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第6話:オトナの誘惑

 ゼノス様は椅子をベッドの脇に寄せると、ナイフを取り出し、見事な手つきでルビナを()き始めた。


 迷いのない流れるようなナイフ(さば)き。

 真っ赤な皮がするすると一繋(ひとつな)ぎに剥かれていく。

 驚いたのは、彼が切り分けた果実の皮に細かな細工を施し始めたことだ。


「はい、お嬢さん。まずはこれを」


 差し出されたのは、皮でぴんと長い耳を作られた可愛らしい形のルビナだった。


「これは……『ラピン』ですね!」


 『ラピン』、この世界に生息する、ウサギのように白くてふわふわした長い耳を持つ愛らしい魔獣だ。

 まさか騎士団長ともあろうお方に、そんな愛らしいうさちゃんリンゴを作ってもらえるなんて。

 私の隣で見ていたシリュス様が、意外そうにアイスブルーの瞳を細める。


「……騎士団の『鬼』が、随分と器用な真似を。貴様、戦場以外では剣を振るう指しか動かせぬ男だと思っていたがな」


「シリュス様、その……『鬼』というのは?」


 私が思わず尋ねると、シリュス様は淡々と解説を始めた。


「騎士たちの中には、ゼノスを『紅蓮(ぐれん)剣鬼(けんき)』と呼ぶ者がいる。訓練でも戦場でも自らの血を流すことすら厭わず、敵対する者を炎で焼き尽くす。まるで戦場に棲む血に飢えた人の形をした獣のようだ、とな」


(紅蓮の剣鬼……!)


 その二つ名を聞いた瞬間、私の心拍数が跳ね上がった。


 ――ゼノス・ヴァルカニス。


 代々「王国の剣」を担う武門の最高峰、ヴァルカニス公爵家の若き現当主。

 王直属の騎士団をまとめ上げる圧倒的な統率力だけでなく、一族に伝わる伝説の魔剣『陽炎』を唯一操る天才。

まさに、この国の武の頂点に君臨する人物である。


(日々の鍛錬を怠らず、極限まで鍛え上げられたその身体!まるで一振りの名刀を研ぎ澄ますように、己の身を剣として国に捧げ戦うその献身的な姿勢……!これ以上なく相応(ふさわ)しい二つ名じゃない!!うう……凄すぎる。私は身体を動かすことなんててんでダメだから、自分を徹底的に磨き上げて、剣一本で世界を切り拓くなんてものは抗いがたいロマンでしかない……!!)


 推しへの称賛を必死に心の内に抑え込み、自分のぷるぷると身体を震わせていると、ゼノス様が少し自嘲気味に肩をすくめた。


「……お嬢さん、嫌な思いさせてしまっていたらすまない。この名を聞くと、どうしても血生臭いと言って顔を背ける令嬢がほとんどだからな。無理もない」

「……そんな! 顔を背けるなんて、とんでもありませんわ!!!」


 私は勢いよく、即座に否定する。

 ゼノス様が驚いて、ポカンとしているが、気にしない。

 彼のどこか寂しげな言葉が、どうしても許せなかったのだ。


自己研鑽(じこけんさん)に励み、国を護るために己の身体を剣として捧げて戦う……。そんなゼノス様に、これほど相応しく誇らしい名前はありません。尊敬こそすれ、嫌な気持ちになることなど万に一つもございませんわ。むしろ……その、とっても格好いいと思います!!」


 グッと拳を握りしめ、私は一気に喋った。

 勢いよく言い切ってから、はた、と我に返る。


 ここは二人の前だった。


 久々にオタクスイッチが入ってしまった。

 没落しかけの伯爵令嬢ではあるが、これでもれっきとした貴族女性なのだ…社畜で乙女ゲームばかりやってきたオタクではない。

 私は「こほん」と一つわざとらしい咳払いをして、姿勢を正す。


「……君にそう言ってもらえると、この二つ名がなんだか誇らしく思えてきたな」


 私の熱意に呆気にとられ、固まったゼノス様だったが、やがて何かに触れたように、照れくさそうに笑った。


「……まあ、実際には勝手につけられたあだ名で、自分には身に覚えがないんだがな。それに、騎士団は遠征も多いから現地で料理することもままあるし、俺には歳の離れた弟妹が何人もいる。風邪を引いた時はこうしてルビナを剥いてやっていたんだ。剣を振るより、家族の世話の方が得意なくらいだな」


 ゼノス様はそう言って優しく笑い、丁寧に切り分けたルビナを私の口元に差し出した。


「……子供の世話、ですか」


 私は差し出されたルビナを一口噛みしめ、むうと頬を膨らませた。

 一応これでも、前世では社畜として社会の荒波に揉まれた端くれ。

 こうして子供扱い、年下扱いされることには、気恥ずかしさと、どうしようもない敗北感がある。


「おっと、お嬢さんには失礼たったかな」


 ゼノス様がスッと身を乗り出した。

 気づけば、私の右頬は彼の大きな手で包み込まれている。

 逃げ場を奪うように手が添えられ、至近距離で見つめてくる黄金色の瞳には、悪戯(いたずら)っぽい光が宿っていた。

 そのまま、親指が私の唇の上をゆっくりと、熱を帯びた動きでなぞる。


「……でしたら、子供扱いはやめましょう。望み通り、もっと『大人』として扱ってあげましょうか?」 


 低い、熱を帯びた声が耳元を(かす)める。


 その瞬間、私は息をすることさえ忘れてしまった。


 燃え上がる炎を閉じ込めたような赤い髪。

 ()けた黄金を流し込んだような瞳は、どこまでも深く、熱く、私を射抜いていた。

 清潔な石鹸と、戦場を駆ける男特有の、癖になりそうな熱い匂い。


 ドクン、ドクンと鼓動が早鐘を打つ。


 私のポーカーフェイスは瞬時に崩壊し、顔がカッと沸騰した。


「か、かか、からかわないでくださいませ……っ!!!!」


(ううう、ドキドキしすぎて心臓が痛い……! お姫様抱っこだけでもキャパオーバーなのに、こんな触れられ方したら、心臓がいくつあっても足りないよ!)


 真っ赤になって抗議する私を見て、ゼノス様は思わずといった風に素で笑い出した。


「はははっ! いやあ、すまない。あまりに可愛い反応をするものだから、ついな」


 その屈託のない笑い声に、少しだけ毒気が抜けた。


 が、その直後。


 部屋の温度が急激に下がったような錯覚に陥った。

 ベッドの反対側、影を背負って立っているシリュス様から、物理的な「冷気」が放たれていた。


「……っと。隣の『氷の魔王』様からの圧が洒落にならないな。これくらいにしておくよ、お嬢さん」

「……氷の魔王?」


 私が聞き返すと、シリュス様は冷たく「聞くな、必要のないことだ」と一蹴した。


 ゼノス様は肩をすくめて私の頭を軽く撫でると、最後にいたずらっぽくウインクをして身を引いた。


(……結局、最後まで子供扱いじゃない! ……でも、今度こっそりゼノス様に『氷の魔王』の由来を詳しく聞き出してみようかな)


 子供扱いされた悔しさよりも、今は推したちの新規供給の方が重要だ。

 私は残りの温かいミルクティーを、ぐいと一気に飲み干した。



 昨夜の嵐が嘘のように穏やかな時間が流れている。


  ――けれど、私は知っている。


  一週間後の審議を越えなければ、こんな平穏は二度と訪れない。

 私には、奴らの不当を暴くための考えは、一応はある、成功するかは分からないけれど。

 だが、このボロボロな身体と謹慎中の学生という立場では、一人で動くには限界がある。


 私は意を決して、二人の大人を真っ直ぐに見つめた。


「……お二方。折り入って、お願いがございます」


 シリュス様とゼノス様が、同時に動きを止める。


「私の潔白を証明するために、力を貸していただけませんか?」


(……お忙しいお二人なんだ。少しでも、私の頼みを引き受けてもらいやすいように提示しなきゃ。どんな対価なら納得してくれる……?お金はないし…どうしよう……)


 二人の強く突き刺さる視線を受け、焦った私は、ある提案を口に滑らせた。


 「その代わり……ええと、そうだ! 私にできることなら、何でもいたします!」


 私は自分の胸に手をあてて、ふん、と気合を込めて軽くのけぞった。


 「お二人の望むまま、私を好きにしてくださって構いませんわ!」


 ――私という「労働力」を、最大限に利用してもらおう!

 掃除でも、書類仕事でも、ちょっとしたお使いだって受けて立つ。

 そんな、社畜全開の決意を込めた言葉だったのだが。


 「「………………は?」」


 二人の、戸惑いと衝撃の入り混じった沈黙が、静かな部屋に満ちていく。


 ゼノス様の手に握られたルビナはグシャっと潰れ、シリュス様の冷気は一段と深く部屋を支配した。


(……あ、あれ? 私、何か変なこと言っちゃいました……?)

お読みいただきありがとうございます。

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