86. カレースパイスと米
酒屋を出て再び街を巡っていると、食欲をそそるスパイスの香りが漂ってきた。奈津希もほぼ同時にこの香りに気づいたようで、同時に辺りを見回し香りの元を探した。
「奈津希、この香りは!」
「ええ、カレーの香りよ。店はどこかしら?」
そわそわとしながら匂いの元の店を探す。カレーの香りに導かれるように店は程なく見つかり、逸る気持ちを抑えながらドアに手を掛ける。店のドアを開けるとドアベルがなり、それと共に強烈なカレーの香りが文字通り全身にぶつかってくるような錯覚をした。
平静を保ちながら席に着き、食い入るようにメニューに目を走らせる。ラグレーという単語がメニューのあちこちにある、カレーはコチラではラグレーと言うのだろう。注文を取りに来た店員さんにメニューの説明をいくつか聞き干城はウルボアラグレー(ポークカレー)を、奈津希はクコデューラグレー(チキンカレー)を注文し、飲み物はミルクを二つ注文した。
「まさかカレーに出会えるとは、なんて僥倖だろう」
「ええっ。楽しみね、待ち切れないわ」
カレーがテーブルに届いた。ウルボアラグレーは黒に近い色のカレーでクコデューラグレーは赤みのある色のカレーだ。スパイスの芳醇な香りを堪能し一匙味わう、ピリッとした強烈な刺激のあとに複雑なスパイスの味が押し寄せる。
まだ一匙なのに汗が滲む、干城はポケットからハンカチを取り出す。顔を上げれば奈津希もハンカチを用意していた、辛さは同じくらいなんだろう。
二人とも無言で、時折汗を拭きながらカレーを一匙、一匙大事そうに味わっている。柔らかく煮込まれたウルボアの肉もゴロゴロと入っていてカレーの満足感を引き立てていた。最後に残ったミルクを飲むが、口の中はカレーのピリリッとした余韻が残っていた。
できればもう少し、この余韻に浸っていたかった。食後のテーブルで奈津希と視線を交わす。言葉はなくとも、彼女が次に何をしたいかは手に取るように分かった。
会計を済ませて店をあとにすると、二人は自然と足早に市場を探し始めた。目的はスパイスを手に入れる。ひと言の会話がなくても通じ合う行動に、阿吽の呼吸を感じる。
通りがかりの人に場所を聞き、目指す市場へと到着した。そこはスパイスの強烈な香りや果物の甘い匂いが満ち満ちており、串肉を焼くコンロからは、肉の脂が焦げる音と共に香ばしい煙が漂っている。
客を呼び込む威勢のいい声や、激しい値段交渉の声。店先に吊るされた赤や黄色の色とりどりの果物。行き交う人々をかわしながらスパイスの店に辿り着くと、二人はそれぞれ金貨を支払って大量のスパイスを買い込んだ。インベントリがある二人に食材が傷む心配はない。さらに5〜6軒のスパイス店を梯子して、8種類のカレー用スパイスにようやく満足した二人は一息つき、果物や野菜の買い出しへと移る。
ふと隣を見れば、奈津希は甘いデザート用の果物には目もくれず、酸味が強い柑橘類を多く選んでいるようだった。レモンや柚子、ライムのような果物は、肉や魚料理でも重宝する。干城は、バナナやライチ、龍眼といった果物をいくつか手にとった。
買い物に満足して市場をあとにし、奈津希と話しながらあてもなく街を巡り、ラデスを売っている店があったので覗いてみると、ラデスの値段は王都の四分の一を少し下回るほどの値段だった。
ここはラデスの産地で、王都では輸送コストなどが上乗せされた値段なのだから値段差にも納得だ。干城はひとつ20キログラムほどの麻袋に入った白ラデスを12袋と赤ラデス4袋を買い。奈津希はその半分の量を買った。ラデス屋を出て少し歩くと木陰の場所にベンチがあった、一息つこう。
「いくら使ったかな、700レラ(金貨7枚)くらいは使ったと思うけど、つい散財してしまったなあ。」
奈津希は巾着袋を手に乗せて重さを確かめるような仕草をして、それでも笑顔になった。
「そうね。でも後悔はしてないわ。第一インベントリがあるから傷む心配もしなくていいし」
これまでコツコツと依頼をこなし、納品物も一手間加えて査定や評価も良かったところに、国からの指名依頼も加わって二人のギルド口座には一生食うに困らない程の残高はある。ポケットに入れた巾着袋とは別に空間収納に巾着袋をしまっておけるので、手持ちの残金にもまだ余裕はある。
「今回は8種類のカレースパイスをメインに買ったけど、白胡椒や黒胡椒もだいぶ安いね。それも散財の原因なんだけど」
「だったら。いっそ仕入れと考えたらどう? アタシ達商売資格持ってるのに行商してないじゃない。インベントリで輸送量も、バーチャルエリア経由で輸送コストは考えなくていい。地方の町や村に割安で提供しても儲けはでるわよ」
それには干城も納得だった。あくまで軸は冒険者で他の商人の縄張りを荒らさない程度に商売をするのも悪くない。
「それいいアイデアだね。店舗代わりの大型荷馬車でも作ろうかな、荷馬車は空間収納に入れておけば良いんだしね」
「荷馬車か、良いわね。作るときはアタシの荷馬車も作ってよ」
「ああ、勿論さ。なんかデザインとかリクエストがあったら、言ってもらえばそれに沿うよ」
「ええっ、そうするわ。ペネディエルトランサーでデザインすれば干城が製図に落とし込んでくれるわね」
二人は今日はこのあとどうするか話し合いラデスの田圃を見に行く事にした、日本人にとってカレーと米は切り離せない。来る途中に上空から見た景色は膨大な作付面積だった。街を出て小走り(当社比)程度で走り、田圃が見えてきた。
大勢の人が作業をしていた、収穫している所もあれば耕起(荒起し)している所もある。収穫前の水を抜かれた田圃は直播栽培なのだろう、稲は不揃に固まっていたり、隙間があったりした。刈り入れに並行して耕起が行われているということは、二期作ということか。作付面積は広かったが用水路も整備されていたし水は充分供給されているんだろう。
「ねえ干城、日本の田圃とは随分違うわね。稲は不揃いに固まってるし。もう収穫してるの?」
「奈津希あっちを見て、田圃を耕してる人がいるでしょ。推定だけどラデスをインディカ米と同じと考えると二期作をしてるんだよ。粳米に比べると短い期間で収穫できるからね」
「それと、不揃いに固まってるのは直播栽培だからだね。塩水選をしてるかは分からないけど、種籾を田圃にばら撒くやり方だよ」
奈津希はふ〜んと言いながら聞いていた。そして日本の田植えとの違いが気になったのか、なぜそうなのかと聞いてきた。
「雑学程度の知識だから推定だけど、育苗して正条植えをするには作付面積が広すぎるからじゃないかな。田植え機があるわけじゃないし、人の手で正条植えしてたらいつまで経っても田植えが終わらない。それよりは直播栽培が合理的だと思うよ。草刈りが大変だろうけどね」
奈津希はへぇ~っという感じで聞いていた。しばらく首をひねって、やがて思い出したという感じで手の平をポンと叩いた。
「そう言えばさっき、田圃を耕してるって言ったじゃない。なんで田圃を耕すの?」
「あれは荒起しって言って大事な工程だよ。耕すことで田圃の土をひっくり返して、肥料を与えて土を生き返らせるのさ。ムラなくやらないと収穫量にも影響するんだよ」
「そうなのね。ラノベだとテイマーが従魔を使役してそうだけど、全て人の手なのね。それにしても流石は干城の雑学知識ね。ニヤけながら街の壁に嬉々としてキルゾーンを構築していた同一人物とは思えないわよね」
「それを言ったらナチュラルハイで一か所に城郭を二つ建てた奈津希も同類じゃない?」
畦道歩いて田圃を見て回りながら、二人はオースディタクルの街作りで、どれほどはっちゃけていたかをお互い擦り合い。笑いながら広い田園を歩き回った。取水や精米の水車を見たり、種籾を直播する様子をみたりと。じっと休息するのではなく時間の限り動いて、あちらこちらを見て回る。まさに50代日本人の旅行である。




