第2話:クソゲーの果てに
前世の私は、いわゆる「社畜」だった。
ブラック企業に勤め、朝から晩まで鳴り止まない電話。
クライアントからの無理難題、そして上司の怒鳴り声に耐える日々。
給料のほとんどは親が作った借金の返済に消えた。
手元に残るのはコンビニのサンドイッチと、眠気覚ましのブラックコーヒーを買うための少しの生活費だけ。
自分の人生を生きている実感など微塵もない、ただ生きるためだけに働く自転車操業のような毎日。
そんな私の唯一の救いが、中古の乙女ゲームだった。
現実から逃避したくて、ただ画面の中の美しい世界に没頭したかった。
(……あの日も、そうだった)
久しぶりに終電で帰宅できた私は、古本屋の軒先にあるワゴンから適当に拾い上げたゲームを開封した。
パッケージも透明なケースに入っているだけの、怪しいソフト。
表紙には無機質なフォントでこう書かれていた。
【『聖なる乙女のプレリュード』/制作会社不明】
「制作会社不明とか、怪しさ満点だけど……まあ、タダ同然だったし。ワンチャン神ゲーかもしれないしね」
睡眠不足で思考能力が低下していた私は、迷わずゲーム機を起動した。
だが、プレイ開始から数時間後。
私は猛烈な殺意を抱いていた。
「いくらなんでもクソゲー過ぎる!!私の貴重な睡眠時間を返して!!」
ストーリーは、聖女が魔物から王国を救うという超王道もの。
基本的には王立魔法学園の生徒会メンバーとの恋愛を楽しみつつ、最終的には王都を強襲した災害級の魔物をパートナーと共に倒すという、王道のファンタジー恋愛シミュレーションゲームである。
だが、攻略対象がことごとく胸糞悪かった。
第一王子は聖女を盲信して、婚約者の令嬢を断罪。
他の生徒会メンバーも、聖女にゾッコンなあまり周囲への配慮を欠き、問題を加速させていく。
そして聖女の邪魔をする悪役令嬢セシリア。
彼女は自分の罪を、すべて「腰巾着」であるモブ令嬢に擦り付けるのだ。
どのイベントシーンでも、高飛車に振る舞うセシリアの後ろで、伏し目がちに「流石はセシリア様ですわ」と頷くだけの、地味で影の薄いモブ。
自分の意見など持たず、ただ主人を肯定するためだけに存在する舞台装置。
周囲の誰もがモブ令嬢の言葉を信じず、彼女は投獄される。
ここまではまだ、なんとか耐えられる展開だった。
その先の展開がさらに酷かった。
投獄されたモブ令嬢――アナスタシアは、セシリアの手によって密かに「魔力が暴走する薬」を投与され続けるのだ。
家族にも見捨てられて精神も肉体もボロボロになった彼女は、最終的に王都を半壊させるほどの「災厄」へと変貌する。
そして、醜い怪物となった彼女が、聖女に討伐されることで物語は幕を閉じる。
「救いがない……救いがなさすぎる。なんでこのモブちゃんだけ、こんな目に遭わなきゃいけないの! モブにだって、ちゃんと人権はあるんですよ!!」
画面に向かって、行き場のない怒りをぶちまける。
このゲーム、攻略対象やセシリアが狂っているだけではない。
周りの大人たちまでもが、無能の極みなのだ。
いや、正確に言えば「まともな人間から順番に消されていく」クソ仕様だった。
王子やセシリアの暴走を止めようとした賢明な者たちは、シナリオの都合で早々に退場させられる。
たとえば、王立魔導師団長のシリュス様。
透き通るような銀髪に、氷の刃を思わせる冷徹なアイスブルーの瞳。
まさに「氷の王子」を体現したような美貌。
たとえば、王立騎士団長のゼノス様。
燃えるような赤髪と、獅子のごとき強靭な肉体にすべてを射抜くような黄金の瞳。
まさに「炎の王子」を体現したような、野性味溢れる色香。
なのに彼らもまた、公式の無慈悲な采配によって、王族にたてついた罪で邪魔者扱いされ、退場させられる運命だったのだ。
生きていたら推せていたのに、ゲームの中で早々に退場しては推せるものも推せない。
怒りが、またふつふつと湧き出てくる。
「せっかくのまとも枠が! あんなにイケメンだったのに!! こんなクソみたいなシナリオのために使い捨てられるなんて……!」
何よりも、モブ令嬢アナスタシアの最期のセリフが、私の胸を抉った。
『どうして、この世界は私にだけ厳しいの? 痛いよ……苦しいよ……私は、ただ、誰かに隣にいてほしかっただけなのに……』
その孤独感、やるせなさ。
親の借金のために働き、少しのミスで怒鳴られ、誰からも感謝されないまま磨り減っていく自分の毎日が、どうしても彼女と重なってしまった。
「……救済ルート、絶対にあるはず」
意地になった私は、三日間不眠不休でルートを探索した。
だが、どの選択肢を選んでもアナスタシアは死ぬ。
どのルートを通っても、聖女たちの邪魔をしようとセシリアが暗躍し、彼女の身代わりにされたアナスタシアが、討伐対象の「災厄」として処分されてしまうのだ。
世界は彼女の犠牲の上に「平和」を築く。
絶望したままフラフラで出社し、信号無視の車に跳ねられた。
ワンテンポ気づくのが遅れた私の体は宙を舞い、呆気なく死んだ。
本当に、人生は、クソゲーだ。
――だが、今は違う。
「アナスタシア嬢。何か反論はあるか?」
エドワード王子の、冷え切った問いかけ。
その一言で、私の意識は完全に回帰した。
途端に、腹の底からドロリとした何かがせり上がってくる。
この世界の理不尽に。自分を嵌めた女に。
何も知らないまま正義を振りかざす愚か者に。
(……ゲームのシナリオ通りになんて、させてたまるか)
どうせ死ぬ運命なら。
薬漬けにされて、言葉も通じないバケモノにされるくらいなら。
今この瞬間、私の意志で、このクソゲーをぶち壊してやる。
「……反論、ですか」
私は、騎士に押さえつけられたまま、ゆっくりと顔を上げた。
目元を隠していたうざったい前髪を、軽く払う。
「ありますわ。……たっぷり、聞かせて差し上げます」
これまでの全ての鬱憤を吐き出すように、長く、深い息を吐く。
地面に這いつくばっていた少女は、誰の助けも借りずに、その場に毅然と立ち上がる。
伝説の幕開けを告げる、神の化身の産声が、今、静寂を切り裂いた。




