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第9話:密談

「……お二方。フィリア様と、直接お話しさせていただけませんか?」


 私がベッドの上で姿勢を正し、そう切り出した瞬間だった。


「お嬢さん」


 ゼノス様がスッと身を乗り出し、私の唇に人差し指を押し当てた。

 大きな、熱を持った指先。

 至近距離で見つめてくる黄金の瞳は、これまでにないほど真剣で、どこか威圧的ですらあった。

 ドクン、と心臓が跳ねる。


「……っ、ゼノス様?」


 ゼノス様の視線を受け、シリュス様が無言で頷いた。

 そのまま部屋の隅に控えていた従者たちに、短く手で合図を送る。


「下がれ。これより結界を張る。私の許可なく、何人なんぴとたりともこの部屋に入ることは許さん」


 従者たちが音もなく退室すると、シリュス様が指先を宙に踊らせた。


「ーー氷華領界(フロラ・セプタ)


 キィィィィィィン……ッ。


 鼓膜を震わせるような澄んだ音が響き、薄い氷の膜が空間を半球状に覆っていく。

 驚いたのは、その壁面に命が吹き込まれたかのように、銀色の結晶が鮮やかな花を咲かせていったことだ。


「……綺麗」


 見惚れている私を余所に、ゼノス様は唇から指を離した。


「いいか、お嬢さん。フィリア嬢の話には、まず王子が関わるだろう?王族に関することは、たとえ信頼できる従者の前であっても軽々しく口にしてはいけない。歪んで伝われば、不敬罪になりかねない。王族関連はローゼンタールの話よりも複雑で、安易に触れていい話題ではないんだ」


 私は、ごくりと唾をのみ込む。


「……そこまで、慎重にならなくてはならないのですか?」

「当たり前だ。今回は私たちが多少は目をつむるが、従者たちの耳に入ればどのような不敬として歪められるかわからない。どうしても相談したいときは、私かシリュスの前だけにしなさい」


 ゼノス様の冷徹な忠告に、私はハッとした。

 そういえば私、昨日第一王子に対して、相当な毒を吐いた気がする。


「な、なるほど……。そうすると、昨日殿下にあれだけ言ってしまったのは……かなり不味いのでしょうか?」

「不味いどころではないだろう。君の不敬な態度だけで、処罰しろと騒ぎ立てる貴族は出てくるだろうな」


(でもさあ、ゲームの時からずっと我慢してたんだもん……。王族という絶対的な権力を盾に、何でも自分の我を通そうとするあの王子の傲慢さ! はあ……貴族社会って本当に面倒くさい。それでも、あの王子にぶつけた言葉は、一つだって後悔なんてしてないけれど)


 私が内心で王子に対する悪態をついていた瞬間、ぐにぃっと右頬に衝撃が走った。


「い、いひゃいれす……っ! いたひゃいれすよ、シリュス様!」

「……アナスタシア・カデンス。君、全く反省していないな。何を考えているのか透けて見えるぞ」


 シリュス様が、ぐにぐにと私の頬をつねっていた。

 ……ちょっと待って。これ、多少どころか本気でつねっていませんか、シリュス様!?

 涙目で訴えると、彼はようやく手を離し、心外そうに自分の指先を見つめた。


「……君の頬が、無駄に柔らかすぎるのが悪い。つねり心地が良すぎて、加減を誤った」

「そんな理由でつねられたんですか私は!?」


 頬をさすりながら抗議すると、シリュス様は射抜くような厳しい視線で私を諭した。


「君は模範的な淑女に見える瞬間もあれば、常識を平然と踏み越える危うさがある。後ろ盾のない今の君なら尚更だ。正論をそのままぶつければ、いくら首があっても足りんぞ」

「……シリュス、お前が言うのか」

「私には立場がある。多少の正論なら通るだけのな」


 ゼノス様のジト目に、シリュス様は「フン」とそっぽを向く。


(……あれ。もしかしてシリュス様、自分も普段から不敬ギリギリのこと言ってる? ゼノス様がいなかったら、とっくに消されてるタイプじゃないのかしら、この人……)


 この二人は、お互いを補完し合っているのかもしれない。

 もしかしたらゼノス様の世話焼き気質は、魔導師団の部下たちをも救っているに違いない。

 ……お疲れ様です、ゼノス様。


「……この中だけにしますので、話すことをお許しください。私は、被害者であるフィリア様に、お伝えしなければならないことがあるのです」

「聖女と何を話そうと言うのだ? 全部話せ」


 シリュス様が眉間の皺を叩きながら続きを促した。私は視線を落とす。


「まずは、彼女に謝りたいのです。フィリア様が沈黙を守る理由の一端は、私にもあります。私は彼女に対し、ずっと『見ていないフリ』をしてきましたから」

「……だがお嬢さん。それは家からも指示され、ローゼンタール家に逆らえなかったからでは?」

「……それでも、彼女への蛮行を止めない理由にはなりません。私は、目の前の現実から逃げただけの臆病者なのです」


 たとえ親の命令だとしても、セシリアの執拗な虐めを傍観し、肯定してきた事実は消えない。

 それはアナスタシア(わたし)の罪であり、裁かれるべき汚点だろう。

 しっかりと謝っても、許される確証はない。

 それでも、自分の罪をなかったことにはしたくない。


「……なるほど。フィリア嬢がお嬢さんを許すかどうかは、我々にはどうしようもないな。彼女の本性がわからぬ現状、誠心誠意をぶつけても焼き石に水になるかもしれないぞ」


 ゼノス様の言葉が、冷徹な現実を突きつける。

 この世界において、上位の爵位を持つ者が格下の者に許しを乞うなど、あり得ない「愚行」なのだろう。


「本来、貴族とは弱き者を守るべき存在ですわ。たとえ没落寸前であろうとも、私は伯爵家の名を継ぐ者。男爵令嬢であるフィリア様を尊び、守ることこそが、あるべき正しい姿だったのです。己の過ちを認め、歪んだ在り方を正していくこと。それこそが、私が守り抜きたい伯爵令嬢としての矜持ですわ」


 彼女がどれほど恨んでいるのか誰にも分からない。

 こんなの綺麗ごとで、戯言だと言われるかもしれない。


「だからこそ、私は裁かれるのであれば、エドワード王子でもセシリア様でもなく、フィリア様の手で裁かれたいのです」


 にこりと微笑み、続けて話す。


「そして、もし。フィリア様が慈悲の心で私を許してくださるなら、次こそは力になりたいと、本当に心から思っているのです」

「……もし彼女が許したとして、どうやって君は力になるんだ?」


 シリュス様は厳しく追求する。


「 君は立場的にも家柄的にも金銭的に彼女を支援できるほどの力はないだろう」


 私は、ゆっくりと息を吸い、そして吐き出した。

 シリュス様の言外に、「謝ったところで、君には何も改善はできないだろう」という冷徹な意図を感じる。

 弱みを見せることは、貴族として致命的なのだろう。

 たとえそれが卑怯でも、どれほど権力を振りかざそうとも、常に強い立場に君臨し続けなければならない者たちは、時として汚いものを飲み込んででも立ち続けなければならないのかもしれない。


「……決して強くはない立場だからこそ、道を示すことくらいなら……できますわ」

「……どういうことだ?」


 射抜くようなシリュス様とゼノス様の視線が、真っ向から私を捉える。


「……私は、本来あるべき場所に彼女の居場所を作りたいのです」

「……居場所、だと?」


コクリと私は頷く。


「今のフィリア様には、安全で、聖女として守られる正しい居場所があるべきだと考えています。今の彼女は王子の盲目的な愛に依存し、ローゼンタール家からの脅威に怯えています。もしかしたら学園より王城はもっと居心地が悪いかもしれません……そんな彼女を、本来あるべき『教会』に預け、教育と保護を行うべきです」

「教会か……」


 ゼノス様が苦い顔をした。

 理由を問うと、王族の利権を狙う教会側との摩擦は、ローゼンタール以上に厄介だという。「貴族なのにそんなことも知らんのか」と呆れられてしまった。


(……教会の話はゲーム内でも薄かったけど……。あ、でも王子が『教会にフィリアを連れて行ったら、金に汚い古狸どもに搾取されるだけだ』なんて、そんなことを言っていたような……)


 私が必死に前世の知識を掘り返していると、不意にシリュス様が口を開いた。


「待て、ゼノス。アナスタシアの考えはそれほど悪くない。確かに教会には金にがめつい奴らもいて王族との軋轢(あつれき)もあるが、あそこの書庫には古代魔術や失われた風習をまとめた文献も多いと聞く。その中には当然、聖女に関する記載もあるはずだ。彼女を保護し、教育する場所としてはうってつけかもしれぬ」


 シリュス様の言葉に希望の光を見出し、私はここぞとばかりに二人の説得にかかる。

 フィリア様からの信頼を取り戻し、私が本当に彼女を案じている証拠として、どうしてもこの「前世の情報」を授けたいのだ。


「……学園の禁書庫に、古語で記された古い聖書があります。あれを彼女に与えてください。あれには『聖女』にしか開くことができない仕掛けがあるため、たとえ教会側であっても無理に取り上げることは不可能です。教会なら古語の研究者も多いでしょうし、彼女をいち早く聖女へと導く手助けになるはずですわ」


「…………なぜ君が、それを知っている? あれは解読不能の古語で記された、いわく付きの書物のはずだ」


 シリュス様が、戦慄したように目を見開いた。

 魔術の深淵を知る彼だからこそ、その情報の重さに驚愕しているのだろう。

 私は背中に嫌な汗が流れるのを感じながら、精一杯の営業用スマイルで誤魔化した。


「セシリア様に言いつけられて、図書室で調べ物をしていた時にたまたま見つけたのです。もちろん、私では開くことすら叶いませんでしたわ。ただ、本の装丁から察するに、聖女様を象徴するモチーフが施されていたので、きっとお力になれると思ったのです」

 

(お願い、これで誤魔化されて……!突っ込まないで、頼むから!)


 私はシリュス様に口を開かれる前に、話を次に続ける。


「さらに王子へは、『聖女を教会に預ける代わりに、彼女を王女として正式に迎えるための政治基盤を整えろ』と告げるのです。陛下がその努力を認めれば、王子は愛する彼女を手に入れるため、死に物狂いで働くでしょう。ローゼンタールの悪事を裁く動機にもなりますわ」


 教会、王子、聖女、王族……そして私。

 皆が利を得る「三方どころか、五方よし」の提案ではないだろうか。


「私はフィリア様に許された暁には、これまでに述べたことを助言した上で、フィリア様がその権利を得られるよう王にも進言したいと考えているのです」


 そう思えど2人の反応が気になってうまく呼吸ができない。

 前世の知識を踏まえ、考え抜いた末の選択肢をすべて二人に話した。

 フィリア様と対話するリスクも、その意義も、そして自分自身の犯した罪も。


 ――すべてを、包み隠さず打ち明けたのだ。

 

 この考えが正解か否かはわからない。

 成功する保証など、どこにもない。

 それでも、この二人は協力してくれるだろうか……。

 不安に胸を焼かれ、固唾(かたず)をのんで反応を待っていた、その時だった。

 

 シリュス様が、はあ、と深く溜息を吐いた。

 彼は椅子から立ち上がると、ゆっくりとベッドの傍らまで歩み寄ってくる。

 氷原を思わせる冷徹なアイスブルーの瞳が、真っ向から私を射抜いた。


「……君には、驚かされてばかりだな」


 至近距離。

 シリュス様の冷ややかな、けれど確かな熱を帯びた吐息が肌に触れる。

 彼は迷うように指先を伸ばすと、先ほど自分が赤くしてしまった私の右頬を、今度は壊れ物を扱うような手つきで、そっと親指で撫でた。


「……褒めて(つか)わそう、アナスタシア・カデンス。君の策には、乗るだけの価値がある。これほど知略に長けた女性が、黙って冤罪で投獄されるなど……この私が許さない」


 シリュス様の瞳に宿っているのは、隠しきれない強烈な「執着」の色だ。

 異質な魔力が原因なのか、それとも前世の知識が鍵だったのか、私にはわからない。

 だが私の「何か」が、彼の凍てついた瞳に火をつけてしまったーーそんな予感がしてならない。


 その熱にあてられて硬直していると、反対側からゼノス様の大きな手が、私の肩を包み込むように置かれた。


「おいシリュス、お嬢さんが怯えてるだろう。……だが、俺も同感だ」


 ゼノス様がベッドに膝をつき、ぐっと目線を下げた。

 黄金の優しい瞳が、溶け出した陽だまりのように私を捉える。


「 お嬢さん、あんたの思想は既存の勢力図を根底から塗り替えかねない。この結界がなければ、外にいる貴族たちが揃って腰を抜かして倒れるところだったよ」

 

 ゼノス様の瞳は温かな陽だまりから、だんだんと燃え盛る太陽の中心のように、じりじりと温度を上げているように感じる。

 その熱がゼノス様の指から伝わり、気のせいだろうか、愛おしそうに私の髪を()く。

 体温が直接流れ込んでくるような錯覚に、心臓はうるさいほどに脈打ち始めた。


「…だが、悪くない。フィリア嬢やローゼンタール家の扱いは騎士団でも相当な火種だった。それをこうも鮮やかに捌いてみせるとはね。この一件が終わったら覚悟しておけよ。お嬢さんを簡単に手放すほど、俺は物分かりのいい男じゃないんだ」


「な、……っ!!」


 この国における「最強」の二人が、逃がさないと言わんばかりの距離まで詰め寄っている。

 左右からの圧倒的な圧力に、呼吸の仕方を忘れそうになる。


「陛下への取り次はゼノスがやれ。聖女の連れ出しは私が引き受けよう。細かい事はまた明日以降に話す。」


 シリュス様は一息でこれからの予定を立てて、私を見据える。


「ただ君は、自分の描いた盤面を信じていろ」

「……はい、よろしくお願いいたします!」


 私は、目頭が熱くなるのを必死に抑えた。

少し長くなりましたが、2人の協力を得て今後の予定が固まりました。

アナスタシアの次なるミッションは、「地獄の実家帰省」です。

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