19. 勇者召喚は諸刃の剣 2 (国家のリスクマネジメント)
干城は頭では冷静に務めようとした、だが心が冷静ではいられなかった。
「私達は貴方達と生きた国が違うどころか、生きた世界そのものが違う、常識も価値観も思想も違う、貴方達の価値観と自己満足をこれ以上こちらに押し付けるな!」
「財産が必要なら用意する? だったら今、ここに私達二人が前世で生きた年数、112年分の国家予算を用意しろ!」
干城は自分の感情が激昂しつつある事を自覚し、鼻で静かに息を吸い浅く深呼吸した、落ち着きを取り戻した干城は静かに話した。
「できますか?……できないでしょう? そんな理不尽、皆様が私共に押し付けたものはこういう事です」
◇◇
シルヴァノもグレカーレも、息を飲んだ、そんな金額には応じられない、干城もそんな金額は用意できないだろうと言っている。つまりお前達がした事は自分達にそれだけの理不尽を押し付けたのだと突きつけている。
干城が爵位なり領地なり、何か形のある物なりを賠償として要求していればそれに対して交渉の余地もある。だが干城が要求しているものは、一貫してこの国の貴族の常識と価値観、自己満足を押し付けるな、自分達に関わるな。である、形のない物の要求に交渉の余地を見出だせなかった。
グレカーレも過去に宰相を務め数々の政治的な難題を解決してきた、今回もある程度の展開を予想していた。だがそれは自分達貴族の常識を基としてだ、召喚者の世界の常識など思考の埒外にあった。賠償となる具体的なものを提示しない干城の交渉は全くの予想外で、干城が何を要求するのか予測もできなかった。
グレカーレは具体的な要求をして来ない干城に対して反論も妥協案の提示もできなかった、やりようがなかった。違う常識や価値観を持つ全く読めない自分よりも歳上で、卓越した交渉術を持つ相手に下手な事を言う訳にはいかない、干城の狙いを必死に考えていた。
奈津希はこの交渉で何かを言う気はなかった、元々無意味なのだ、交渉は干城に任せればいい。ただ、不穏な芽は何も見逃さない。干城の横で何も語らず、天使の様な可愛らしい姿の奈津希は、感情を感じさせない表情とヘイゼルの瞳で静かにシルヴァノとグレカーレをじっと見ていた。それに気付いたシルヴァノとグレカーレは、奈津希の感情のない凍てつく視線の底知れなさに恐怖した。
シルヴァノもグレカーレもひと言の言葉もなかった、一滴の汗も出てないのに喉が渇いた。干城の静かな怒りと奈津希の冷たい絶望は伝わってきた。どんな一手を打つべきか考えれば考える程、思考の泥沼に足を取られた。
グレカーレは不意に気付いた、自分達が考えた金銭や爵位や領地の賠償など、この国になんの価値も認めていない相手には意味を為さない、自分達の価値観では交渉のカードなど初めからなかったのだと。干城の元の世界の話から王や貴族といった身分も何の意味も持たないと気付いた、ではどうやって交渉すればいい? 何を望む?
◇◇
思考の沼に沈んでいる様子のグレカーレに干城が声を掛けた。
「私供が召喚されたあの時、私は宰相閣下に申しました。今後も関わるなら敵対したと見做して殺すと」
「確かに聞いた」
「ではシルヴァノ殿下、賠償は今後この国は私共に一切関わらない。という事でよろしいですか?」
「分かった。私が即位したら、貴族と騎士に召喚者には一切関わるなと勅令を出そう」
干城は落ち着いた口調で質問を投げ掛ける。
「ありがとうございます。ひとつ、確認させて頂きます。私共にとって、この国にも貴族や騎士にも何の価値も興味もございません」
「ですがもし。貴族や騎士が私共に手を伸ばして来た場合は、持てる全力で反撃させて頂きます。その反撃によってその貴族や騎士が命を落とそうとも、この国は私共には一切関わらないという認識でよろしいですね? それと、その勅令の写しを頂きとうございます。私共も皆様を完全に信用したわけではございませんので」
「それも承知した。召喚者に反撃されても国は一切の不干渉を貫くと併せて勅令を出し、勅令の写しを諸君にも渡そう」
「ありがとうございます」
グレカーレは思考の途中の迷いを感じさせる表情で干城に問いかけた。
「我々は君達と交渉の余地はないのか?」
「交渉の余地……ですか……質問に質問を返す無礼をお許し下さい。お伺いしますが、そもそもなぜ皆様は、異世界からの召喚者である私共が皆様と同じ常識や価値観を共有していると思い、なぜ事の初めから相互理解もせず交渉が成立すると思ったのですか?」
その問いに、シルヴァノ殿下もグレカーレ宰相も何も口にしなかった。彼ら貴族の常識では平民は貴族に従うものだ、真っ向からの常識の否定に思考が追いつかないだろう。
「皆様は私共を何も知ろうとはしなかった。私共の元の素性や年齢すら調べず、交渉の根回しも、認識の摺合せもしない。私共には皆様は自分達の都合と自己満足をこちらに押し付ける事が目的で、私共と話し合いをしたいと考えているとは思えないのですよ」
自分達とこの国の貴族の常識との違いを認識して貰わないと話し合いにはならない。だが、その認識を擦り合わせる時は既に過ぎ去った、それだけでも知ってもらおう。
「何も知らない、知ろうともしない相手との交渉などあり得ません。交渉の余地を放棄したのは皆様ではないのですか? 私共は平民である前に人間なのですよ。平民は貴族に付き従うかもしれません、ですが人間もそうだとは限りません。私共はこの世界も、この国も知りはしませんし興味もありません。ですが皆様のやり方で、この世界では外交が成立するのですか? でしたら、ここは相当稚拙な世界ですね。少なくとも私共の元の世界ではあり得ない事です」
シルヴァノ殿下とグレカーレ宰相は重苦しい表情で沈黙した。ようやく認識の整合という話し合いの土台さえできていない事に気付いたようだった。
しばしの沈黙……重苦しい雰囲気の中、干城はひとつの疑問を問いかけてみた。
「お聞きしたいのですが、なぜ召喚魔法という何が出てくるか分からない不確かな魔法を平然と使うんですか?」
次期王も宰相も、『平民』の問いに何も答えられなかった。
何の回答もないことに干城はこれ以上話す事はないと思った。
「そうですか。よろしければ、私共は退席させて頂いてよろしいでしょうか?」
グレカーレは貴族の矜持にかけるように最後まで交渉の敗北感を僅かも表にすることなく堂々と振る舞った。
「話し合うべき事は話し合った、今日はわざわざ呼び出しに応えて貰って感謝する」
干城と奈津希は立ち上がり、それまで言葉を発しなかった奈津希が表情を変えることなく別れの挨拶をした。
「それでは御前失礼させて頂きます、御機嫌よう」
何の感情も感じさせない冷たい声と共に干城と奈津希は端正な一礼をして退室した。
◇◇
二人が退室したあとの閉じられたドアは、今後話し合いすらできない完全な決別を示していると、シルヴァノとグレカーレは理解した。
部屋に残ったシルヴァノとグレカーレはこの時に薄ら寒いものを感じていた。たった二人で敵対する王や王族、100名を超える城の近衛騎士と魔術士、それに多数の貴族を1時間ほどで斬り捨て。端正な礼儀作法があり、外交まで語れる高度な知性を持った二人の召喚者に賠償として渡したもの。それは二人に手を出した者への反撃に対する、国として一切の不干渉という実質的な殺人許可だった。
シルヴァノは、最初に相互理解をしなかった事を悔いた、だがそれは干城に指摘されて初めて気付いた。異世界人から見た自分達は遅れた世界の野蛮人なのだと。
この国では今後二度と勇者召喚を行なってはならないと法を制定しようと決めた。恐らく同じ失敗を繰り返すだろう、自分達の常識で考えるのだから。
そして召喚された者が何を失ってしまうのかを考えなければならない。召喚者は生きながら己の世界と人生を奪われる。我らを恨みこそすれ、我らと友誼を結ばねばならない確たる理由はない。
召喚した勇者と友誼が結べなければ、それは自らの首に当てられた剣になる。彼らは自分達とは常識も価値観も違うのだから。
第一章終了です。
読み返したら前話も人称グチャグチャでした、前話は原型を崩さないよう一部改め、今話は視点切り替えでないと無理そうでした。一話内で視点がコロコロ切り替わるのもどうかと思いましたけど。投稿済みで全部書き換えるのもなあと。




