閑話:シリュス視点
――実に不愉快だ。
学園休暇前の終業パーティー。
華やかな音楽と着飾った若者たちの熱気が、私にはただの無駄なノイズにしか感じられない。
「……シリュス。そう眉間に皺を寄せるな。これ以上顔が怖くなると、学生たちが本気で逃げ出すぞ」
隣で苦笑交じりに声をかけてきたのは、同期で騎士団長のゼノスだ。
「笑い事か。山積みしている執務を放り出してまで、なぜ私がこんな茶番の監視など……」
「まあ、そう言うな。我々に不満を持った殿下が陛下に告げ口をされた結果の任務だ。部下にも自分にも厳しすぎる『氷の魔王』様には、これくらいが丁度いい休息だろうと陛下もお考えなのだろう」
皮肉を込めて呟くゼノスに、私は鼻を鳴らして応えた。
――氷の魔王。
周囲が私の冷徹さを恐れてそう呼んでいることは知っている。
だが、そんな雑音に動じることはない。
誰にどう思われようが、魔導師団長である私の心は揺らぐことなどあり得なかった。
ふと視線を上げると喧騒の中心で、エドワード殿下はあろうことか婚約者でもない聖女フィリアを公然と抱き寄せている。
そして、自らの正妃となるべきセシリア・ローゼンタール公爵令嬢を断罪せんとしていた。
対するセシリアは、窮地に陥るや否や、自身の非道をすべて傍らの少女へとなすりつけようと言葉を飾る。
ターゲットは、彼女の腰巾着と蔑まれてきたアナスタシア・カデンス。
頭の中の引き出しから、部下にまとめさせた事前の調査報告の資料を思い出す。
セシリアが聖女を虐げ、その不都合な事実をすべてアナスタシアに押しつけていたことなど、疾うに把握済みだ。
おそらく逆らえない彼女は、言いなりになって主人のために泥を被るのだろう。
そのように、この状況の結末さえも事務的に結論づけていた。
だが、その確信は眼下で立ち回る少女によって僅かに揺らぐ。
アナスタシアは、王子の短慮を冷徹に突き、最悪の「王族命令」という破滅の引き金さえ引かせずに、場を「離れへの謹慎」へと着地させたのだ。
(……あれが無能だと? 調査させた部下の目が節穴だったか)
もしあの場で彼女が王子を逆上させ、強引な「王族命令」が下されていれば、この国における絶対の法を前に、我々ですら止める術はなかった。
彼女は、我々が介入する余地さえ与えぬまま、自力で盤面を掌握してみせたのだ。
(魔力さえあれば、我が魔導師団に勧誘すべき逸材だが…勿体無いな)
軽く息をつき、私はゼノスとともにその場を離れた。
指定された北側の離れ。
予定時刻を過ぎても、アナスタシア・カデンスは現れなかった。
「……遅いな。何らかの妨害があったか」
ゼノスが静かに周囲を警戒し始める。
私もまた、忙しい合間を縫って来たというのに、この事態に苛立ちを覚えながら魔法感知を広げた。
その瞬間、学園の片隅、古い資材庫から放たれた
『何か』が、私の脳髄を灼いた。
――ガァァァァァンッ!!
「何だ……!? 今の衝撃は」
「……わからん。魔力感知をしているが、私の知るいかなる魔法とも合致しない」
私は、震える思考を抑えて資材庫へと走った。
扉を蹴破った瞬間に広がっていたのは、この国随一と自負する私のキャリアを根底から揺るがす光景だった。
右腕を折られ、のた打ち回るジュリアン・カデンス。
そしてその中心で、漆黒の魔法と虹色の光の粒を纏うアナスタシア。
(……なんだ、これは。あり得ない。魔法の頂を極めた私も知らない、見たこともない力がここにあるというのか)
圧倒的な質量。未知の法則。一歩を踏み出すことさえ躊躇うほどの輝き。
「あら、お二人は……殿下の許可なく、私刑を加えようとした愚か者を捕らえに来てくださったのではなくて?」
――満身創痍の姿。
――はだけたドレス。
――滴る血。
そんな凄惨な状況にありながら、彼女は若い淑女として、極めて美しく、気高く微笑んでみせた。
その微笑みに、私は初めて『恐怖』とは違う戦慄を覚えた。
「……あとは、おねがい、します……」
虹色の光が霧散し、彼女の体が崩れ落ちる。
「……っ!」
驚いたのは、自分自身の反応だった。
気がつけば、私の体はゼノスと同時、あるいはそれよりも早く動いていた。
倒れ込む彼女の体を、ゼノスと共に抱きしめるようにして受け止める。
私の腕の中にある肩は、驚くほど細く、今にも折れてしまいそうだった。
間近で見るその寝顔は、虹色の魔法に守られていた時とは対照的に、あまりに脆く、か弱い。
「……シリュス、お前が動くとはな」
隣で彼女を支えるゼノスが、驚きを隠せずに私を見ている。
だが、私の方が驚いていた。
生まれてこのかた、他者のためにこれほど心が騒めいたことなど、一度としてなかったのだ。
周囲に何を言われようと動じなかった氷の心が、彼女の存在一つで、これほどまでに激しく脈打っている。
「……ひどい有様だ。どれほど一人で耐えていたんだ、このお嬢さんは」
ゼノスが痛ましげに声を落とす。
彼女の白い肌を汚す青あざや血痕が、私の冷え切っていたはずの心臓を、不快なほどに熱く、締め付けた。
「……ああ。このままにはしておけんな」
ゼノスは、壊れ物を扱うような手つきで彼女を抱き上げた。
「俺がこのまま治療を受けさせに連れて行く。シリュス、お前は――」
「わかっている。……私はこの場の『残滓』を記録し、後の処理を済ませてから行く」
後の処理。
床でのたうつ、この最低な男の片付けも含めてだ。
実の妹にこれほどの暴挙を働き、あろうことか返り討ちに遭った無能。
ジュリアンを一瞥し、私は腹の底から湧き上がる不快感を隠そうともしなかった。
ゼノスが彼女を連れて去る背中を、私はただ見送った。
一人残された資材庫。
床にはまだ、彼女が放った虹色の光の粒が、幻影のように漂っている。
私は、その光に触れようとして指を止めた。
(……乱されたな、私ともあろう者が)
あの虹色の瞳。
あの気高い微笑み。
そして、腕の中に残った、消えてしまいそうなほどの熱量。
「……アナスタシア・カデンス」
その名を呟いた声は、自分でも驚くほどに熱を帯びていた。
私は、消えゆく虹色の残光を見つめながら、これから始まるであろう予測不可能な未来に、生まれて初めての心臓の高鳴りを感じていた。




