16、観劇デート
お待たせしました!
ストーカー犯が逮捕されてから、ちょうど一週間後、トバイアスと休みを合わせてオーロラ劇団の観劇をする日になった。
「はぁ……」
身支度は終わり、バルコニーの窓から夕陽が差し込む時間になっていた。
ドキドキと胸が高鳴るのを止めたくて、ジェイリーは深呼吸をしていた。
初めてお付き合いをしている人とデートに行くのだから仕方がないが、楽しみでじっとしていられないのだ。
もうとっくに用意はできていて、ジェイリーはソワソワとお茶を飲んだり、もう一度お化粧やヘアセットの状態をチェックしたり、小さなポーチの中身を確認したりと忙しなく部屋の中を移動していた。
「五時にトバイアスさんが迎えに来てくれるけど……あと一時間かぁ……はぁ……」
何度目かのバスルームの鏡チェックを終えた後、ジェイリーはふと外から革靴の音が聞こえているのに気付いた。
「ん?」
バルコニーの扉を開けて階下を覗いてみると、そこにはもうトバイアスがいた。
また、前みたいにジェイリーのアパートの前を狼のように歩き回っていた。
ジェイリーは、何も考えずポーチを掴むと、部屋の鍵を閉めて、彼の下へと駆け出した。
「ごめん。ジェイリーさん、早く着いてしまって、…………、わぁ……」
ジェイリーがトバイアスに近付いていくと、彼は段々と目を大きくして、硬直した。
今日は観劇デートということで、いつもよりお洒落していた。ダイアナと同僚たちに見繕ってもらったため、ジェイリーだけでは到底できなかったバランスのとれた装いである。
もちろん貴族ほど煌びやかではないけれど、元貴族だったジェイリーは所作が綺麗なのでそう見られてしまうかもしれない。
光沢のある黒の落ち着いたワンピースにロンググローブ、差し色は薄い朱色で髪留めや靴に取り入れていた。
「き、綺麗……だ」
トバイアスの口から思わず漏れた呟きに、ジェイリーも顔が熱くなる。
「トバイアスさんも……す、素敵ですよ」
ジェイリーは目の前のスーツ姿の彼にチラリと視線を走らせた。
恵まれた体格にスーツを着せると本当に映えるものだ。さらに、整った顔に凛々しい眉毛と綺麗な黒髪は、ずっと見ていたいほどの眼福だ。
二人で照れながら、ゆっくりと劇場まで歩いて行くことにした。
一時間以上も早くデートが始まり、二人は前に話していた輸入雑貨の店に途中立ち寄った。
雑貨屋にはさまざまな国の輸入品が所狭しと置かれていた。パッケージを見るだけでも、異国情緒があり、楽しくなってくる。
「これ、あの時のお茶?」
パッケージを覚えていたのか、トバイアスはジェイリーが振る舞ったお茶の缶を言い当てた。
「ええ。そうです。……わぁ、他の種類の茶葉も揃ってますね。……あ、これ買ってみよう」
「いいね。買おう」
トバイアスは優しい顔でジェイリーの持っていた缶を自分の手元に引き寄せた。
「え?そんな。ダメですよ私が払います」
ジェイリーは驚いた。
「今日は記念に買わせて?……それとジェイリー、口調が」
「あ……」
ジェイリーは焦る。なぜなら、正式に付き合うようになってから、プライベートでは敬語を使わないでおこうという話になっていたのだ。
トバイアスは柔らかく笑い、ジェイリーを見つめている。
「ゆっくり、慣れていこうな」
「は、……はい」
照れ臭い気分だった。
今までジェイリーは弟以外にくだけた話し方をする人がいなかったのだ。元夫にも敬語を使っていたのだから。
雑貨屋でジェイリーが興味を示したものをすぐにトバイアスが購入しようとするため、ジェイリーはこれからのトバイアスとのデートで注意しなければと頭に留める。
しかしこれも、トバイアスがとてもジェイリーを気にかけてくれているということなのだ、と心がこそばゆかった。
二人はゆっくりと商業都市ファーバーの街を歩き、色んな店を覗いた。
ジェイリーの行きつけの食肉屋の前を通ると、女店主が笑って親指を立てていた。
中央の繁華街にある劇場にジェイリーは初めて足を踏み入れた。
壮麗な建物の中は赤いカーペットが敷かれ、大理石で出来た柱とロビーには豪奢なシャンデリアが輝いていて、ジェイリーは夢のような気分になった。
トバイアスは劇場に来たことがあるらしく、迷いもせず前に進んでいくが、ジェイリーの歩調に合わせてエスコートをしてくれていた。
キラキラした目をするジェイリーに、トバイアスは優しい微笑みを向けてくれていた。
劇場に入ってからはあっという間だった。
待ち時間もトバイアスと一緒なら、楽しく話をして過ごせるし、退屈など感じることもない。
オーロラ劇団のファーバー出張公演の初日。
演目は王都で大ヒットした『花の踊り子ヘヴィエラ』である。
曲と脚本が素晴らしく、それを歌い、踊りきる主役のハリエット・レスリーの演技力は凄まじい。初めて舞台の彼女を見たが、夫との関係を考えるよりも、女優としての彼女に魅入られていた。
『花の踊り子ヘヴィエラ』は戦火の中、兵士を慰問している踊り子ヘヴィエラと、一将校との非恋を描く物語だ。
平民の踊り子ヘヴィエラは慰問に訪れた先で、貴族子息の将校と恋に落ち、一夜の情熱に身を任せる。ヘヴィエラは恋に身を焦がしていたが、その地を離れ彼への思いを断ち切ろうとする。
しかし将校も彼女を忘れられないでいた。
ところが、ヘヴィエラたち興行一座は不運にも旅先で、相手国の捕虜となる。
美しいヘヴィエラは男達に嬲られ、傷つけられながらも、あの将校を思い歌を歌っていた。
そこにあの将校が率いる部隊が現れ、激しい戦闘になる。
泥にまみれながら瀕死の状態で将校はヘヴィエラのもとに向かう。ボロボロの彼を掻き抱き、ヘヴィエラは泣きながら彼への愛の歌を歌う。
「私は汚れている。私は汚れているのに、貴方は私を愛していると言うの?こんなになって、こんな状態になってまで私を愛していると?」
そう歌う彼女に将校は、微かな声で最後まで「愛している」と告げ、息を引き取るのだ。
最後にヘヴィエラは自害し、彼の後を追ってしまうという物語だった。
戦乱に散った二人の若者の悲恋の物語に、ジェイリーは涙を流した。
なにより、ダイアナに譲ってもらった席は前方中央の、役者の熱気が伝わってくるほど臨場感の味わえる場所だった。
ハリエットの歌と踊り、男優とのハーモニー、楽器の奏でる重厚な音楽にジェイリーもダイアナのようにハマってしまいそうだ。
劇が終わり、観客が帰って行く。
ジェイリーとトバイアスも立ち上がった。
「はぁ……素晴らしい歌だったわ。あの胸を痛くさせるようなアリア……思わず涙が出てしまって」
「ああ……」
言葉少なにトバイアスが答えた。
その苦しそうな声に、ジェイリーは彼をよく見てみる。
何度か彼の反応を見たくて目を合わせていたのだが、最後の戦闘シーンの辺りからトバイアスが動かなくなっていたのに、ジェイリーは思い至った。
薄暗い劇場の中、表情も今は暗かった。それどころか、彼の額には汗が光っている。
「トバイアスさんどうしたの?気分が悪い?」
「いや、少し……」
廊下へ出て、照明の下にきたトバイアスは明らかに顔色も悪い。
「大丈夫?そこに座りましょう」
「……」
声も出ないのか、彼は白い顔色でそのまま廊下にあるソファーに座り込む。少し震えているようだ。
ジェイリーは演目を間違えたのだと分かった。
戦争経験者になんというものを見せてしまったのだろう。
自分の浅はかさに、ジェイリーは心の中で自分を殴った。
「ごめんなさい。配慮のない演目だったかも知れないわ」
トバイアスは暫く何も答えなかった。
ジェイリーが額に浮かんだ汗を優しく拭き取っていると、トバイアスは浅くなった息で言葉を返した。
「いや……、良いんだ」
項垂れている彼の表情はよく分からない。
「私、ちゃんとパンフレットも読んでいたのに……」
「仕方がないんだ。……自分でも驚いている」
白くなった顔でトバイアスは額に手をやった。傷痕がちょうど隠れるような位置だ。
「いつもは、こういうことはないんだけど……」
だらりと降ろされた左手をジェイリーはそっと包む。思った以上に指先は冷えている。
「トバイアスさん。私、ここにいますから」
ジェイリーは冷えた指先を温めるように、彼の手をさすった。
この間、つきまとい犯に襲われたときに彼がジェイリーにしてくれたように、安心させるように。
「……ありがとう……」
彼は何も言わなかった。自分の経験した辛い過去をジェイリーには言わなかった。
言えないのかもしれない。
彼は「雷撃の剣」といわれたほどの軍人だったのだ。きっと戦場で酷いこともたくさん経験して、ジェイリーには思いもよらないようなことまで乗り越えてきたのだろう。
彼の手には無数の傷跡がある。小さいものから大きいものまで……
それを見ていると、ジェイリーは堪らなくなった。
トバイアスの指先の古傷に唇を寄せた。何かを思ってではなく、したかったのだ。
トバイアスはその感触に顔を上げて、目を丸くした。
そして目を閉じて、掠れた声で苦しそうに言う。
「あのヒロインではないが……俺の手は……血で汚れている」
違うとも、そうだとも、ジェイリーは言えなかった。
陳腐な言葉はかけられないと思った。
だからジェイリーは、何も言わず、トバイアスの大きな手を自分の頬に付けた。
しばらく、二人はそのまま無言の時間を過ごした。
時間が経ち、少しずつ顔に血色が戻ってきたトバイアスは恥ずかしそうに目を伏せる。
「ごめん。デートなのに、こんな……みっともない状態になって……」
彼の声は落ち込み、目を泳がせていた。
ジェイリーは彼の手をキュッと握った。
とても強い人だと思っていた。だけど、それだけじゃない。ジェイリーのように傷を抱える一人の男性だった。
実際、弱音を吐かない彼は強い。
ジェイリーに見せる少しの弱ささえ、彼は自分に許していないのだろう。
さっきの「血で汚れている」というのも、きっと言いたくなかったはずだ。
でも……だからこそ、そんなトバイアスにジェイリーの心は惹かれるのだ。
彼の抱えている過去の傷を知れて、少し悲しくも嬉しいような気分で、ジェイリーは微笑を浮かべる。
「いいえ。また一つ貴方を知ることが出来て、私は嬉しいわ」
お読みいただき有難うございます!
いよいよ次回で最終話になりそうな感じです。
ですがまだ2/3しか書けていませんので(汗)次回更新は明日になるかどうかはまだわかりません。すみません。
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