八 追悼、そして提案
突然の物音に、切れかけていた緊張の糸が再び張り詰めた。次は何が出てくるのかと、小影は構え直して音がした茂みを凝視する。もしや先程の余所者幽霊と似たような怪異が現れたのか、はたまた全く別の何かなのか。思考を巡らせながら姿を現すのを待っていた、のだが……。
「何も、出てこない?」
いくら待てども、物音を立てた張本人が姿を見せることはなかった。だが草木を揺らす音は二人ともはっきりと聞いていた。だから確実に、そこにいたはずなのだ。
そうやって小影が訝しんでいると、トントンと蘭果に肩を叩かれた。何かと思って彼女を見ると、蘭果は無言で茂みの方を小さく指差す。素直にその方を目を凝らせば、暗がりに身を潜めながら『それ』はいた。
そこにいたのは、小さな巨頭の怪異であった。そいつは木の後ろに隠れながらこちらを見つめていたけれども、その大きな頭は太い幹であっても隠せてはいなかった。そして心做しか、何処か怯えているようにも見える。その様子や比較的小さな体躯からして、子供の村民なのだろう。
「でも、なんでこんな所に?」
「サァ、どうしてだろうな」
何の解決にもならない返しに呆れつつ、小影は再度『それ』を見つめた。あんな弱々しい怪異は見たことがなかった。小影が今まで見てきたのは、いずれもこちらに悪意を持って害を為すものばかりだった。だから小影もそれ相応に、彼らを滅さんとして戦ってきたのである。
だが、相手が敵意のない矮小な存在となれば話は変わってくる。あの怪異が何を伝えたいのか、小影には全くわからなかった。そんな小影の様子を見て、蘭果はやれやれといった風に語り始める。
「あれはな、余所者を退治したお前に感激しているのだヨ。あれだけではない。村全体の村民が感謝の意を示している。相当あの余所者が邪魔だったようダ。良かったナ、お前はこの廃村のヒーローとなったのダ」
何が良かったのであろうか。怪異などに感謝される筋合いはない。救世主になった覚えはない。小影にとって怪異とは、忌むべき敵だったはずだ。だからこそ意地悪さをたっぷり含んだ蘭果の言葉は、吐き気を覚えさせるのに十分であった。
そんな小影をつまらなさそうに見下ろし、蘭果は村の入り口の方へと戻り始める。一拍遅れてそのことに気が付いた小影は、得も言われぬ不快感を振り切って彼女を追いかけた。
その道中、巨頭の村民らは隠れるようにこちらを見つめ続けていた。蘭果の言う通り、彼らには何かしら感じるところがあるのだろう。小影も肌でそれをわかっていた。それ故に今まで感じたことのない心地の悪さが消えてくれないのだ。彼らのヒーローになど、なってやるつもりは到底なかった。
それでも。しかしそれでも、小影の気持ち以上に、一人の生者としてやらなければいけないことがあった。それは、人間としての尊厳を保つためのものであるのだから。
――入り口の鳥居へと戻ってきた二人は、振り返って首歪村を見据える。初めはおどろおどろしい雰囲気を帯びていたはずなのに、何故だか今は普通の集落に見えてしまう。
かつては彼らも普通の人間として、平和な暮らしをしていたはずだ。そこには善意も悪意もない、生者にとっての日常だけがあった。つまりは、彼らは自分達となんら変わりはなかったはずなのだ。それを、凄惨な事件がぶち壊した。
別に小影は彼らを救いたいわけではない。そこまでする義理などない。けれども、せめて安らかに眠れるように願う必要があるのだと感じていた。彼らは怪異でありながら、事件の被害者としての死者なのだから。死者の安寧を願うのは、生者の義務なのだから。
小影は何も言わず瞳を閉じて、首歪村に向かって静かに手を合わせた。その行動を見て蘭果は、安らかに微笑む。
「成る程、それがお前の答えカ。ならば、私も」
次いで、蘭果も同じ様に合掌する。時間にして十数秒。「どうか安らかに眠っていてください」と心の中で唱えるだけの時間。それを終えれば、小影も蘭果も目を開けて踵を返す。余所者が必要以上に居るべき場所ではないのだから。
≪≫
来た道をそのまま戻って、二人はトンネルの代わりとなるけもの道を抜けた。時間を見れば、夜九時を回っていた。
ふと蘭果の方を見れば、彼女は人がいないのを確認しているようだった。彼女の姿を見て、小影はその理由を理解する。蘭果は未だ、百々目鬼の姿のままであった。だが幸い、封鎖されたトンネル付近に人など滅多にこない。そのことを蘭果も理解したのか、安堵しつつ自身に術を掛ける。するとあっという間に体中の眼が消えていき、何処か小影は感心した。
「ン、なんだ? そんなに見つめられたら流石の私でも恥ずかしいのだガ」
「やかましい。第一あんたなんかに恥じられてもこっちが困る」
蘭果の軽口に、小影は辟易した態度を見せる。そんな小影の心中を知ってか知らずか、相も変わらず蘭果はカラカラと笑っている。否、小影の心中など関係ないのだ。彼女は、自身が楽しければそれでいいのだから。
そんな蘭果が、先を行こうとする小影を呼び止めた。まだ何かあるのかと、小影はうんざりしながら振り返る。
「ナァ、小影よ。怪異蒐集に、もうしばらく付き合ってはくれないカ?」
そこには、揶揄うような笑みはなかった。真剣かつ、穏やかな微笑で彼女は提案を持ち掛ける。小影は変わらず断ろうとするが、それよりも先に蘭果が続けて話す。
「勘違いするナ。今回は本当にただの提案ダ。お前は、何らかの怪異に一矢報いようとしているのだろう?」
「そんなことも話したね。それが何?」
「私なら、その手伝いをしてやれると言っているのダ。私と共に怪異を調査していけば、いずれお前の標的にも辿り着くのではないかと考えてナ。どうだ、悪くない提案だとは思わないカ?」
それを聞いて、小影は逡巡する。確かに、彼女の言うことには一理ある。彼女の提案に乗れば、きっとあいつに辿り着くことができるだろう。さすれば己の罪は清算され、あの人を救い出すことができる。問題は、この提案が怪異のものであることだ。怪異を憎んでいるというのに、その怪異に手を貸すのはプライドが許さなかった。
……いや、今更プライドがなんだ。あいつを討てるのならば、他に望むことなんて何もない。利用できるものは利用しろ。そう自身に言い聞かせて、小影は覚悟を決めた。
蘭果は手を差し出して、小影を見下ろす。月明りに照らされた蘭果は、まさに新たな世界に導くようであった。
「どうだ、私に付き合ってくれるか?」
「ハッ、付き合うって? これは監視と、わたしの都合。せいぜい、わたしの復讐に利用されてよ」
そう言って、小影はその手を取る。そうだ、これは仲良しごっこなんかじゃない。互いが互いを利用し合う、共犯的な関係だ。だから変に肩入れする必要もない。それだけのことだ。
「――クッ、クカカッ! そうかそうか、お前のような人間は初めてダ! 末永くよろしくしよう!」
「馬鹿が。こんな関係、さっさと終わらせてやる。あんたの命日を期日としてさ」
しっかりと拳を握り合い、お互いの瞳を見つめ合う。その目の先は、互いの姿を見ているようで見ていない。互いが、自分の行く末だけを見据えていた。けれども、それで良かったのだ。今のところは。
……ふと、小影は来た道を振り返る。けもの道はもう塞がれていて、本当に幻の道だったのだと思われた。だが、小影が振り返ったのはそれ故ではない。
デジャヴ。なんとなく、一度来たようなことがあると感じつつも、いつ来たかなど覚えているはずがない。当然だ、だって初めて訪れた場所なのだから。
そんな小さな違和感を残しながら、小影はその場を去っていった。




