6、忍び寄る影
お待たせしました!
ジェイリーが小さな違和感に気付いたのはある日の夕方だった。
早めに仕事を終え、買い物を済ましてから家に帰ろうとしていた。
「あっはっは!そりゃ熱した油に水分が弾けたのさ!加熱し過ぎないよう魔導火の加減に気を付けないと、火傷するよ」
食肉屋の女主人はジェイリーの素朴な疑問を簡単に解決してくれた。
「まあ、そうなのね」
「お嬢様なんだねぇ、ほら、もう一枚ベーコン追加しておくよ」
気前の良い主人は、ジェイリーの大好きなベーコンをおまけしてくれた。
「ありがとう」
女主人に笑顔を向け、買い物袋をぶら下げて自分の家の方向へと歩く。
仕事に持っていくジェイリーの鞄の中は前より少しだけ重たい。
先日トバイアスに貰った防犯銃が入っているからだ。
使わないのに越したことはないが、これを持っているだけで何だか心強い。
最初はよくあるお菓子を作って、トバイアスに小さなお返しをしようと考えていたのだが、自分の料理の下手さをジェイリーは思い知ったため、その案は早々に変更することにした。
トバイアスには仕事で使える書き心地のよいペンを渡そうと今日は下見していたのだ。
彼のお陰で少し薄暗くなった細い路地を歩いていても、心細くはあるけれど変な安心感があった。
しかし……
コツ、コツ、コツ、コツ……
「?」
ジェイリーは後ろを振り返る。
誰かが視界から消える。黒っぽい服を着ていて、はっきりとした顔かたちは分からないが、男のようなシルエット。それはジェイリーとは違う路地へと入って行った。
近くに住んでいる人が、たまたま同じ時間に同じ方向に帰っていたのだろうか。
ずっと同じ間隔で歩いていたような気がするが……
気のせいかな。
そんな違和感が始まりだった。
「誰かに追いかけられている?」
お昼の休憩室で私からの相談にダイアナは眉を寄せた。
「うーん。気のせいかもしれないのだけど、何だか見られているっていうか、よく足音が追いかけてくるというか……」
「なあに、それ、何だか怖いわね」
ダイアナは真剣な顔をした。
ジェイリーは彼女が「大袈裟」だとか「自意識過剰」だと笑わなくて、ホッとした。
「帰り道、誰かが一定間隔をあけて付いてきてる気がして、……振り返るとその人は違う道に行くっていうのが何回か……あってね」
初めてそれを感じてから、回りを警戒するようになると、少し離れたところに誰かがいるのに気付いた。
もちろん気のせいという可能性もあるのだろうが、遠目に見る限り同じ男性に見える。
男性はフードのある外套を深く被っていて、髪の色ははっきりわからない。すぐに違う方向を向くから、はっきりした容姿も分からない。この商業都市のファーバーでは他国の住民が多いため、フード付きのポンチョを被っている人も多い。
だが、毎回そういった人がジェイリーの周りに出没するのは変だと思った。
「私裕福な夫人でもないのに、なんの用があるのかしら……?」
ジェイリーは元夫に投げつけられた僅かな手切れ金のことをどこかで知られたのかと心配になっていた。生涯働かずに暮らせるような大した額ではないが、平民にしては小金持ちな額だからだ。
だから、家に帰る時はすぐに鍵をかけて、トバイアスに貰った防犯銃を家の中でも手に持っている。現金もファーバーの銀行に全て預けた。気にし過ぎだろうか。
「ジェイリーったら、本当に分かっていないの?」
ダイアナはなんとも言えない複雑な顔をした。
「え?」
「あなたね、いい加減年頃の女性であることを自覚した方がいいわよっ。まだ二十一歳なのよ!……それに、結構可愛らしい顔をしているっていうのにもね!もしかして、離縁したから、そういうことには自分は無関係だなんて思っているの?」
「え?え?」
ジェイリーがダイアナの剣幕に驚いていると、話し込んでいる彼女たちの後ろから声がかかった。
「ジェイリーさんは可愛いよね」
デイロン第二室長がニコニコしながらサンドイッチを口に運んでいた。いつの間にか休憩室の後ろのほうの席で食事を始めていたようだ。
「あ、お疲れ様です」
「お疲れ様です。デイロンさんも言ってやって下さいよ。あまりにも隙があり過ぎるんです。ジェイリーは」
半ば憤慨した顔でダイアナがデイロンに訴える。彼女が本気で言っているのかと半信半疑なジェイリーは戸惑っていた。
「あはは、こればっかりは彼女の事情もあるからねぇ。でも、僕もダイアナさんの意見には賛成だよ。実際、この職場でも虎視眈々とジェイリーさんを狙っている男たちがいるからね」
軽い口調でデイロンが笑ってウィンクしたので、ジェイリーは軽口の冗談だと思った。
「あはは、もう、お上手なんだから」
ジェイリーは笑って流した。
「あ、ほら、また冗談だと聞き流そうとしてる」
ダイアナは鋭くツッコミを入れてきた。
「え……だって、私なんて夫に……」
「『なんて』じゃなーい!いいこと?ジェイリーはまだまだ若くて可愛いの。もっと危機感を持って!」
ダイアナはそう言って、プリプリと怒ったまま自分のデスクに帰っていってしまった。
サンドイッチを口に咥えているデイロン室長がクスクスと笑っていた。
「まぁ、いざとなれば防犯銃を使ってみてね。あ、使ったら是非使用感やどうなったか報告して欲しいんだ」
完全に他人事なのか、デイロン室長はニコニコしていた。
デイロン室長は若い女の子に人気だけれど、少し中身が残念そうだなと、ジェイリーは思ってしまったのだった。
今日は早く退勤する日だったので、ジェイリーは魔導防犯銃のお礼にトバイアスに少しだけ良いペンを買おうと思い、文具が沢山売られている通りに来ていた。
ファーバーの南東にある場所で、色とりどりのペン等、事務用品を扱う店が多い場所だ。
タイプライターという便利な機械が売られているのを横目に、ジェイリーは筆記具店に入った。
今日は誰にも追いかけられていないと思う。ジェイリーには最近キョロキョロと周りを警戒してしまう癖がついていた。
男性が使いやすそうなペンを手に取り、吟味していく。
トバイアスのトラウザーのポケットにはいつも紺色のハンカチが入っているのを覚えていたので、紺色にしようか、それとも彼の髪色に合わせた黒色にしようか……
こういったことは夫の誕生日のプレゼント選び以来だった。
そういえば、ジェイリーが結婚しているとき、元夫への誕生日プレゼントを贈っていたが、彼からは何も貰ったことが無かったな……と、少し過去を思い出してションボリした。
きっと元夫はジェイリーのことなんてなんとも思っていなかったのだろう。
「お嬢さん。誰かへの贈り物かい?」
歳をとった店主が、ジェイリーに話しかけてきた。
「あ、はい」
お嬢さんだなんて、結婚する前にしか聞いた事のない呼び方をされて、ジェイリーは面食らったが、ダイアナに言われた言葉を思い出し、態度には出さなかった。
「いいねぇ、ふぉふぉふぉ。このあたりなんかは男性に人気じゃよ。お嬢さんに貰えりゃ、何だって喜ぶわい」
立派にたくわえた髭を撫でながら、店主は人気ラインナップを指さして温和に笑っていた。
値段も手ごろだったので、ジェイリーは店主にお薦めされた品を一つ買って、店を出た。
夕方になるには少し早い時間、ファーバー領の貴族街を歩きたくはなかったので、乗合馬車に乗り、一時間かけて街の反対側の自宅へと帰ることにした。
十人ほどが乗れる乗合馬車は商業都市ファーバーの中央を横断し、反対側まで走ってくれる。
ファーバーの街は色んな人々が入り混じり、王都よりも商売の活気がある。
貴族が多く住む場所よりも商業区が多く、商人のための道が整備されているため、乗合馬車もなかなかスピードが出ている。
ぼんやりと考え事をしながら、街並みを眺めていると、ジェイリーのよく知る人が目に留まった。
チャーリー・ダイス男爵――……
ジェイリーの元夫だった。
そっと前に座っている人の影に隠れるように身を潜める。
一体何の用でファーバーに来ているのだろうか……こんなところで会うとは思わなかった。
これもまた見たことのある従者を一人付き従い、歩いている。
ジェイリーは少しだけ、指が震えていた。
離縁したときと変わらぬ様子だが、毎日長身のトバイアスやデイロンが職場にいる為、今のジェイリーには彼がやけに小柄に見えた。
馬車は彼らが歩く前を通り過ぎたが、幸いこちらは馬車に乗っていて目線が違うため、ジェイリーには全く気付かなかった。
ペンが入った袋を持つジェイリーの手に、少しだけ力が入って、クシャリと手元で音がする。
通り過ぎて一つ息を吐いた。
元夫のダイス男爵家は領は持っていないものの、代々小さな農園主として王都の近くで果物を作っている。そして代々当主は官庁に勤める文官になる。
夫が国の仕事の関係でファーバーに行くことは稀だったが、たしかにたまに出張していた。
まさか、わざわざ私をここまで探しに来たわけではないだろう、と思いたい。
今更私に何を言いたいのだろう。夫の恋する女優が他の人と浮名を流している話を聞いてから、嫌な想像までしてしまう。
まさか彼女に振られて、復縁をしたいと思っているとか?
まさか、まさかね……。
弟にはファーバーで働き始めたと連絡はしているが、はっきりした住所をまだ知らせていない。でも、最近誰かに追いかけられている気がするのは……もしかして、元夫が雇った探偵か何かに、動向を調査されている……?
ジェイリーは鞄の中のトバイアスに貰った防犯銃を無意識に撫でていた。
お読みいただきありがとうございます!
ジェイリーに忍び寄る影……そして夫がファーバーにやってきました。
次回は、ドキドキハラハラの予定w
感想欄を開けておきます。あまり人の目に止まらないようなので、まったり更新できそうですしw
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