8、決別
お待たせしました。
元夫が腕を振り上げた瞬間。
元夫チャーリー・ダイスを睨みつけていると、ジェイリーを叩こうとした彼の右手が不自然に空中で止まっていた。
「がっ、……あっ、ぁーッ~ーーっ」
元夫の手がブルブルと震え、体全体も痙攣し、口からは意味のなさない声が漏れる。
「な、なに?」
元夫の数メートル後ろにはトバイアスが手をこちらに向けて立っていた。
今朝、夜勤が終わったときとは違う服装に変わっている。
その手の先から青白い電流の線が元夫の指先を捉えていた。
「ウッーー~ッーー」
元夫はまだそのままの姿勢だ。
「大丈夫ですか?ジェイリーさん。こちらに」
トバイアスは雷の魔法を使って、元夫を制御不能にしているのだ。いつもは下がっている黒色の前髪が電気をおびて少し浮き上がっていた。ビリビリという音までしてくる。
彼は左の手で私を自分の背後に連れてくるようにした。
私は思わず背中側の彼の上着を握ってしまっていた。彼から石鹸の匂いがしたことで、自分がピタリとくっ付いてしまっていることに気付いて、慌てて手を離す。
感電してブルブルと痙攣している男を見て、元夫の従者は慌てていた。
「貴女を殴ろうとしたのを見た。兵に突き出してやるっ」
トバイアスは怒りを抑えきれずに、眉間にしわを刻んでいた。そんな低く響く声に、ジェイリーはブルリと震えた。きっと彼は簡単に元夫の命を奪ってしまえるのだろうが、こうして手加減をしてくれているのだろう。
手を振り上げた瞬間に魔法を展開した反応速度と、魔法操作の緻密さには信じられないものがあった。
「い、いえ、この人は元夫です!トバイアスさん。もう、大丈夫ですから!彼を止めてくれただけで、もう、いいですから!」
私が慌てて彼の背後で止めると、すぐに魔法は解除された。
手を振り上げたままの姿勢の状態で、元夫はテーブルに突っ伏した。ガシャンッとテーブルの上のグラスが音を鳴らす。幸い割れたものはなさそうだ。
意識があるのか夫は目を開けていて、荒い息をしてそのまま動けないようだった。しかし呂律の回らない舌で、何かを言っていた。
「あえあ……ぃだ、ぉ……お、あえぁ……」
ジェイリーは色んな事が起こり過ぎて頭が付いてこないが、なんとか声を絞り出す。
「い……今、私を殴ろうとしたことには、言及しません。復縁はしません。どうかもう私のことなど放っておいてください」
震えていたかもしれない。とても頼りなく聞こえたかもしれないけれど、これが今の精一杯だった。
突っ伏して横顔しか見えないため、どんな表情をしているかは分からないが、きっと聞こえたはずだ。従者も聞いている。
「彼女を恐喝したり、暴力をふるうなら、次こそ……駐在兵に突き出してやる。その時は手加減しない」
トバイアスが聞いた事のないほど低い声で、テーブルに伏せたままの元夫に呟いた。
荒い呼吸をしていた元夫の息が、一度止まり、「ひっ、ひっ、ぃぃっ」と、情けない声を漏らした。
トバイアスは最後まで元夫を睨みつけていたが、ジェイリーが彼の服を少し引っ張ると、彼は僅かに警戒を解いたようで肩の緊張が抜けた。
目で合図し、トバイアスと二人で店を出る。
後ろで「旦那様?大丈夫ですか?」と従者が恐る恐る元夫に声をかけるのが聞こえてきた。
しばらく二人は無言で歩いた。
元夫への恐怖は不思議なほど感じず、さっきの場面を何度も頭の中で思い返していた。
トバイアスの眉間の皺、浮き上がった血管と傷跡、静電気が周りに起こるほどの魔力放出、鋭い魔法。感情を乱しながらも、私を守る背中。
彼は難しい顔をしたまま歩いている。ジェイリーの家の方向に歩いてくれているのだ。まるで要人警護のように周りを警戒したままだった。
「あ……あの人、動けないようでしたけど……」
トバイアスを見上げると、彼は視線に気付いてこちらを見た。
「大丈夫ですよ。しばらく痺れが残るぐらいです。まぁ、……かなり痛かったでしょうが」
彼は目尻を少しだけ下げた。
精密な魔法を使える彼のことだ。きっと本当に大丈夫だろう。
元夫チャーリーが心配ではない。相手がトバイアスを逆恨みしないかがジェイリーは気がかりだった。
しかし、元夫のあの様子ですぐにまた襲来するかといえば……しばらくは大人しくしていそうな気もする。ジェイリーの前だと冷たい瞳で、いつもどこか余裕のあった元夫は、トバイアスに凄まれただけで、情けない悲鳴を出していたのだから。
ジェイリーの住むアパートの前に着き、トバイアスが口を開いた。
「……すみません。家で一度寝ていたんですが、ジェイリーさんが退勤する時間に目が覚めたので、もし、都合が合えば食事に誘おうって……通信交換台の前で待っていたんです。今日、その話をしたばかりなのに……俺、気が早いですよね」
トバイアスはポツリポツリと話し出した。
「そしたら、あの人がジェイリーさんに声をかけていたのを見て……、ジェイリーさんの顔色が悪かったから……つい気になって、後を付けてしまって……」
額を押さえて、少し恥ずかしそうに目を逸らしたトバイアスに、ジェイリーの胸がキューッと絞られた気がした。
しかし、トバイアスは悲しそうな顔で続ける。
「その、あんな風に暴力的なこと……怖かったですか?すみません。俺、つい、魔法を使ってしまって……引きましたよね……」
ジェイリーは熱くなった頬を手で押さえながら、彼に答える。
「いいえっ、全然怖くないですし、助かりました。ありがとうございます!トバイアスさんが来なかったら、……あの人に何をされていたか分からなかったもの……」
つい大きな声になったのは、暗い顔をするトバイアスに自分は怖がってなどいないし、彼に助けられ感謝していると言いたかったからだ。絶対にそんなことはないと伝えたくて、気持ちが昂っていた。
あの時、大きな背中に庇われ、ジェイリーは涙が出そうなほど安堵したのだから。
それに暴力を止めることに魔法を使うのはこの国では推奨されている、れっきとした正当防衛なのだ。
ついつい、ジェイリーの口は言いたいことを止められなかった。
「それに、魔法も早くて正確で、凄くてっ、とっても格好よかったですっ」
わずかにトバイアスが目を大きくし、瞬く間に顔を赤くした。
「あ……そうです、か。……良かったです」
自分の言ってしまったことに気付いて、ジェイリーも顔を真っ赤にする。慌てて取り繕うように食事の話をした。
「あの、では……次の仕事の退勤時間が同じ日、夕食に行きませんか?」
今日のジェイリーはお洒落な格好をしているとは言い難かったのだ。
「はい……えーっと次は、五日後くらいですかね?」
彼は室長なので夜勤が多く、ジェイリーとの勤務時間がずれている。恐らくそのあたりだったとジェイリーも記憶していたので、うんうんと頷く。
「そうですね。ではその日に、仕事終わりに食事に行きましょう」
「はい」
ジェイリーはあんなことがあったのに、自分が笑っているのに気付く。
そして、トバイアスもいつもより口角が上がっていた。
その晩、ジェイリーは元夫よりも、トバイアスとのことを思い出し、寝る前に何度も寝返りを打ったのだった。
翌日は平常通り勤務することができた。もちろん元夫も来なかった。
「トバイアスさんと、お食事ーー!?」
ダイアナの声が大きく軽食店で響いた。
「しーっ!声が大きすぎるわ。ダイアナ」
思わず彼女の口の前で手を振る。
ジェイリーは翌日の仕事終わりに、パンが美味しい軽食店にダイアナと来て世間話をしていた。この店は値段もお手軽で、女性交換手たちがよく仕事終わりに訪れる馴染みの店の一つだ。
ジェイリーは彼女に心を許しているため、ついトバイアスとの食事の予定を話してしまったのだった。
「ごめん、ごめん。だって、急だったんだもの。ジェイリーったら、いかにもまだ恋愛しませんみたいな顔して、いつの間にか進展してるなんて……」
「ちがうわ、ダイアナ、デ、デートとかじゃないと思うのよ!ただ、彼に色々気を配って貰ったから、ペンを差し上げたら、そのお返しにってことなのよ」
それに元夫の暴挙から助けて貰った恩もあるため、食事の時にまた何かお礼を持っていこうかと思っている。
「カーーっ!」
ダイアナは変な音を口から出した。
ジェイリーが驚いていると、ダイアナは続けてまくし立ててくる。
「それはデートでしょ?!いいこと、妙齢の男女が二人で夜に食事に行くのはデートよ!デート!!もう!なーにが、『ペンのお返し』よ!ただのデートの口実でしょーが!いつ行くの?どこに行くの?何着ていくの?アクセサリーは?髪は?靴は?」
怒涛のダイアナの言葉攻めに、ジェイリーは目を白黒させた。
「今週末だけど、そんなに身構えなくて……」
「ジェイリー!いつ何があるかわからないのよ、いい大人が何言っているの?万全で迎え撃つのよ!?しかも、今週?!大変!今から買い物よ!良いわね!?」
一気にそう言うダイアナの、笑いながらこちらを睨むというよく分からない顔に圧倒されて、ジェイリーは無言で頭を上下に振った。
彼女は店で頼んだジュースを勢いよく飲み干して、立ち上がる。
「戦闘服を買いに行くわよ!」
彼女に連れられるまま、色んな買い物をさせられ、ジェイリーはヘロヘロになって夜遅くに家に帰宅したのだった。
お読みいただき有難うございます!
今回は軽く元夫ざまぁ回でした。ちゃっかり当日デートしようとジェイリーを待ってたトバイアスが元夫にキレるの巻です。
ブクマや評価、リアクション、感想頂けると嬉しいです。誤字脱字報告も助かります。
リアクションが増えたことでまたモチベーションを頂けました。ありがとうございます。
次回は元夫の回想に入ります。
まだまだ物語は続きます。




