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K'sキッチン 〜恋愛感情ゼロの美味しい料理〜 第二部  作者: pp
追加エピソード 過去編 胡葉のかぐや姫
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不自由な舞台

 叔母さんのスタジオから帰る電車の中、明日香の興奮は冷めるどころか、ますます加速していた。

 ガタゴトと揺れる車内で、彼女はノートに熱心にペンを走らせている。


「あのね胡葉、やっぱり確信した。あの十二単、どうしても劇で使いたい! あの上品な雰囲気は、市販のペラペラな衣装じゃ絶対に出せないよ」

「気持ちは嬉しいけどさ、明日香。あれ、二十キロもあるんだよ? 本番であれ着て演技するなんて、アタシの体力が持たないって」

「そこは工夫するの! 見栄えはそのままに、もっと動きやすい演技にするから!」



 しかし、現実はそう甘くはなかった。

 翌日、明日香が叔母さんに電話で確認したところ、文化祭の当日はすでに別の本格的な撮影予約が入っており、衣装の貸し出しは絶対に不可能だという返答が返ってきた。

 そもそも、中学生の学校演劇に貸し出せるような、安価な代物ではないのだが。


「うう、やっぱりダメかぁ……」

 学校の図書室。

 冷房の効いた静かな部屋で、明日香は机に突っ伏した。

 けれど、すぐにガバッと顔を上げる。その瞳には、諦めの色は微塵もなかった。

「貸してもらえないなら、私が作る。それっぽいものじゃなくて、本物に見えるすごい十二単を、自分で作ってやろうじゃないの!」


 そこからの明日香の没頭ぶりは、胡葉が少し引くほどだった。

 図書室の分厚い「日本衣装大図鑑」を何冊も積み上げ、学校の重いデスクトップPCの前に陣取っては、「十二単の構造」「織物の種類」「現代風の簡略化手順」といったページを片端から印刷していく。


 しかし、すぐに大きな壁にぶつかった。

──材料費が、圧倒的に足りない。


「伊達襟を何層も重ねて、中の着物をたくさん着ているように見せる工夫は考えたんだけど……」

 放課後の教室で、明日香は電卓を叩きながら溜息をついた。

「一番外側に羽織る唐衣(からぎぬ)表着(うわぎ)だけは、どうしても立派でハリのある生地が必要なの。そうじゃないと、あの優雅なシルエットが出ない。でも、それを買うだけで、クラスの演劇予算を遥かにオーバーしちゃうんだよね……」

「それじゃ諦めるしかないね」

 乗り気でなかったはずなのに、頑張っている明日香を見たからか、胡葉まで残念な気持ちになっていた。

──いや、それだけじゃない。

 あの衣装をまとった時、明日香が目を丸くして「綺麗」と言ってくれた瞬間が、ふと脳裏をよぎる。

……もう一回くらい、着てもよかったかもしれない。

 胡葉は、そんな自分の考えを、ただ「役作りへのやる気」だと思い込んでいた。



「……いや、ちょっと直談判しに行ってみる」


 明日香の言葉に、胡葉は顔を上げた。

 二人が向かったのは、生徒会室。

 予算を少しでも増やしてもらえないか、生徒会会計を務める三年生の福山千春に頼み込むためだった。


 生徒会室の机で、端正な顔立ちを崩さない千春は、明日香が提出した衣装の設計図と見積書を冷徹な目で見つめていた。

 千春は、学校内でも「超合理主義」として知られる女子だ。


「却下よ」

 千春は書類をトントンと机に揃え、あっけなく言い放った。

「あなたたちのクラスだけを、特別扱いするわけにはいかないわ。限られた予算を公平に配分するのが私の仕事。一クラスの、しかも一人の衣装だけにこれだけの額を投資する理由が見当たらない」


「そこをなんとかお願いします! 本当にすごいのを作るから!」

 食い下がる明日香の後ろで、胡葉は気まずそうにしていた。

 やっぱり無理だよな、と諦めかけたその時、明日香が「これを見て!」と、携帯の画面を千春に突きつけた。

 それは、叔母さんのスタジオで撮影した、胡葉のあの「本物の十二単姿」の写真だった。


「……っ」

 画面を一瞥した千春の眉が、ピクリと跳ね上がった。

 合理主義の塊のような千春だったが、実は彼女には「美しいものに滅法弱い」という、周囲には隠している絶対的な弱点があった。

 写真の中の胡葉は、窓際からの光を浴びて、息を呑むほど神秘的で、静謐な美しさを放っていた。


 千春の理屈が、頭の中で激しく揺らぐ。

 けれど、彼女はすぐにフンと鼻を鳴らし、いつもの冷徹な仮面を被り直した。


「夢を持つのは自由よ。でもね、それを“叶える”にはコストがかかるの。一生徒のわがままに付き合うお金は、生徒会にはありません」


 その言葉は、まるで胡葉の胸の中にある「恋愛なんて綺麗事、コストに見合わない」という冷めた理屈に、妙な形でリンクして刺さるようだった。


「……そう、よね。先輩ありがとう。行こう、明日香」

 胡葉が明日香の肩を叩き、二人は生徒会室を後にした。


 しかし、残された千春は、自分の机で一人、猛烈に悩んでいた。

(……あんなものを見せられて、無視できるわけないじゃない。あの衣装が舞台で動いたら、絶対に素晴らしい劇になるのに……!)



 その日の夜、千春は自宅のリビングで、ブスッとした顔で夕食の箸を動かしていた。

 その様子をじっと見ていた彼女の母親が声をかける。

「千春、何か困ってるの?」

 なんとも難しい顔をしながら答える千春だった。

「……別に、困ってない。ただ、予算の足りない意固地な後輩がいるだけ」

そんな千春の様子をみて、母親はクスリと笑って言った。

「あなた今、“協力したい”じゃなくて、“やらなきゃいけない”って顔をしてるわよ。」

 母親は娘の性格をよく知っていた。



 翌週、千春が学校へ持ってきたのは、ずっしりと重い大きな紙袋だった。

 千春は明日香と胡葉を呼び出すと、無造作にその袋を差し出した。


「これ、使いなさい」

 中から出てきたのは、上品な光沢を放つ、深い水色の大きな布地だった。


「えっ……これって、カーテン?」

「そうよ。実家のリビングを模様替えした時に余った、古い遮光カーテン。生地が厚くてハリもあるから、あなたの言う”唐衣”とやらの見栄えは上がるはず。それからこれ──」

 千春はさらに、小さな小袋を差し出した。中には、色とりどりの鮮やかな端切れがぎっしりと詰まっていた。

「近くの呉服店をいくつか回って、事情を話して、伊達襟に使えそうな端切れをタダでもらってきたわ。これなら予算は一銭もかからないでしょう?」


 明日香はその布地を手に取り、目を丸くした。

 カーテン独特の重みと、呉服店の美しい端切れ。


「すごい……! これ、私が考えてた生地より、ずっといい! こっちの方が絶対に綺麗な衣装を作れる!」

「勘違いしないでよね」

 千春は腕を組み、ツンとした態度で顎を引き、実に理路整然とした口調で続ける。

「これはね、あなたたちのわがままを叶えるためじゃなくて、文化祭の劇を成功させるための投資よ。劇が盛り上がれば、文化祭全体の評価が上がって、生徒会としての実績にもなる。だから、きっちり結果を出しなさい」


「うん! ありがとう、先輩!」

 明日香が飛びつくように感謝するのを、千春は「暑苦しいわね」とかわしながらも、その口元はどこか満足そうに綻んでいた。


 予算不足という「不自由な制限」があるからこそ、知恵と工夫で、本物以上の価値を生み出せるかもしれない。

 千春の持ってきた“偽物の鎧”の材料を前に、明日香のミシンが、いよいよ夏休みの静かな教室で動き出そうとしていた。

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