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夫に捨てられた元男爵夫人は、通信交換手として働きながら第二の人生を始めます  作者: キョクトウシラニチ


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7、ジェイリーの過去との対決

お待たせしました。

「トバイアスさん。おはようございます」

 夜勤明けのトバイアスに、ジェイリーはニコリと笑顔を向けた。

「おはようございます。今日も良い天気みたいですね」

 彼ら室長は五人いるが、他の従業員より夜勤が多いため大変そうだ。

 だがトバイアスは体力があるのか、夜勤があった日もいつも姿勢が良く、朝から勤務の交換手にいつも通りの挨拶をしている姿をよく見る。


「えっと……、ちょっといいですか?」

 ジェイリーの勤務時間よりも少し早めに来たのは、トバイアスが帰る前にと思ってのことだった。

 彼はいつも通り大きな体で物腰柔らかに「はい」と言いジェイリーの近くにやってきた。

 他の人に何か思われないように、さりげなく彼にペンを渡した。


 あの文房具屋の老店主のお薦め品だが、ジェイリーもトバイアスに似合うと思った紺色のペンだった。高級なものではないけれど、書きやすいものを選んだのだ。今日もトバイアスのポケットには紺色のハンカチが見えているので、嫌いな色ではないはずだ。

 小さな箱を渡されたトバイアスは、箱を開けて一度だけ瞬きをした。


「あの?」

 いつも少しだけ口角を上げていて泰然としている彼だが、今日はわずかに戸惑っているように見える。

「防犯銃の……、お気遣いが嬉しかったので、大したものではないので普段使いにでもお使いいただけたら嬉しいです」


「あっ……」

 トバイアスは小さく驚いた声を出した。

「あ、あれはデイロンから貰った試作品でしたので、その、これは……頂き過ぎというか……なんというか」

 小さな声で彼らしくもなくモゴモゴと話すため、ジェイリーは少し首を傾げた。恐縮して困っているように見えたので、大したものではないのだとジェイリーは言葉をつけ加えた。

「本当に普通のペンですから、気にしないで使っ……」


「いえ、では今度ペンのお礼に、食事に行きませんか?」


「え?」

 思ってもみなかったことを言われて、ジェイリーは目を丸くしていた。

「ペンのお返しです」


「あ、はい……」

 思わず返事をした。

 ジェイリーはトバイアスの首から耳までがピンク色になっているのに気付き、自分も頬が赤くなりそうだった。

 私は離縁された女だし、大した特技もないし、地道に生きる位しか能がないし……

 でも、とにかく勇気を出して、もう一言付け加える。


「喜んでっ」


 トバイアスは今度こそわかりやすく頬まで赤くして、それを隠すように「また連絡します」と顔を背けながら言って、帰宅の用意を始めている。とても丁寧な手つきで彼の鞄にジェイリーの渡した箱を入れているのが見え、胸がまたキュッと締め付けられた。


 ジェイリーはフワフワと柔らかい絨毯を踏んでいるような心地になりながら、自席に着いた。


 その日はやけに仕事が楽しく、頬が緩んでしまうのを抑えるのが大変だった。




「嫌だわ、またあのブラックリストの軍人、通信係に戻ったみたいで、感じ悪いのよ」


 ジェイリーがお昼を取っていると、他の交換手二人がボヤいているのを耳にした。


「大丈夫でしたか?災難でしたね」

 ジェイリーが声を掛けると、若い女性の交換手はニコリと笑う。もう一人のジェイリーより年上そうな女性も難しい顔をしたまま頷く。

 ジェイリーもその迷惑な軍人に当たったことがあると記憶していた。

「ええ。理不尽な事を言われるのは慣れているから……でも、やっぱりしばらく嫌な気分になるわ」

 若い方の女性はそう言うと少し肩を落としていた。

「きっと、顔も見えない相手だからそんな風に失礼な態度がとれるんでしょうね。私たちもそんなことで気落ちしていられないけど、しょうがないわよね」

 年上の女性は若い女性の肩を優しく撫でた。


「……あの、トバイアス室長に助言を貰ったんですけど、声の音程を落として、毅然と対応していたら、変な人に絡まれにくくなるかもしれなくて……」

 ジェイリーは前回、彼から助言を貰って、話し方を少し変化させた。すると、連絡先を聞いて来るような軽口が少なくなったのだ。この若い交換手もジェイリーと同じように声が高く、若々しい印象があるため、少しでも役に立つかもしれない。

 そう思い、ジェイリーはトバイアスにして貰ったアドバイスを彼女にも伝授した。

「たしかに、効果あるかもしれないわね。私は声が低めだからか、あんまりそう言ったこと言われたことないのよね」

 年上の女性は腕を組む。彼女は女性にしては低めで落ち着いた印象のある話し方をする人だった。

「私もやってみるわっ!えーっと、コホンこんな感じ?『はい。こちら、ファーバー通信交換台です』……どう?」


 私と年上の女性はウンウンと頷く。


「ありがとうね。ジェイリーさん」

 若い女性と年上の女性は微笑んでお礼を言ってくれた。

 その表情から、話をして彼女たちの憂いを晴らせたかもしれないと、ジェイリーは心が少し暖かくなった気がした。

「どういたしまして」



 午後の勤務も順調に済ませて、ジェイリーは退勤の準備をした。

 机の上を整頓して、受電表の見直しをして、それを事務職員に手渡しした。

 荷物を置くロッカー室に入って、軽く身支度してから鞄を取って、建物の一階まで降りていく。

 階段の上の天井に太いダクトが這うように設置されていて、その中には魔導通信線が通っているのだ。この線で遠くの人と話すことが出来るなんて、改めて凄いことだなとそれを眺めてジェイリーは思った。


 建物の玄関に着き、扉を開けると夕暮れの景色が広がっている。



「ジェイリー」


 一歩踏み出した足は、そこで止まってしまった。

 聞き覚えのある声が無遠慮に彼女を呼び止めていた。


「ジェイリー」


 もう一度声がした右方向に振り向くと、思った以上近くの距離に元夫が立っていた。


「ジェイリー話があるんだ」


 チャーリー・ダイス男爵は別れた時と変わらぬ風貌で、ジェイリーの職場の前に現れたのだった。




 午前中との気分の違いに、ジェイリーは倒れそうになっていた。


 今住んでいる場所を元夫に知られたくなかったため、ジェイリーはファーバー交換台近くの喫茶店で元夫と話し合いをしていた。もしかしたら、家の住所ももう知っているのかもしれないが。


 彼から出てくる言葉は、昔より威圧感を感じることはなく、どうしてジェイリーは元夫の冷徹な眼差しに何かを期待していたのだろうと、過去の自分を振り返って首を傾げていた。元夫の話を聞くと不快に胸がザワザワするし、指先が冷たくなって気分が悪かった。


「あの時は言い過ぎたんだ」

「思わず叩いてしまって、謝りたいと思っている」

「どこに行ったか分からず、探していたんだ」

「家に帰ってこないか?」

「母もジェイリーに会いたいと言っている」

「使用人たちもジェイリーを待っている」


 そんな元夫の並べ立てた言葉は、ジェイリーの心を上滑りするように通り過ぎた。一つも心を打つこともなく、何を言っているのだろうという疑問しか浮かばない。役に立たないジェイリーなどいらないと言って家から放り出したのは何だったのだろう。


 ジェイリーが何も言わずにいると、元夫は何かに気付いたのか、慌てて頭を下げた。


「この通りだっ」


 喫茶店の椅子に座り、少し頭を下げた元夫は、チラリとジェイリーの様子を窺う。

 隣のテーブルには彼の従者が座っている。男爵である彼の付添なのだろう。


 この喫茶店はファーバー交換台の職員が使用するし、あまりこういう場面を見られたくはない。場所を間違えただろうか……でも、自分の知らない場所に連れていかれるのは嫌だったのだ。


「元の家には帰りません。貴方とはもう離縁しました。私は役に立たないのでしょうから、必要ないのでは?」


「いや、そんなことは……」

 元夫は不機嫌そうに眉を寄せた。まさか捨てた妻に拒絶されると思ってもみなかったのだろうか。モゴモゴと口ごもる。


「誰か他の人と結婚すればいいのではないですか?」

 オーロラ劇団のハリエットさんとはどうなっているのだろう。


「お、お前でなくては、ならないんだ」

「どうしてですか?」

 思わず口から鋭く疑問の言葉が出た。

 元夫は私が生意気にも口答えするのに腹を立て始めているようで、語気が荒くなりだした。


「お前が大げさにあの日、駐在兵になんか事情を話すから!」


「え?」

 確かにあの日、雨に打たれて呆然とするジェイリーを駐在兵は助けてくれた。調書をとり、温かい飲み物を出してくれて、宿をとってくれた。それが彼に何か関係するのだろうか。


「きっと、あいつらが『嫁を放り出す冷徹な男爵』だなんて噂を流したんだ!」


 ああ……――。


 ジェイリーは彼の声を抑えた怒声でなんとなく事情が分かった。

 おそらく、社交界でダイス男爵家に噂が立ったのだろう。まぁ、噂ではなく事実なのだが。

 あの日の駐在兵なのか、屋敷の使用人からなのか、他の目撃者なのかは知り得ないが、噂を流され、元夫や元姑は社交界で針のむしろにでもなったのだろうか。

 元姑が他のご婦人に遠回しでお上品な嫌味でやり込まれたのを想像すると、それだけは少しだけ胸がすく。

 彼の様子ではあのオーロラ劇団のハリエットさんにも袖にされたのだろうか。そもそも噂にもなっていないということは、彼の片思いという可能性もある。


 彼女に恋をして、私が邪魔になったから、捨てて……。都合の良いように私と復縁して、悪評を払拭したいがために……私に戻って来いと言っているのね。


 ガックリと肩が重くなり、元夫チャーリーがどれだけ自分を軽んじていたか、そして未だにそうなのかを思い知らされた。

 謝罪したから、簡単に私が許すと思っているのだ。あんな仕打ちをした人たちの家に帰ると思っているのだ。

 謝罪をした舌の根も乾かぬうちに「お前が大げさに」なんて言葉が飛び出してくる以上、彼の本音が透けて見える。



「そうですか。でも、それはもう私には関係ないことですよね」


「……は?」


「私とはもう離縁していますので、関係のないことです。今あの家に私が戻って何か私に良いことがあるのですか?」


「……はぁ?!!」


 元夫はまた右手を振り上げた。

 その手が私の顔に振り下ろされるのが分かった。


 けれど、私は逃げることはしなかった。


 叩かれたって、彼の言いなりになんて、もうならない。

お読み頂き、ありがとうございます!


元夫来襲の回でした。ジェイリーが強くなっているのが表現できていたらいいのですが。今回は微ざまぁですね。


ジェイリーはどうなってしまうのか、次回に続きます。


ブクマ・リアクション・評価ありがとうございます。

感想なんて頂くと作者がちょっと飛びます。昨日飛びました。

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