16. フリーランス街の互助
Eランク依頼に魔物討伐はない。遭遇した「はぐれ」を処理することはあっても、それはあくまで偶発的な対処に留まる。
たとえ最弱の魔物であっても、巣の掃滅や集団の殲滅といった本格的な討伐戦はDランク以上の領域だった。
これには、魔物の討ち漏らしを減らすという明確な意図がある。人間と戦って生き残った魔物は狡猾に知恵をつける。だからこそ、経験の浅いEランクには最初から討伐依頼が回らない仕組みになっていた。
まずは安全な依頼をこなしつつ、はぐれを相手に経験を積む。そのため、報酬だけで生活が安定するのはランクDからであり、ランクEにはそれほどの余裕はなかった。
干城と奈津希は、Eランク依頼の荷運びや村の収穫手伝い、時には掲示板に放置されたF依頼の溝掃除などを地道にこなし、日々の食い扶持を稼いでいた。
「結構斬ったし、そろそろ短剣もメンテに出した方がいいかな」
「そうね。元が安物だし、こまめに手入れはしてるけど、少し切れ味が落ちてきた気がするわ」
「40レラ(銀貨4枚)分の貯金もできたしね。ひとまず飢え死にする心配はなくなったし、今日は一息ついてメンテに充てよう」
「アタシ達はソロだったり、報酬を分けても二人分だからマシだけど、普通のパーティって四〜五人が標準でしょ? それを人数分で割るって考えると、他の人たちは生活がカツカツでしょうね」
「確かに。ランクEからは魔物と戦う機会も出てくるし、武器や防具の維持費がかさめばそうなるか」
「その上にもし怪我でもしたら、治療費で一気に破産しかねないわよ」
「その点、このフリーランス街の店なら多少は融通が利くんじゃないかな?」
「そう言えば、この辺りは街全体がフリーランサーの互助会みたいなものだったわね」
そんな雑談を交わしながら、二人は朝の時間をのんびりと過ごした。そろそろ開店時間になる頃合いを見計らって木賃宿を出る。
他愛のない話をしながら歩いていると、以前短剣を購入した『ログナー武具工房店』の看板が見えてきた。
店のドアを開けるとカランコロンとドアベルの音がなった。店内のカウンターにログナーさんの姿が見えた。
「すみません、短剣のメンテナンスをお願いします」
「メンテか。どんな状態だ、見せてみろ」
促されると、二人は空間から短剣を取り出し、カウンターへと置いた。
「収納魔法か……いや、それより短剣は……」
ログナーさんは短剣を手に取り、時々首を傾げながら状態の確認を始めた。
「しっかり手入れもしてるな。結構な頻度で使っているようだが、腕がいいな。その歳なら刃に歪みや刃毀れがありそうなものだか、そんなものもない。これならどちらも研ぎ直すだけで十分だ」
「では、それでお願いします」
「分かった、1時間ほど時間をくれ」
「それじゃあ、その間にご飯を食べてきてもいいですか?」
「ああ、構わん。ゆっくり食ってくるといい」
店を出て食事処を探しながら、干城はふと、いつもとは違う路地に目を向けた。見慣れない看板が気になったのだ。
「奈津希、いつもと違う店に入ってみようか?」
「そうね。新規開拓も大事よね」
奈津希が同意して隣を歩く。
「最近は、たまにニスニラ以外も食べられるようになったけど、入る店はずっと同じだったからね」
「ニスニラ食べ比べ?」
「それも面白そうだけど……。20リギル(銅貨2枚)以内なら、今日は何を食べてもいいんじゃない?」
そう言って二人が見つけた食事処の看板には、[年末の憂鬱亭]と掲げられていた。
「インパクトのある名前の店だなぁ」
「ギルド会費の事かしら? なんだか実感がこもっているわね」
「とりあえず入ってみようか」
「そうね」
カランとドアベルを鳴らして足を踏み入れると、店内はごく普通の、掃除の行き届いた清潔な食事処だった。食事の時間帯を外れているせいか、他に客の姿はない。
「いらっしゃい。適当に座ってくれ」
カウンターの向こうから、店主らしき男が声をかけてきた。二人は清潔なカウンター席に腰掛け、置かれていたメニューに目を走らせる。
「とりあえずメニューを見てみよう」
品並びを確認していた干城の目が、ある一行で止まった。そこには、あの安価な定番飯であるニスニラよりもさらに安いボアの臓物煮6リギル(小銅貨6枚)があった。
二人は顔を見合わせ、それを注文した。運ばれてきたのは、黒パンと、ボアの腸を少しの野菜とともに濃いソースで煮込んだ料理だった。恐る恐る口に運んだ奈津希の目が輝く。
「美味しい! 生臭さがまったくないわ!」
「この値段で、これだけの味が出せるのか……」
「それに、ミノかしら? すごくよく煮込んであるわ。肉が驚くほど柔らかい、ねえ……これ、どう考えても原価とトントンじゃないかしら?」
奈津希が声を潜めて囁く。他に従業員も客もいない静かな店内だ。二人の会話は、当然のように厨房の店主に聞こえていたらしい。食べ終えて一息ついた頃合いを見計らい、店主がカウンター越しに歩み寄ってきた。
「お前さん達、他の奴らとは着眼点が違うな?」
干城は少し恐縮しながらも、居住まいを正した。
「ごちそうさまでした。私はタテキと言います」
「ナツキです。はじめまして」
「お前さん達が、今噂のタテキとナツキか。俺はこの[年末の憂鬱亭]の店主、デコーズ・ナトラクだ」
ナトラクと名乗った店主は、腕を組んで二人をまじまじと見つめた。
「あの、着眼点が違う、というのはどういう意味でしょうか?」
干城が尋ねると、ナトラクはニヤリと笑った。
「お前さん達はランクEなんだろ? 普通、ランクEやFの駆け出し連中は、味や調理法なんて気にしねえ。安くて腹に溜まりゃあそれでいいって目をしてる。それなのに『原価』だって? そりゃフリーランサーじゃなく、商人の視点だ。それをその若さで気づくとはな。なるほど、噂になるわけだ」
「あのぅ……アタシ達、どんな風に噂されているんですか?」
奈津希が不安そうに首を傾げると、ナトラクは豪快に笑った。
「礼儀正しくて、一度見たら忘れない可愛い子供。だけど話してみると、まるで年寄りと喋っているようなチグハグさを感じる子たち、だいたいそんな評判だぞ」
思わず苦笑いしてしまう二人だったが、干城は先ほどの疑問をもう一度ぶつけてみることにした。
「それよりもナトラクさん、この料理、実際はほとんど儲けがないんじゃないですか?」
「まあな」
ナトラクはあっさりと認めた。
「だが、パンは自前で焼いてるし、臓物もギルドの解体課と契約してタダ同然で仕入れてる。だから赤字にはなってねえぞ」
「商売として、それはいいんでしょうか?」
「そうだな。商人や商売人としては落第だろう。だが、俺は料理人だ。この店を維持して、俺が食っていけるくらいの儲けは別のメニューで出してる。あとは、この街で商売をしている料理人としての意地さ。自分の腕でできる、駆け出しフリーランサーへの応援がこれなんだよ」
なるほど。この界隈の店は、フリーランサーたちの目に見えない「互助会」のような役割を果たしているのだ。干城と奈津希は、この世界の温かさを肌で実感していた。
心地よい満腹感のままナトラクに別れを告げ、二人はログナーの店へと向かった。店に到着すると、頼んでいた用件はもう少しで終わるところだったようで、二人は店内に並ぶ武具を眺めながら少しだけ待った。
「お待たせ、二つとも研ぎは終わったぞ」
奥から出てきたログナーが、仕上がった品を差し出す。
「ありがとうございます! 料金は幾らですか?」
「この程度の手間、金はいらんよ」
ログナーの言葉に、干城は真剣な表情で首を振った。
「いえ、職人さんの腕を安売りしてはダメです。幾らかでも絶対に料金を取ってください」
まっすぐな目で言われ、ログナーは気圧されたように苦笑した。
「そう言われちゃあなぁ。分かった、料金は全部で5リギル(小銅貨5枚)だ」
「……安すぎませんか?」
「そうでもねえさ。これで今夜、エールを1杯美味く飲ませてもらう。それで十分だ」
「分かりました。では、5リギルです」
「はいよ、毎度。気をつけてな」
「ありがとうございました」
店を出て、二人はこれからの予定を相談する。
「ねえタテキ、今は服がこれ一着しかないでしょ? さすがに上下三着ずつは欲しいわ。下着はもっと必要だし」
「そうだね、買いに行こうか」
奈津希の提案に頷きながら、干城は歩き出す。
ゼロから始めたこの異世界での生活基盤が、街の人々の優しさに支えられながら、少しずつ、しかし確実に出来上がっていくのを実感していた。




