第1話:悪役令嬢の腰巾着は、断罪の生贄になる
豪奢なシャンデリアの光が、網膜をチクチクと刺す。
明日から始まる長期休暇を目前に控えた、王立魔法学園のパーティー会場。
そこには帰省を待つ生徒たちの浮き足だった熱気と、それ以上に冷ややかな好奇の視線が充満していた。
「セシリア・ローゼンタール公爵令嬢!」
第一王子エドワードが放った鋭い声が、ホールに響き渡る。
「これまでのフィリアに対する其方の悪行、もはや見過ごせぬ。今この場を持って、婚約破棄を言い渡す!」
眩いばかりの金髪を逆立て、正義を確信した傲慢な青い瞳。
そんな王子の傍らには、清楚な純白のドレスに身を包んだ聖女フィリアが寄り添っていた。
潤んだ瞳を揺らし、守るべき乙女を抱き寄せた王子の姿。
それはまるで、悲劇のヒーローのようだった。
対するセシリアは、まるで物語の悪役令嬢のようである。
縦ロールに巻かれた金髪を揺らし、相手をねじ伏せるような鋭い碧眼を光らせる。
贅を尽くした真っ赤なドレスを纏った彼女は、今、絶望に顔を歪ませていた。
「そんな……」
力なく唇を震わせる彼女の姿を、私は群衆の隅から、どこか他人事のように眺めていた。
――アナスタシア・カデンス、それが私の名前だ。
カデンス伯爵家という、歴史だけは古くとも今や没落寸前の貧乏貴族の娘。
第一夫人の子である二人の兄とは違い、今は亡き第二夫人の子として生まれた私は、魔力も乏しく家族からも一切期待されていない。
私はこの華やかな学園において、公爵令嬢セシリアの機嫌を損ねないよう立ち回るだけ。
文字通りの「腰巾着」だった。
彼女の鮮やかなドレスの陰で、流行遅れの地味な灰色のドレスを纏う。
実家に負担をかけないよう食事代を削っている生活のせいで体は薄く、手入れもされず艶を失った銀髪は、常に「みすぼらしい」と笑われた。
ここ最近は期末試験もあって、セシリアの代筆作業で連日徹夜。
隈は酷くなり、震える指先にはインクの汚れが滲んでいる。
実家がローゼンタール公爵家から多額の支援を受けている以上、私に許された役割はただ一つ。
高飛車に振る舞う彼女の二歩後ろに控え、何があっても否定しない。
ただ「流石はセシリア様ですわ」と人形のように頷き続けることだけだ。
前髪を長く伸ばし、目元を隠しているのは、誰とも目を合わせたくないから。
暖簾越しに舞台を観ているような、現実味のない感覚。
エドワード王子の怒声も、周りのひそひそ話も、どこか遠い国の出来事のように聞こえる。
(……いつも通り、黙って頷いていればいい。良さげなタイミングでセシリア様の機嫌を取って…)
(そうすれば…すぐに終わるはず…)
空腹と疲労感で思考放棄して眺めていた、その時だった。
絶望に沈んでいたはずのセシリアと、ふいに目が合った。
彼女は――笑っていた。
この絶望的な状況下で、口元を扇子で隠しもせず。
残酷なまでに美しく、余裕たっぷりに微笑んでいたのだ。
「エドワード様……何か、大きな勘違いをされていらっしゃいませんか?」
セシリアの声が通り、場がしんと静まり返る。
誰もが次の言葉を逃すまいと、唾を飲み込む音が聞こえるようだった。
「俺が何を勘違いしていると言うのだ。述べてみよ!」
「ふふ、私は聖女様がエドワード様の隣に立つにあたり、あまりにも礼儀作法がなっていないとご指摘したまでですわ。王子がどのような身分の女性を娶るにせよ、王族の伴侶としての品格は必要でしょう?」
聖女フィリアがビクッと肩を揺らす。
「それは……そうだが! 俺はフィリアはそのままでいいと伝えたはずだ!」
「殿下がおよろしくても、周りの目が許しませんわ。私は将来、フィリア様が聖女としてお困りにならないよう、慈悲の心で助言を差し上げただけですのよ?」
セシリアの言葉は淀みない。
本来ならここで、「流石セシリア様」と言うべきなのだが、口が動かない。
婚約破棄されているのに、何故こんなにも余裕なのだろうか。
彼女の言葉を受けて、王子は顔を真っ赤にして言い返す。
「それなら、彼女の紅茶に毒物を混ぜ、教科書を池に沈め、さらには学園の階段から突き落としたのも其方の『慈悲』だと言うのか!」
その瞬間、セシリアの吊り上がった瞳が、ニィと三日月型に歪んだ。
「……いいえ。それは私の仕業ではございませんわ」
彼女は優雅な動作で扇子を畳むと、その先端ですうっと「ある方向」を指し示した。
嫌な予感がした。
心臓の鼓動が、不自然なほど忙しなく脈打つ。
扇子の先は、真っ直ぐに――私を捉えていた。
「私は見ましたわ。聖女様を階段から突き落とした、真の犯人を――」
セシリアの鋭い双眸が、前髪の隙間から私の瞳を射抜く。
背中に、氷水を流し込まれたような冷たい汗が流れた。
「アナスタシア・カデンス伯爵令嬢。……地味で目立たない貴女が、陰でそんな恐ろしいことをしていたなんて。私、ショックで寝込んでしまいそうですわ?」
観衆の視線が一気に私へと注がれる。
好奇、軽蔑、嫌悪。
数百人分の毒を含んだ視線が、針のように全身を刺し貫く。
呼吸が、うまくできない。酸素が足りない。
ただの観客だったはずの私が、いきなり処刑台の主役に引きずり上げられた気分だ。
「なっ……、ちが、私は……っ」
声が出ない。
震える足で一歩後ずさるが、逃げ場などどこにもなかった。
「騎士科の者! その女を捕らえろ! 今すぐ地下牢へ連行せよ!」
エドワード王子の怒号が飛ぶ。
即座に、私の両隣にいた大柄な騎士志望の生徒たちに腕を掴まれ、冷たい床に叩きつけられた。
眩しすぎるシャンデリア。
勝利を確信して美しく微笑むセシリア。
正義の味方気取りで私を見下ろす第一王子。
(――ああ、思い出した。私はここで、彼女に全ての罪を擦り付けられて死ぬんだ)
その一瞬。
脳内で何かが弾けた。
アナスタシアとしての記憶の濁流を押し流すように、
全く別の「私」の人生が、怒濤の勢いで流れ込んできた。




