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第7話:誤解と決別

「「………………は?」」


 静寂が、部屋を支配した。

 ゼノス様の手にあったルビナは無残な形に潰れて果汁を滴らせ、シリュス様の周囲には物理的な「冷気」による白い霧が舞っている。


  ……え、なにこの雰囲気。


 まずいことを言ったかもしれないという自覚はある。

 だが、何がまずいのかが、全くわからない。


 「……お嬢さん。今、何と言った?」


 ゼノス様の声が、今まで聞いたことがないほど低く、地を這うように震えている。


 「で、ですから、私を救ってくださる対価として、私にできることなら何でもいたしますと……。掃除でも、徹夜の書類整理でも。感謝の気持ちとして、お二人の望むまま、私を好きにしてくださって構わないと思ったのですが……」


 私は恐る恐る自分の考えを述べた。

 私なりに、この最強の二人への最上級の感謝と誠意を述べたつもりだったのだが。


 「アナスタシア・カデンス……!」


 シリュス様が、私の言葉を遮るように低い声を出す。

 これは、お説教というやつかもしれない。

 彼の周りで氷がパキパキと音を立てる。

 ゼノス様は頭が痛いと言わんばかりにこめかみを押さえ、シリュス様を止めようとはしなかった。


 「いいか、よく聞け。……君はまだ学生で世間知らずなだけかもしれないが、貴族社会において、独身女性が独身男性へ『好きにしていい』と口にするのは、自らを(ねや)へ誘い、激しくしてくれと請う究極の誘惑の言葉だ。……ましてや、私とゼノス、二人の男を同時に前にして言うなど、正気の沙汰ではない」


 「………………はい?」


 私の思考が数秒間停止した。

 脳内の検索エンジンをフル回転させて調べる。

 閨。好きにしていい。激しく。……つまり、その。


 「……っっっ!!?」


 死にたい。

 顔が沸騰するかと思った。

 前世の社畜時代の「何でもやります」、つまり「どんな案件でもバッチこい」という労働の誓いを立てたつもりが、まさか不適切な夜のお誘いになるなんて!


 ここは魔法があり貴族が過ごす異世界。

 言葉の裏側には常に駆け引きと色香が含まれているのだ。

 それを今、猛烈な羞恥と共に痛感している。


 (いやああ!!……穴があったら入りたい!!!!数秒前に戻して!! うう……なんて不埒な発言を! 私のバカバカ! 脳が社畜思考すぎるのよ!!)


 私は真っ赤になって顔を覆い、ベッドの上で丸まった。


 「………大変失礼いたしました。私、社交の経験が全く無くてですね、その、あの……知りませんでした」


 「今回は聞かなかったことにしてやる。……知らなかったでは済まされなくなる前に、ちゃんと勉強するように」


 「……はい。以後、気をつけます」


 「……全く。お嬢さんはこんなに美人なんだ。そんな無防備だと、本当に危ない。気をつけなさい」


 二人はまるで出来の悪い生徒を前にした教師のように呆れ果て、私はただただ赤くなった顔を布団に隠すしかなかった。


 ようやく顔の熱が引いた頃、シリュス様が「こほん」とわざとらしい咳払いをして、従者たちにお茶を入れ直させた。

 話を元に戻して、作戦会議の再開である。


 「……さて。君は何を我々に頼みたいのか。本題を聞こう」 


 私は新しく淹れてもらった温かなハーブティーを一口飲み、心を整える。


 ――どこから話すべきか。

 ――どうしたら彼らに信じてもらえるか。


 ティーカップから唇を離し、二人を真っ直ぐに見つめる。

 私が姿勢を正したことで、彼らが微かに息を呑むのがわかった。


 「まずは、私を陥れたローゼンタール家と、実家であるカデンス家の癒着について説明いたします。没落しかけとはいえカデンス伯爵家が、王族が庇護する聖女を害するという暴挙をなすりつけられた……。本来なら、王族にたてつけば一族心中ものです。それなのに父も母も兄様も、なぜここまでローゼンタールに従順なのか。そこが最大の違和感でした」


 「……確かにそうだな。カデンス伯爵と一度話したことはあるが、何かにたてつくような大博打を打つような男だとは思えん」


 ゼノス様の同意を得て、私は核心に触れる。


 「父や兄がここまで余裕なのは、明確な『リターン』が約束されているからです」


 「両家の繋がりは単なる金の貸し借りだけではないと……?」


 「そうです、ゼノス様。ローゼンタール公爵はわざわざ頻繁に我が家を訪れていました。おそらく両家の間には、裏の契約書が存在します。セシリア様が王妃の座に就いた暁には、カデンスの莫大な借金を肩代わりし、さらに要職のポストを保証するというような内容でしょう」


 「……待て。なぜそれを君が確信している?」


 シリュス様の鋭い視線が射抜く。


 私は前世の記憶――あの冷たい地下牢を思い出した。

 セシリアが勝ち誇ったように持ってきた一枚の書面。

 そこには父の署名があった。

 カデンス家を守るために私に「聖女暗殺未遂」という汚れ仕事を押し付け、引き換えに家門の繁栄を得るという悪魔の契約。


 だが、ゲームの知識だとは言えない。

 私は「事実」と「予測」を編み込む。 


 「セシリア様と父の密談を耳にしたことがあります。王座に彼女を据えるためのサポートとして、自分の娘を学園の間、セシリア様に絶対服従しろと。……父の性格上、口約束だけで動くほどおめでたくはありません。必ず、物理的な『証拠』を残しているはずです。……私の命を対価に、家門の再興を買い叩くような冷酷な契約書が…」


 自分の家族が自分を売った話を、まるで他人の業務報告のように淡々と述べる。

 言葉を続けるたびに、心の奥底から熱が奪われていく。

 ゲームの中のアナスタシアも、あの牢獄の中でこんな絶望を抱えていたのだろうか。


 「……君は」


 ゼノス様が、震える指先で私の顔を覗き込んだ。


 「君は、まだ学生の身だろう? なぜ家や親子という繋がりに、そこまで期待せず……まるで既に家族の縁が壊れているかのような瞳で、自分の立場を分析できるんだ。……その細い身体で、昨日までどれだけの絶望を飲み込んできた?」


 ゼノス様の瞳に宿るのは、憐れみではない。

 自分すらも盤面の一つの駒として、あるいは使い捨ての消耗品としてカウントしている私の「異常な合理性」に対する、畏怖のようなものだ。


「……信じていなかったわけでは、ないのです。ただ、昨日殺されかけて、ようやく気づいただけですわ。今の私にとって、家族に対する期待は……生きるために最も不要なものだということに」


 私は、うまく微笑んでいるだろうか。

 今の現実をまともに受け止めれば、心は簡単に砕けてしまう。

 きっと、二度と立ち上がれなくなる。


 だから私は、冷酷だと言われても、自分を駒として扱ってでも前に進まなければならない。


 前世の私も、アナスタシアも、二度とあんな終わり方にさせないために。


 ゼノス様は何も言わず、大きな手で私の頭を優しく撫でてくれた。

その手の温かさが、痛いほどに染みた。

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