秋風のあと
その向こう、裏方としてその様子をじっと見ていた生徒会会計の千春は、明日香に飛びつかれた瞬間の胡葉の「表情」を見逃さなかった。
一瞬だけ世界が止まったような、あの切なさを孕んだ目。
(……あれ? まさかとは思ったけれど、佐久夜さん、あなた本当は……)
千春は何かを察したように小さく目を見開いたが、それをはっきり口にするほど野暮な人間ではなかった。
彼女はふっと息を漏らすと、何も言わずに書類に目を落とした。
こうして、千春は後々、胡葉にとって誰にも言えない本音を預けられる、唯一無二の理解者となっていくのだが、それはまだ少し先の話である。
一方、客席の隅で劇を見ていた九条麗奈は、しばらく立ち上がれずにいた。
胡葉のかぐや姫は、美しかった。
あの最後の「見返り」の所作は、確かに自分が教えたものだ。
けれど、胡葉はそれを自分よりも遥かに必死に、そして綺麗に表現してみせた。
自然体に見えて、あの不器用なライバルがどれほど裏で練習を重ねてきたか、麗奈には痛いほど分かった。
(やっぱり、勝てないわね……)
文化祭の終了後、体育館の片付けの最中。
麗奈は一人、客席に残されたパンフレットを黙々と集めていた。
完璧な優等生の仕事として。
そこへ、不意に後ろから声が掛かる。
「九条さん。今日、すごいきれいだったね」
振り返ると、ジャージ姿の岸本くんが立っていた。
「……え?」
「結構、練習したんだろ。ジュリエットのやつ」
麗奈は、集めたパンフレットをぎゅっと抱きしめ、少し黙ってから、いつもの仮面を被って答えた。
「別に……普通ですわ」
「あとさ」
岸本くんが、少し悪戯っぽく笑う。
「なんか今日、前より話しかけやすいわ」
「えっ?」
「前って、なんか完璧すぎて近寄りづらかったんだよな。でもさ……なんか今日の九条さん、劇が終わった後、舞台袖で盛大につまずいて、うずくまりながら顔隠してただろ」
麗奈の心臓が跳ね上がった。
(見られてた……!?)
「ま、また話そうぜ」
ひらひらと手を振って、去っていく岸本くんの後ろ姿を、麗奈は呆然と見送った。
ずっと「私を見てほしい」と思って努力してきた。
けれど、彼が見てくれたのは、完璧に演じたジュリエットではなく、ドレスの裾を踏んで不器用につまずいた、泥臭い自分自身の姿だったのだ。
(私……見せるものを、間違えてたのかもしれない)
胡葉のかぐや姫の、あの必死な美しさを思い出す。
悔しいけれど、不思議と胸の苦しさは、秋の風に溶けるように少しだけ軽くなっていた。




