107 絶望の退却行! 容赦なき挟撃と、崩れ落ちる「武威の象徴(ヒダ国王)」
「陛下! ダメです。もう、前線がもちません!」
「ぐぬぬ……エマの奴らめ。ここぞとばかりに全勢力で攻め込んで来るとは……っ!」
ヒダ王国国王軍とエマ王国軍の戦いは、完全にエマ王国軍へと大勢が傾いていた。長年の好敵手とはいえ、背後(南)を完全に突かれた動揺と、最初から総力戦を仕掛けてきたエマの圧倒的な物量の前に、最強を誇った国王軍の防衛線はズタズタに引き裂かれていた。
「やはり、全軍には全軍でなければ対抗は出来ぬか。……仕方ない、一時退却だ! 王都へ退き、城に籠城して奴らを迎え撃つ!」
「籠城、ですか!?」
「ああ。ヨリツナが南でレンの小癪な軍を蹴散らし、すぐに戻って来るはずだ。それまで耐える! ヨリツナの軍が戻った瞬間、エマの軍勢を前後から挟撃するしかあるまい!」
「な、成る程……!」
「急げ! 殿は我が息子たちに任せる。一歩も引くなと伝えよ!」
「ははっ! なんとしてもやり遂げる所存です!」
国王は、我が子でありながら虎の子の最高戦力でもある、高いスキルを持った庶子(側室の子)たちの精鋭部隊を容赦なく殿に残し、自身は一刻も早く態勢を立て直すため、急ぎ王都へと馬を走らせるのだった。
最悪の鉢合わせ、神速の布陣
その頃、鬱蒼とした街道の先で。
「ワンワンワンワン!(マスター! 前方から大勢の『人間の匂い』がこっちに向かって走って来るワン!)」
ゴールデンレトリーバー風の大型コボルト・ツヴァイ(2)が、その優れた嗅覚と聴覚で、必死に退却してくるヒダ王国軍の接近をい早く感知した。
「ん? エマ王国にここまで攻め込まれたのか?」
レンは眉を顰める。
「バウバウバウバウ(いや、マスター、武器のぶつかり合う音はしないワン。戦いながら走っている様子は無いワン!)」
シベリアンハスキー風のコボルト・フンフ(5)が、三角形の耳をピクピク、鼻をクンクンと忙しなく動かして付け加える。
「まさか……ただの退却? ――ヒダの国王軍が、負けたのか……?」
幼い頃、城の雑用係としてあの国王の圧倒的な武威と強さを見ていたレンは、一瞬信じられないといった表情を浮かべた。
レンの予定では、ヒダ王国軍とエマ王国軍が激しく激突している最中に横から割り込み、圧倒的な数とコボルトの暴力で両軍を一気に丸呑みにするつもりだったからだ。
「ワォンワォン(マスター、獲物が向こうから勝手に逃げてくるワン。どうするワン?)」
フラットコーテッドレトリバー風の黒毛もふもふ・フィア(4)が、愛らしく首を傾げてレンの顔を覗き込む。
「……フッ、やる事は変わらないよ。逃げ惑う敗残兵だろうと、アレスの敵だ。跡形もなく蹂躙するまでさ」
「ウォン(任せてワン!)」
「ガフ(残さず蹂躙ワン!)」
ワイマラナーのアハトとボルゾイのノインが、牙を剥き出しにして力強く応えた。
「――全軍、出陣だ。召喚!!」
レンが力強く右手を掲げると、街道を埋め尽くすほどの数千匹のコボルト突撃兵が影から一斉に湧き出した。
「ゲイル、エリー、ダリア! 退路を求めて逃げてくるヒダ王国軍を、正面から完全に踏み潰してこい!」
「承知!」
「ふふ、任せて!」
「よっしゃあああああ! 暴れるぜぇ!」
レンの側には、ロジーナ、アハト、ノインを筆頭として、地球の戦国時代における『馬廻衆(本陣護衛の精鋭)』に匹敵する、最強の側仕えコボルトたちが絶対防御の盾として残る。
そして、ゲイルとフンフが率いる槍の暴風・第二騎士団を先頭に、ダリアとフィアが率いる魔力の業火・第三騎士団、エリーとツヴァイが率いる必中の大矢雨・第四騎士団が、大地を鳴らして凄まじい速度で進軍を開始した。
無慈悲なる蹂躙の雨
「ひ、陛下! 前方、王都へと続く街道の先から、正体不明の巨大な軍勢が迫って来ます!」
「な、何いいぃ!? 何処の兵だ? 数は如何ほどだ!」
退却の馬を走らせていた国王が怒声を上げる。
「は、旗が無いので何処の国かは分かりませぬ! しかし、数は我が軍の……――」
報告の途中、前方から空を覆い尽くすほどの巨大な火の玉が、容赦ない勢いで放たれた。ダリアとフィアの、息の合った一斉魔法爆撃である。
ドガァァァァン!!!
「うわあああああっ!?」
「ぎゃあああああああ! 火だ、火の壁だぁ!」
「ぐっ、軍使も出さずに、いきなり無差別に攻撃しやがった……ッ!」
混乱に陥るヒダ王国軍に対し、間髪入れずにエリーとツヴァイの弓術隊から、逃げ場のない矢の雨が嵐のように降り注ぐ。精密に急所を貫く矢の前に、前線の兵士たちがバタバタと倒れ伏していく。
「――全軍、突撃ィィィ!」
「ガウウウウウ!!!(突撃いいい! 敵を一人も通すなワン!)」
ゲイルとハスキー犬フンフの地響きのような号令とともに、ギラギラと輝く槍を構えた数千のコボルト槍隊が、爆炎の煙を割って猛烈な速度で躍り出た。
「い、犬の魔物が、兵士のように鎧を着て武器を持って襲ってきたぞ!?」
「くっ、信じられん、強すぎる! 攻撃が重いっ!」
「前方は総崩れだぁぁあ! 逃げろ、引き返せ!」
エマ王国との戦闘で精神的にも肉体的にも完全に疲れ果て、一刻も早い休息(王都)を求めて退却中だった兵たちは、この完璧すぎるタイミングでの奇襲に対抗する術など持っていなかった。アレスの鉄の規律を持つコボルトたちによって、文字通り一方的に踏み潰されていく。
王の悟り
凄まじい爆音と悲鳴が本陣にまで近づく中、血塗れの伝令兵が国王の前に転がり込んできた。
「へ、陛下……っ! 犬の魔物どもが、統率された兵士のごとく武器を構えて襲来しました! 数は不明ですが我が軍の倍以上、さらに一匹一匹の練度が我が国の精鋭を遥かに凌駕しており、とても持ち堪えられません! この本陣にも、直ぐに到達するでしょう……!」
「犬の魔物……。コボルト……、そうか、レン、あの小僧か……。ということは、南のヨリツナは……負けたのだな」
国王はがっくりと肩を落とし、煙に霞む暗い空を見上げた。ヨリツナが負けた。その事実が意味するのは一つしかない。
「陛下! お討ち死に召されるな、どうかこちらへお逃げ下さい!」
「逃げる? フッ……一体どこへ逃げると言うのだ。ここまでレンの兵が平然と進軍してきているということは、ヨリツナの軍は全滅し、我が王都もすでに陥落しているのだろう。前にはレン、後ろにはエマの軍勢。逃げ場などどこにも無いわ」
国王は腰の至宝の剣をすらりと抜くと、かつてないほど冷徹で、どこか哀愁を帯びた眼光を前方に向けた。
「どうせ死ぬなら、他国のエマの奴らより、かつて我が城にいた身内の手にかかろうか。……レン、あの雑用係がどれほどの男になったのか、最後に我が一目で、この目で見届けてやろうではないか」
崩壊していく自軍の悲鳴を背に、ヒダ王国国王は、己の人生の最期を悟ったかのように、静かにレンたちの本陣を迎え撃つ覚悟を決めるのだった。




