「敵の本陣へ直行か。当然、罠もあるだろうが……」
「ああ、分かっている。だけど、リリスの両親の敵討ちだ。僕の婚約者を泣かせた奴らを、このまま生かしておけるわけがない。やるしかないだろう!」
レンの決意に、かつての仲間たちが不敵な笑みを浮かべた。
「覚悟があるなら、どこまでもお供するぜ。行くか!」
「ええ、行きましょう!」
「大切な身内をやられて、黙って引き返せるわけないじゃない」
「その生意気な庶子王子とやらを、完膚なきまでにぶっ飛ばしてやろうよ!」
フェルダー、ダリア、エリー、ロジーナが即座に応じる。ゲイルも無言のまま、鋭い手つきで騎竜の鼻面を回し、もと来た道へと方向転換させた。
「ちょっ、ちょっと待ってくださいな……っ!」
竜車から這い出るようにして降りてきたリリスが、涙を流しながらレンの腕を強く掴んだ。
「私のために、そんな無茶な……無謀なことはお止めくださいまし! 一度アレスに帰り、軍を整えてからでも遅くは――」
「リリス。どうせオミランを力ずくで攻め落とすつもりでここまで来たんだ。それが、たまたまミノスに変わっただけだよ。何の問題もない」
真っ直ぐに自分を見つめるレンの瞳に、リリスは言葉を失った。申し訳なさ、悔しさ、悲しさ、そして自分を命がけで守ろうとしてくれるレンへの愛しさがごちゃ混ぜになり、涙で顔をぐしゃぐしゃにしながらも、小さく頷いた。
「……ありがとう、ございます。……そこまで仰ってくださるなら、王都へ向かう途中で、どうしても寄っていただきたい場所がありますわ」
「分かった。案内してくれ。――よし、それとここからの行軍だけど、コボルトたちは一旦、全員送還する。この大所帯のままじゃ、ミノスの反乱軍に一目で動きを察知されるからな」
その言葉に、大人しく控えていたナンバーズたちが一斉に吠え立てた。
「ワォンワォン!」(マスターが心配だワン!)
「ガウガウ!」(置いていくな、一緒に行くワン!)
「ワンワン!」(リリス様を守るワン!)
「バウバウ!」(敵が来たら俺たちが全員噛み殺すワン!)
「ウォンウォン!」(マスターの盾になるワン!)
「ガフガフ!」(腹が減っても絶対に頑張るワン!)
「わんわん……」(リリス、泣かないでワン……)
フィアが、ドライが、ツヴァイが、フンフが、ノインが、アハトが、そしてツヴェルフが、必死になって主の周りで反対の声を上げる。
「みんな、気持ちは嬉しいけど駄目だ。現地に着いたら、一番いいタイミングで必ずまた召喚する。だから……今は大人しく帰りなさい。――『送還』!」
レンがスキルを作動させると、光の粒子と共にコボルトたちが一斉に影へと消えていく。残されたのは、7人の人間と、緊迫した空気だけだった。
◇◇
その頃。
今回のクーデターで血に染まった、ミノス王国の王城・玉座の間。
新たな王を気取る庶子の王子が、冷酷な笑みを浮かべて玉座に深く腰掛けていた。その傍らには、漆黒のフードを深く被り、禍々しい魔力を放つ不気味な男が影のように佇んでいる。
「ふははは……! 計画通り、愚かなる父も兄たちも全て片付いた。これでこのミノスは私のものだ。……して、『六天魔王』の使者殿。我が国内を通過中の、アレスの小童どもの様子は?」
フードの奥から、蛇のように冷たく、昏い声が響く。
「……ククク。手紙を受け取り、案の定、こちらへ引き返してきておりますよ。愛しい婚約者のために、自ら罠の張られた戦場へ飛び込んでくるとは……実に哀れで、御しやすい覇王だ」
「フン、所詮は成金国家のガキめ。ミノスの精鋭と、お前たちから与えられた『あの力』があれば、アレスの騎士団など一揉みにしてくれるわ。リリスの首と共に、あの生意気な小童の首も並べてやろう」
「ええ……。どうぞ存分に、たのしみを。オミラン進出の芽を摘み、アレスの力をここで削ぐ……。我が主、六天魔王様も、貴方のその『英断』を大層喜ばれておりますよ……ククク、ハハハハ……!」
冷徹なる覇王レンの進撃の裏で、大陸の南に君臨する巨大な闇――『六天魔王』の国の魔の手が、確実に、そして冷酷にアレス王国へと伸びようとしていた。




