お弁当のパセリ
翌日の昼休み、胡葉は明日香と向かい合って弁当を広げていた。
机を向かい合わせに繋げた窓際の席。
日差しは相変わらず眩しいけれど、風が通り抜けるのだけが救いだった。
「もう、最悪。かぐや姫とか、アタシにできるわけないじゃん」
胡葉は箸を持ったまま、むうっと口を尖らせた。
卵焼きを口に放り込んだ明日香が、もぐもぐと咀嚼しながら首を傾げる。
「えー、そんなことないと思うけどなぁ。胡葉って、自分で気づいてないだけで結構男子に人気あるんだよ?」
「ないない、絶対からかってるんだって。あいつらアタシのこと、女子だと思ってない節あるし」
「そんな風には思わないけどなぁ」
「男子と話していても、アタシは普通だよ。緊張したりとかないし」
「その”普通”ができるのがいいんだ、って前に誰かが言ってたよ」
「なんでそうなるんだろうなぁ……」
胡葉は箸の先で、お弁当の隅っこを小さく突いた。
少し考えるような仕草をしてから、ぽつりと続ける。
「結局、恋愛とか、そういうの……よく分かんないし」
「胡葉って、あんまり興味無さそうだもんね」
明日香はトーンを落として微笑んだ。
否定も肯定もしない、いつもの優しい友人の顔だ。
胡葉の視線は、自分の弁当の片隅に落ちていた。
そこには、ちんまりとしたパセリの塊がある。
箸の先でそれを摘み上げ、納得いかない様子で、じっと見つめた。
「これ、いつも邪魔なんだよね。彩りのためだけに入れられてさ……。味なんて好きな人多くないのに、そこにいろって言われてるみたい。……愛とかもさ、こういう勝手な押し付けみたいで苦手」
「押し付け?」
「うん。……ほら、よく言うじゃない。愛はもらうもんじゃなくて与えるものだ、とかさ。でも、結局みんな、自分を見てほしいから必死になるわけでしょ? ……そういうの、矛盾してるっていうか、綺麗事っぽくて冷めるんだよね」
一気にまくしたてた胡葉に、明日香は困ったように眉を下げて笑った。
「う〜ん、よくわかんないなぁ。ふふ、胡葉は理論派だもんね。もっと大きくなって、いろんな事経験すると、わかるようになるのかなぁ」
「経験なんてしなくていいよ、面倒くさい」
胡葉がパセリを弁当箱の蓋の裏へと避けた、まさにその時だった。
「なんだぁ胡葉、パセリ食べないの? お子様だねぇ」
上から降ってきた能天気な声に、胡葉は露骨に嫌そうな顔をして見上げた。
クラスの人気者で、いつもおちゃらけている岸本恭斗が、ニカッと白い歯を見せて笑っている。
「うるさいなぁ。こんなの飾りでしょ。美味しいわけでもないのに」
「要らないなら、もらっていいか?」
「どうぞご勝手に」
「なら、いっただきまぁす!」
岸本くんは胡葉の蓋の裏からひょいとパセリを掠め取ると、自分の口へ放り込んだ。
モシャモシャと豪快に噛み砕き、喉を鳴らす。
「フレッシュで少しの苦み。この味がわかんないなんて、胡葉は損しているよなぁ」
「ふんっ」
そっぽを向く胡葉を、岸本くんはどこか楽しそうに横目で見つめた。
その瞳には、からかいの中に、ほんの少しだけ別の熱が混ざっている。
「胡葉って、そういう頑固なとこあるよな。ま、俺は嫌いじゃないけど」
「はいはい、分かったから。用がないならあっち行っててよね」
しっし、と手を振る胡葉に、岸本くんは「つれねえなー」とケラケラ笑いながら去っていった。
その後ろ姿を見送りながら、胡葉は小さくため息をつく。
やっぱり、あいつらの考えていることはよく分からない。
岸本くんと入れ替わるようにして、教室の入り口から一人の女子生徒がこちらへ歩いてくるのが見えた。
隣のクラスの、九条麗奈だった。
見るからにお嬢様然とした佇まいで、サラサラの黒髪が歩くたびに揺れる。
クラスメイトからは「麗奈様」と半分憧れを込めて慕われ、誰にでも完璧な笑顔で接する優等生。
品格がありつつも、決して気取らず、現代的で親しみやすい──それが、周囲の評価だった。
けれど、なぜか胡葉に対してだけは、いつも隠しきれない対抗心を燃やすのだった。
麗奈は胡葉の机の前で足を止めると、形の良い唇を小さく歪めて微笑んだ。その目は全く笑っていない。
「かぐや姫に選ばれたんだって? 演劇は、自分が一番輝くためのステージでしょ? あなたみたいに冷めてる人に、ヒロインが務まるのかしら」
その声音は穏やかだったが、妙に胸に刺さった。
突然のトゲのある言葉に、胡葉は面食らって言葉を詰まらせた。
「え、何……?」
麗奈は小さく息を吐き、胡葉をまっすぐ見つめた。
「あなた……そうやって無防備に笑っているふりだけで、ちやほやされて……」
「は?」
「だから腹が立つの。こっちは、ちゃんと努力してるのに」
一瞬だけ零れ落ちたその本音に、胡葉はきょとんと目を瞬かせた。
しかし麗奈は、すぐにハッとしたように視線を逸らす。
「……別に、あなたに言っても仕方ないわね」
少しの沈黙の後、強い視線を胡葉に戻して、麗奈は言い放った。
「私も文化祭では劇をするわ。そこで判らせてあげるわよ」
フン、と鼻で笑うと、美しい背筋を伸ばしたまま教室を出ていった。
残された胡葉は、ただ呆然と彼女が去ったドアを見つめることしかできなかった。
いつもなら男子相手に言い返せるはずの口が、なぜかうまく動かなかった。
胸の奥を、麗奈の言葉がちくりと刺している。
「……うーん、なんで麗奈さんって、あんな当たりキツいんだろう」
首を傾げる胡葉に、明日香が心配そうに顔を覗かせる。
「でもまぁ、アタシにかぐや姫ができるかっていったら……確かに、麗奈さんの言う通りなんだよなぁ」
自信なさげに肩を落とす胡葉の手を、明日香が不意に、両手でぎゅっと包み込んだ。
「そんなことないよ。胡葉、ぜったいかぐや姫似合うって!」
「そんなわけないと思うけど……」
明日香の真っ直ぐな瞳に見つめられ、胡葉は照れ隠しに小さく笑った。
麗奈の刺すような言葉と、明日香の温かい手のひら。
その二つの間で、胡葉の心はまだ、不器用に揺れているだけだった。
番外編
(……いや、落ち着け俺。あれはただのパセリだ。パセリなんだけど。……でも、胡葉が箸で触ってたし)




