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夫に捨てられた元男爵夫人は、通信交換手として働きながら第二の人生を始めます  作者: キョクトウシラニチ


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9/17

9、チャーリー・ダイスという男1

お待たせしました!

 チャーリー・ダイス男爵は自分の母に対して、最近非常に反抗心を感じていた。


 前までは母の言いつけを守っていれば、ほとんどのことが順調に進んでいた。


 小さなころから彼女は息子である自分を乳母に預けず、その手で育ててくれた。彼女は厳格でありながらも、自分には優しく良い母だった。

 文官である父と同じ道を進み、官庁の役人になったときも、母は大喜びして自慢の息子だと言った。

 父が急死し、自分がダイス男爵の責務に追われた時にも助言を貰ったし、母は社交界で頑張ってくれていた。


 職務が忙しく縁談が纏まらないときも、母に言われるまま、彼女が見つけてきた大人しい妻を娶った。

 妻は弱小男爵家の娘で、あまり気乗りはしなかったのだが、母が縁談を取り付けてきたため、そのまま結婚した。実家の力が弱い方が従順でいると母が言ったからだ。妻はその通り従順だった。

 自分はオーロラ劇団の看板スターのような、迫力のある美人が好みだったのだが、仕方がない。妻は好みではなかったが抱けないことはなかった。


 しかし、妻の実家は二年もしないうちに没落した。


 没落し始めたころ、妻が申し訳なさそうに持参してきた宝飾金を売ることを伝えてきた。こんなことしかできない役に立たない無価値な女なのだと思うと、余計に妻に対する気持ちは萎えた。


 毎日家に帰るたび、『今離縁を迫ったら、この女はただの平民になる。どれだけ泣きわめくだろうか』という、考えが頭をよぎった。その妄想をすると何だかスッキリした。


 妻の実家が没落した後も、彼女は親族のために身銭を切っていた。なんとなく、夫である自分に頼ろうとしないのが少し鼻についた。

 母はいつも嫁である妻の悪口を言っていた。

 気が利かない。子供が出来ない。実家も役に立たない。要領が悪い。夫人としての自覚がない……云々。


 どうして彼女を選んだのだろう、母が縁談を持ってきたのに……という疑問はあったが、深くは考えず、とにかく母は妻が気に入らないのだと理解していた。


 結婚して二年も過ぎたころ、チャーリーはたまたま仕事関係の知人に誘われて、オーロラ劇団の人気公演を観劇した。

 ポスターで見たことのある女優が、舞台の上で踊り、歌い、笑っては泣いて、チャーリーの感情を揺さぶった。

 それは初めての経験だった。


 他人が踊っているのを見たことは何度もあるのに、チャーリーは舞台の中の彼女に感情移入し、悲しくなったり、嬉しくなったり、自分の気持ちが人によって掻き乱されるという経験を初めてしたのだ。

 それは新鮮な体験だった。


 フワフワとした気分のまま劇場の廊下を知人と歩いていると、ロビーへ出る前の通路に役者が見送りのため一列に並んでいた。おそらく貴族席の者への営業活動であろう。

 その中の主役をしていた女優にチャーリーの心臓は掴まれた。


 ハリエット・レスリー。オーロラ劇団の看板女優。


 大きな黄金色の瞳に、艶やかなダークブラウンの髪。真っ白の肌とメリハリのある肢体。

 舞台の中のままの美しい格好で、目の前に立たれると、その姿は女神のように美しく、整った顔立ちに圧倒される。


 チャーリー・ダイスはこの日、初めて恋に落ちた。


 それからは必死でハリエットを追いかける日々だった。

 彼女主演の劇に週一回は観に行き、お見送りで熱烈に彼女を見つめて賛辞を送った。

 平民出身だけれど人気女優なだけあって、彼女を社交界は放っておかない。いろんなパーティに出席していると聞いては、チャーリーは一人でパーティに参加した。

 彼女はいつも微笑んで話を聞いてくれて、彼女もチャーリーに気があるのを隠そうともしない。視線を合わせてあの笑顔を向けてくるのだから、違いないはずだ。

 他の貴族の男性もハリエットに声をかけていたが、彼女の瞳はチャーリーに向ける眼差しほど蕩けていなかったと思う。


 俺たちは両想いなのだ!


 しかし、大勢参加するパーティで彼女を二人きりになろうと誘おうにも、彼女の周りにはいつも人がいる。

 チャーリーはハリエットを我が家に招待して、二人で一緒に過ごしたかった。食事をして、二人で酒を飲み、楽しい話をして、もし彼女がよければ夜を一緒に過ごしたい。


 チャーリーはやっと合間をみて、彼女を自宅へと誘った。


「もし良ければ、今度我が家のディナーに招待したいのだが」

「はい。喜んで。ダイス男爵にはいつも贔屓にしてもらっておりますもの。是非、奥様を紹介してくださいませね」


「え……妻?」


「はい」

 あの美しい笑みのままで彼女は頷いた。



 チャーリーはこの時、すでに妻のことを忘れていた。

 なんてことだ。彼女は妻に遠慮してこんな事を言っているではないか!

 そうだ。妻は要らない。

 あんな役立たずな妻は要らないのだ。それより、ハリエットと親密になる機会を逃したくなかった。


「いいや、妻はその日は……都合が悪いのだ」

 チャーリーは嘘をついた。本当は妻に用事などない。

「……それは、いけませんわ。既婚者の家に夜に一人ではいけません。貴方のためにも、私のためにも」

 ハリエットは申し訳なさそうに、その長い長い睫毛を伏せた。

「では昼餐ならどうかな?その日は母もいるから!」

 やけくそになってチャーリーは何とか彼女に約束を取り付けるために、必死に言葉を紡いだ。


「昼食なら……」

 ハリエットはその美しく紅を塗った唇を少し上げた。

 その言葉を聞いて、チャーリーは舞い上がった。


 彼女が来る。自分の家に。

 彼女が俺を受け入れてくれたんだ!


 ハリエットにはすぐに招待状を出した。

 それから仕事の合間に、どうやって母を説得するかを考えた。

 弱小とはいえ、男爵家出身の妻でさえ気に入らなかった母だ。平民のハリエットを気に入るとは思えなかった。しかし良い案は考えつかなかった。


 正直に母にハリエットのことを伝えると、彼女は意外にも賛成してくれた。

 どうやら結婚して二年経っても妻に子供が出来ないことと、実家が没落したことで、妻のジェイリーには母も嫌気が差していたらしい。平民であっても、ハリエット・レスリーの名前は母でも知っていて、「それだけ人気がある人なら社交界でもやっていけるでしょう」と太鼓判を押したのだ。


 あっという間に二週間が過ぎ、ハリエットを家に呼ぶ日になった。



 チャーリーはこの日、午前中に妻と別れ、ハリエットに「もう既婚者ではない。気にせず私と一緒になろう」と言うつもりだ。



「急に何なのですか?冗談はよして下さい」


 妻のそんな反抗的な言葉に反射的に手が出た。

 話し合いが上手く行かなければ、少し痛めつけて言うことを聞かせようと思っていたため、想定内のこと。

 子供も出来ないくせに、要領も悪く、ハリエットほどの器量もなく、実家ももう没落した分際で、口答えをするなど、太々しい女だ。

 だから、母と一緒に罵詈雑言を浴びせ、無理矢理にでも離縁届にサインをさせた。


 元妻となったみすぼらしい女には、適当な手切れ金(慰謝料ではない。無駄な二年間を過ごさせられた慰謝料はこっちが欲しいくらいだ)を渡しておいた。


 そして、昼食の前にハリエットを迎え入れた。


 彼女は今日も美しく、輝いていた。


 昼餐の場で、俺は彼女に告げた。


「妻とは別れた。今日、離縁届を出したんだ。だから、君はもう気にしないで良いんだよ」

 もう何も二人の間に何の障害はない。ハリエットが憂うことはないのだ。

 母も同じ席に着いており、私たちの会話を上品な笑みで見守っていた。


 ハリエットは少し驚いた顔をしたが、すぐにニコリと笑った。

「そうですか」

 それだけだったが、彼女の喜びが俺には分かった。

 きっと妻がいなくなり、俺への気持ちを抑えなくてよくなり、安堵しているのだろう。


 彼女は午後から稽古があるため元々早く帰ると言っていたのだが、少し頭痛がするといって昼食の途中に早々に帰宅した。


 俺は彼女を見送り、その残り香に胸を打ち震わせた。

 ああ、俺は彼女と結婚するだろう。

 俺と彼女は今日をもって、互いを想い合う最高の恋人なのだから。



 そう勘違いしていたのは自分だけだと、すぐに知ることになった。


 まず、劇を観に行っても、ハリエットが見送りに出てこなくなった。

 手紙でのデートの誘いは丁重に理由をつけて断られた。

 パーティで彼女を見つけても、俺が近付くと彼女は違う男と移動してしまう。


 そして、彼女を取り巻いていた貴族の男に俺が注意されたのだ。


「彼女の微笑みは本当に美しいが、それを都合の良いように勘違いしてはいけない。彼女は舞台の人間だよ。人に夢を見させるのが彼女の生業なのだから。それに君は、自分の妻に対して酷い仕打ちをしたと噂になっているよ。そんな男に誰が興味を持つか考えたほうがいい」


 雷に打たれたようなショックを受けた。


 勘違い……ハリエットは俺をなんとも思っていない?あんな風に綺麗に俺に微笑んでおいて?あんな目で見つめてきて?夢を見させる?嘘?

 それに、妻に対して酷い仕打ち?どういうことだ?あの不出来な妻を二年間も養って、手切れ金まで渡したというのに?


 方々を調べ、自分とダイス男爵家についての噂について知ることになった。

 離縁して三カ月、その噂は王都の街から始まっていた。


 いきなり離婚された男爵夫人が雨の中で一人佇んでいた。駐在兵に聴取されると彼女は「この鞄だけ渡され、いきなり家を追い出された」と頬を腫らせてそう言っていた。駐在所で働く者たち皆が彼女に同情したが、打ちひしがれたその女性はたった一人でどこかに行ってしまったという。生きているかどうかは誰も知らないらしい。

 他は、着の身着のままの貴族夫人が、無一文で家を追い出されて人に襲われただとか、ダイス男爵家の男爵と姑は嫁をいびり倒して、彼女は殺されると思い家を出てきたとか、根も葉もない噂もあった。

 そしてその街から始まった噂は、平民の間を流れ、貴族の社交界にも届き、拡散していた。


 そういえば、元妻はどうしているのだろうか?

 確かに鞄一つで家を追い出した。けれど、きっと実家に戻っているのだろう。


 少し気になったため、チャーリーはジェイリーの生家が移り住んだという田舎に、従者を使いに出した。

 従者はジェイリーの弟の家を見つけ出したものの、家の前で門前払いされたらしい。没落した癖に、気位だけは高いままなのだなと、チャーリーはその報告を聞いて鼻を鳴らした。

 それ以上は元妻ジェイリーのことを探そうとも思っていなかったのだ。この時は。

お読みいただき有難うございます。


読んでもらった人たちの眉間にしわが入っていて欲しい、しょうもない男の回想回でした。

さて、この男の回想は次回に続き、ちゃんとざまぁになる予定。


アクセス数はあるものの、あまりブクマがつかないのは面白くないのか、文章がくどいのかw

でもノーリアクションではないので、とても嬉しいです。ありがとうございます♡

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