102 哀れな過去の亡霊たち! 勘違いの女王と老執事、特大の「炎弾」に包まれる
レンは愛竜ドラッヘの背から優雅に降り立つと、硝煙の立ち込めるヒダ王城の回廊をゆうゆうと歩き出した。
その両脇には、一歩も引かずに付き従うワイマラナーのコボルト・アハトと、背筋をピンと伸ばしたボルゾイのコボルト・ノイン。一国の王たる圧倒的な風格が、今のレンには備わっている。
そこへ、右腕を負傷し、血まみれの剣を杖代わりに立ち上がった一人の騎士が、怒りで顔を真っ赤にして怒鳴り散らしてきた。
「お、お前は……雑用係のレンッ! こんな大それたことをして、ただで済むと思っているのかああああ! 恩知らずのクソガキがぁっ!」
レンは歩みを止めず、心底退屈そうに首を傾げた。
「ん? ……君、誰だっけ?」
「俺を覚えてないだとおおお!? 散々こき使ってやったあの高貴な騎士団の先輩、この俺を忘れたとは言わせんぞ!」
「うん、全然覚えてない」
「貴様ぁ! 飢え死にしそうだったお前に、俺が飯を食わせてやった恩を忘れたかぁ!」
「飯を……?」
レンはそこでようやく記憶の片隅を掘り起こし、冷酷に目を細めた。
「ああ。犬の餌にもならないような、あんたたちのドロドロの食べ残しを、床にぶち撒けて無理やり食わせようとしたあの悪趣味な男か。――ノイン、斬れ」
「ウォン?(食べ残しを? ……万死に値するワン!)」
レンの言葉が終わるか終わらないかの刹那、ノインの姿がその場から文字通り「消えた」。
超高速の踏み込みで瞬時に男の懐へと滑り込み、腰に差したマチェット(大型短刀)を流れるような美しい演武の軌跡で一閃させる。
ザシュッ、と短い音が響き、自分が斬られたことすら気づかぬ絶叫の表情のまま、男の首がゴロリと床に落ちた。不快な過去の残滓を一つ片付け、ノインはフサフサの胸毛を張って美しく刀身の血を払う。
周りからは、城内の抵抗勢力をあらかた片付け、返り血で毛並みを汚したコボルトたちが、誇らしげにレンの元へと集まってきた。
レンはそのまま開け放たれた謁見の間へと入り、かつて自分をゴミのように見下ろしていたヒダ国国王の玉座へと、ゆっくりと腰掛けた。
「ふむ……。何か思うところがあるかと思ったが、本当に何も感じないな。ただの、座り心地の悪い椅子だ」
「わんわんわんわん!(マスター! 奥の区画で、往生際悪く『アレスの指揮官を出せ』と偉そうに喚いているバカどもがいるワン!)」
そこへ、お髭がキュートなミニチュアシュナウザー風のコボルト騎士が小走りで入ってきて報告する。
「よし、行ってみようか。懐かしい顔ぶれの同窓会になりそうだ」
裸の女王、吠える
ミニチュアシュナウザーのコボルトに案内され、城の最奥の防衛区画へと進むレンたち。
「あ、陛下。お疲れ様です」
そこには、元朝焼けの光のエリーと、ゴールデンレトリーバーのツヴァイ、その他数十匹のコボルトたちが、通路の奥を包囲していた。
「奥の部屋に引きこもっている奴らが、陛下と直接話をさせろって言って出てこないんですよ。面倒だから一斉突撃で圧殺しようと思ってたところです。どうします?」
エリーが淡々と弓をもてあそびながら尋ねる。
通路の奥を見ると、豪華な家具を壊して作ったお粗末なバリケードの裏で、ガタガタと震えながら弓や杖を構えた数人の近衛兵。そして、その中央でひときわ豪華なドレスを着た中年の女が、金切り声を上げていた。
「レン! 貴方ね、その薄汚い魔物たちを連れて城を荒らしているのは! 今すぐここから出て行きなさい! もうすぐ国王とヨリツナが軍を率いて戻ってくるわよ!」
レンはエリーの手を軽く制し、バリケードの奥を冷ややかに見据えた。
「なあ……あんた、誰? 抵抗するなら容赦なく殺すけど、いいの?」
「な、何てこと言うの! 私はこのヒダ王国の女王よ! 国母たる私の顔も忘れるなんて、どこまで不敬な奴なの!」
「女王? ああ、あの高慢ちきなヨリツナの母親か。俺には何の関係もないな」
レンは冷たく鼻で笑った。
「良いか、現実を見ろ。これは戦争で、この国はもう終わりだ。ヒダ王国はアレス王国に完全に負けたんだよ。大人しく降伏して俺に逆らわないなら、奴隷として命だけは救ってやるが……どうする?」
「きいいいいーーーっ! 雑用の分際で、生意気な口を利き飛ばしなさい! ここを出て行くのです、これは女王の命令ですよ!」
「そうです! レン、貴様如きドブネズミが、この歴史ある王城で好き勝手できると思っているのか! 命が惜しければその不気味な犬どもを今すぐ屠り、床に跪いて慈悲を乞え!」
女王の隣で、狂ったように杖を振り回して喚き散らす老人が一人。
「ああ……あんたのことは、よく覚えているよ」
レンの瞳に、うっすらと昏い光が宿る。
「いつも用事もないのに俺を呼びつけては、理不尽に殴ったり、冷水を浴びせて楽しんでいたな。国王の元筆頭執事、ジョセフ。……あんた、まだ自分が俺より上の立場にいると思っているのか?」
「くっ……! 良いから、その悍ましい魔物どもをけしかけるのを止めんか! この身の程知らずが!」
「こんな絶望的な状況でも、まだそんな偉そうな口の利き方ができるなんて、ある意味では尊敬に値するよ。――だけど、残念ながら、そんな傲慢な無能は俺の国には一切必要ないんだ」
「え……ひ、気安く無能などと、ど、どうするつもりだ……っ!」
ジョセフが引きつった顔で後退さりかけた時、さらにバリケードの奥から、贅肉を揺らした一人の大男がギチギチと大剣を鳴らしながら現れた。
「おい、レン! そこまで言うなら俺と正々堂々勝負しろ! 俺が勝ったら、お前たちはこの城から今すぐ這い出ていけ!」
「ああ、あんたも覚えているぞ。俺を人一倍『しごいた』と言い訳しながら、ただの憂さ晴らしでボコボコに痛めつけてくれた、城の剣術指導役の先生だ」
「フン、それはお前のためにわざわざ鍛えてやったことだろ! そのお陰で、今そんな生意気な口を利けるだけの根性がついたはずだ。感謝されてもいいくらいだな!」
「そんなクソみたいな根性、最初からいらないんだよ。――それよりあんた、本当に頭が悪いのか? この圧倒的な包囲網の中で、俺がわざわざリスクを冒して一騎打ちの決闘を受けるメリットが、一体どこにあるんだ?」
「ひ、卑怯者め! そんな魔物の数に頼って攻め込みやがってぇぇ!」
「はぁ……もう良いだろう。こいつら、脳みそまで特権階級の特効薬で腐りきっていて、一生俺に従う気がないことだけは完全に証明された」
レンが冷たく言い放ち、背後を振り返る。そこへ、遅れて合流したダリアと、フラットコーテッドレトリバーのフィアがトコトコとやってきた。
「ダリア、フィア。――殺れ。城の修繕費はケチらなくていい。遠慮せず、最大火力でぶっ放せ」
「や、止めろ! 騎士らしく決闘で、決闘で決着を――!」
「嫌ああああっ! 何をする気よ、この獣ども!」
「国王が! 国王軍が戻れば貴様らなど八つ裂きですぞ――!」
「ワォン!(最大火力、了解だワン! 跡形もなく燃やすワン!)」
「ふふ、良いわよレン。まとめて灰にしてあげる」
フィアの黒い毛並みが魔力で逆立ち、ダリアが邪悪なまでの笑みを浮かべて杖を天高く掲げた。
「「――『炎弾』!!」」
ドゴォォォォン!!!
二人の詠唱が重なった瞬間、通路の幅を完全に埋め尽くすほどの超巨大な猛炎の塊が、凄まじい熱風と共に解き放たれた。
「いやあああああああああああっ!!!」
「ぎゃあああああああああああっ!!!」
バリケードごと、女王も、老執事ジョセフも、剣術師範のデブ男も、悲鳴を上げる間もなく一瞬で炎の激流へと飲み込まれていく。
凄まじい爆炎の後に残ったのは、赤々と燃え上がる瓦礫の山と、かつてレンを虐げていた者たちの、見る影もなく炭化して崩れ落ちていく絶望の姿だけであった。




