第8話:二人へのお願い
「……なるほど。お嬢さんの話が正しければ、状況は極めて深刻だ」
「取り調べまで一週間か…あまり、時間は残されていないな」
ゼノス様が考え込むように、指先で自らの顎に触れる。
一方でシリュス様は、手元の紅茶を一口含み、その冷徹な瞳をより一層鋭く細めた。
カデンス伯爵家がローゼンタール公爵家と結んだ、私という『生贄』を捧げるための血の契約。
それが事実なら、次の取り調べは私にとっての処刑場となるだろう。
「そこで、お二方に無茶を承知でお願いしたいことがあるのです」
私はまだ温かいカップをソーサーに戻した。
カチャリ、と磁器の触れ合う小さな音が部屋の緊張感を高める。
「おそらく、カデンスとローゼンタールは、私が聖女様に嫉妬して凶行に及んだと捏造するはずです。私には魔力がないから暗殺という手段を選んだ……と。であれば、それを逆手に取りたいのです」
「逆手に取る、か」
シリュス様が、知的な愉悦の色を宿して先を促す。
「はい。事情聴取のその瞬間まで、私に魔力のようなこの力があることを完全に秘匿したいのです。特に、カデンス、ローゼンタール両当主とその親族には。『魔力のない無能な娘』だと油断しているところでこの力を叩きつけ、彼らの証言を根底から覆したいと考えております」
「ほう……。奇襲を仕掛けるというのか。令嬢にしては、なかなか良い根性をしてる」
「……ありがとうございます。シリュス様にそう言っていただけると自信が持てますわ」
私が素直な感謝を伝えると、ゼノス様がどこか呆れたように「おいおい」と苦笑した。
「お嬢さん、いいのかい? こいつが『氷の魔王』なんて呼ばれているのは、その見た目や魔術だけじゃない。目的達成のためならどんな非情な手も厭わない、血の通わない冷酷な思考ゆえなんだ。そんな男に褒められて喜ぶなんて、君も大概だね」
「まあ、光栄なことですわ!……それなら、この『氷の魔王』様が認めてくださった私の戦略は、成功する確率が非常に高いということでしょう?」
私が少し首を傾げて微笑んで返すと、シリュス様は僅かに耳を赤らめ、気まずそうに「……フン」と視線を窓の外へ投げた。
(シリュス様、肌が白いから赤くなるとすぐわかる……。この無愛想な顔とのギャップ、可愛いがすぎるわ!!…おっと、いかんいかん。萌えポイントを発掘して悦に浸っている場合じゃない。今は商談中よ、私!)
思わず飛び出しそうになったオタク心を理性でぶん殴り、私は意識を「仕事」へと引き戻した。
「話を続けます。ゼノス様、お願いです。ジュリアン兄様を、事情聴取の日まで完全に隔離していただきたいのです」
「ジュリアンを?」
「はい。昨日、私が力を使った際、その場にいたのはお二方の他に兄様だけです。兄様が情報を漏らせば、私の『奇襲』は失敗します。誰とも接触させないようにお願いできませんか?」
「なるほど、情報源を断つわけか。……合点がいったよ。奴が王家に身柄を押さえられた君へ暴挙を働いたのは不敬罪に等しい。騎士団が『聴取』として拘束すれば、両当主らも口出しはできないよ。ネズミ一匹、近づかせないさ」
ゼノス様が野性味のある獰猛な笑みを浮かべて頷く。
(頼もしすぎる……!けど、目が「騎士団長」じゃなくて獲物を狙う「猛獣」のそれですよ! 事情聴取という名の、徹底的な絞り上げになりそうな予感しかしないんですけど……!)
私は若干笑みを引きつらせ、シリュス様へ視線を向けた。
「そしてシリュス様。……私のこの力を、魔力だと公式に認定し、保護していただきたいのです。もし『災厄』だと判断されれば私はおしまいです。だからこそ、王立魔導師団という絶対的な抑止力が必要なのです」
前世のゲームにおいて、この力こそが彼女を『ラスボス』として破滅へ導いた元凶だった。
力を解放した瞬間に「人類の敵だ、殺せ!」という断罪ルートへ逆戻りしては、これまでの努力が水の泡になる。
この異端の力を正当なものとして定義し、守ってくれる絶対的な権威もとい保証人が、今の私にはどうしても必要だった。
「……分かった。君の力は魔力とは別系統の根源から来るものだろう。知られれば他国に悪用されかねん。我が魔導師団で君を『特例の研究対象』として扱う。調査中という名目であれば、情報の統制は私の裁量次第だ」
二人の確約を得られたことに、私はようやく肩の緊張を解いた。
騎士団と魔導師団、その頂点の協力を得られたのだ。
ゲームの中で、地下牢の暗闇に震えていたアナスタシアの運命から考えれば、これ以上ないほど豪華な手札。
これなら、勝機はある。
「方針は決まった。だが、最大の問題はどうやってその『契約書』を見つけるかだ」
シリュス様の問いに、私は短く答えた。
「一度、着替えを取りに行くという名目で家に戻ります。父の書斎に隠されているはずです」
「……あの家に、一人で戻ると言うのか?」
部屋の温度が、スッと下がった。
シリュス様の眉間の皺が深くなる。
「あの家の間取りや、両親の動線は把握しています。以前より私は第一夫人に使用人同然に扱われていましたから、使用人通路も、鍵の開け方も熟知しておりますわ」
母親からの虐め、メイドたちからの嘲笑、兄たちの言葉の暴力、父親の無関心…思い出すだけで、胸の奥が鉛のように重くなる記憶。
それでも、今の私は「アナスタシア」なのだ。
彼女が遺した負の遺産さえ、今は逆転のための武器にするしかない。
「……人の家をとやかく言うつもりはないのだが。お嬢さん、君はあそこに近づかない方がいい。あまりにも危険だ」
ゼノス様が、これまでにないほど真剣な眼差しで私を射抜いた。
「ですが、これは私の家のこと。私が立ち向かうべきなのです。お二人の貴重なお時間をこれ以上奪うわけには……」
「君を一人で行かせるほど、我々も無責任ではない」
断ろうとする私の言葉を、シリュス様の冷徹な正論が遮る。
「君の魔力がまた暴走して人を傷つければ、いくら魔導師団でさえ守りきれるか分からない。……君が『危険人物』だと判断されれば、身の安全は保障できん。我々が直接動けば敵を警戒させるだけだ。ならば、我々の代わりに護衛を付けるのが妥当だろう」
「護衛、ですか……?」
「そうだ。私の部下から隠密に長けた者を一人。ゼノスからは腕の立つ女性騎士を一人、侍女として派遣する。それが、帰宅を許す最低条件だ」
「……いえ、流石にそこまでしていただくのは申し訳ありません。そこまでしていただく価値など私には……」
私は首を横に振った。
だが、シリュス様は冷たく目を細めて言い放つ。
「忘れてはならない。君はまだ、聖女を害したかもしれない『容疑者候補』なのだぞ。我々の目もなく学園から離れるのは、本来許されることではない」
その言葉が、ずんと胸に突き刺さった。
客観的事実である、私はまだ、容疑者でしかない。
けれど……どうしてだろう。
彼に「容疑者」と言われたことが、思った以上に悲しく、突き放されたように感じてしまう。
「おい、シリュス。言葉を選べ。目の前の少女を言葉で傷つけるほど、心まで凍ってしまったのか?」
ゼノス様が鋭い声で割って入った。
私は寂しい気持ちを押し殺し、なんとか笑みを浮かべて首を振る。
「いいのです、ゼノス様。……わかっております。お二方に優しくしていただけたので、自分が許されたような気がして勘違いしていましたわ。私は、まだ容疑者ですものね。しっかり心に留めておきます」
一瞬、シリュス様の瞳が揺れた。
彼は僅かに唇を噛むと、目線をしっかり私に向けた。
「……学園の調査で、君が無実であることは既に把握している。……『容疑者』というのは、君を外部から遠ざけるための建前だ。本当の意図は、君を護るためだ。……そこを勘違いするな」
ーー護るため。
その不器用ながらも真っ直ぐな一言に、冷え切っていた心が、じわりと温かくなる。
(……やっぱり、シリュス様は冷たい人なんかじゃないわ)
思わず笑みがこぼれる。
「ふふ、ありがとうございます。……シリュス様は、本当にお優しいのですね」
「……勝手に言ってろ」
赤くなった耳を隠すように、シリュス様がそっぽを向く。
自分よりも年上で権威もあるのに、素直になれずに恥ずかしがっている姿を、私は「可愛い」と思ってしまった。
……怒られそうだから、絶対に本人には言わないけれど。
その様子を、ゼノス様が「やれやれ」と愉快そうに眺めている。
一歩ずつ、着実に前へ進んでいる。
だが、この策をより完璧なものとし、勝利を盤石にするためには、どうしても外せない最後のピースがあった。
「お二方に、さらにもう一つだけ無茶を承知でお願いしてもよろしいでしょうか。これをクリアできれば、私の計画はより完璧なものとなります」
私は意を決し、再び二人に真っ直ぐな視線を向けた。
「今回の騒動の鍵を握るフィリア様と、直接お話しさせていただけませんか?」




