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遠き清磨  作者: ふじまる
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第8章 周布

 来島光次郎きじまこうじろうのお陰で椋梨藤太むくなしとうたからタマキへの批判はいったん収まったものの、いつまた再開するかわからないので、そうならないようにする為には相手側につけこまれる隙を無くしておく必要があった。そこで問題になったのがタマキの千本屋通いである。夜な夜な女郎屋へ足を運ぶというのはいかにも体裁が悪く、恰好の口撃材料にされかねない。タマキと光次郎と周布政之助すふまさのすけの三人は、居酒屋で対応策を協議した。

「キクを身請けすりゃ良いじゃん」

 光次郎がそう提案すると、タマキは力なく「でも、金が・・・」と呟いた。

「よしわらの花魁じゃあるまいし、こんな事を言うと先生は気分が悪いでしょうけど、キクは女郎の中でもそうとう下位の女ですよ。俺は正直なぜ先生がキクを気に入っているかわかんないもの。だから身請け代も安いんじゃないですか?」

「それがその・・・」タマキは情けない表情を浮かべた。「実は俺も同じ事を考えて、千本屋の主人・市兵衛に、キクの身請けの話を持ち掛けたんだよ。そうしたら市兵衛の野郎、山浦さまがご贔屓にしてくださったお陰で、今やキクは当店一の売れっ子ですから安い金では手放せません、とぬかしやがった」

「そんなの先生が指名しなけりゃ、他にキクを指名する客なんかいやしないじゃないですか」

「確かに」

「それでいくら出せと言われたんですか?」

「三百両」

「三百両? そんな法外な」

「ふっかけすぎだよな」

「それならもうキクを指名するのを止めたらどうです? そうすりゃたちまちキクの商品価値が下がるでしょうから」

「俺もそう思って、そんならもうキクを指名しないぞと言ってやったんさ。そうしたら市兵衛の野郎、何と答えたと思う? どうぞどうぞ、山浦さまがキクに会えなくても平気ならそうなさってください、と言ってせせら笑いやがった」

「完全に足元をみられてますね」

「俺の弱みにつけこみやがって」

「市兵衛としては、最初に高値をふっかけといて、交渉で値を下げるにしても、出来るだけ高く売ろうという魂胆なのでしょうね」

 政之助がそう言うと、光次郎が「悪党め。天誅を喰らわせてやる」といきり立った。

「え? どうすんの?」

「店に火をつけてやる」

「それはいかんぞ、さすがに」

 慌ててタマキが止めた。すると政之助が「わたしに任せてください。策がありますから」と言った。

「策? どうするんですか、周布さん?」

 タマキに尋ねられた政之助はニッコリ笑って答えた。

「椋梨さんの力を借りるんですよ」

 光次郎に襲われて以来、外出する際には必ず護衛の侍を三、四人つける等、日々の用心を怠らない椋梨藤太だったが、そんな藤太のもとへ政之助は「改革派の人間が再び襲撃する計画を立てている」というニセ情報を流した。さらに「襲撃班のねじろは千本屋で、主人の市兵衛が黒幕である」とも。

「おのれ、むざむざとやられるわしではないぞ」

 頭にカーッと血が昇った藤太は、すぐさま手下の侍を七人引き連れて千本屋へ向かった。

 一方、千本屋ではタマキと政之助と光次郎の三人が、「普段お世話になっているから」と適当なことを言い、一室を借りて店の用心棒であるヤクザ者三人に酒をご馳走していた。何も知らないヤクザ者たちは上機嫌でタダ酒を飲んでいる。そこへ藤太たちが鼻息荒く乗り込んできた。

「かかれ!」

 藤太の号令がかかるや、侍たちは店の中で暴れ始めた。女郎たちが悲鳴をあげて逃げ惑う。

「何だ? どうした?」

 突然、店内から聞こえてきた騒がしい物音や悲鳴で、ヤクザ者たちはほろ酔い気分から我にかえった。そこへ政之助が偽りの報告をした。

「店内で正体不明の暴漢が暴れています」

「そりゃたいへんだ」

 すぐさまヤクザ者たちが駆けてゆく。タマキ、光次郎、政之助の三人も後に続く。店内では侍とヤクザ者の乱闘が始まっている。タマキ、光次郎、政之助の三人は、侍たちと適当に戦っては、家具や建具をわざと破壊しながら悲鳴をあげて店内を逃げ回った。そのせいで壁には穴があき、襖と障子と家具はそこらじゅうに散乱して、店の中はまるで竜巻が通り過ぎていったかのような惨状と化した。

「うわぁ、こりゃ一体どうしたことだ? やめてくれ」

 市兵衛が泣きながら飛び出してきた。そして藤太をつかまえては、涙ながらにこう訴えた。

「あなた様は藩のご重役である椋梨さまですよね? なぜこのような無法な真似をなさるのですか? すぐにおやめください」

 すると藤太はじろりと睨み、「おまえが主人の市兵衛か?」と尋ねた。「そうです」と答えた瞬間、市兵衛は藤太に顔面を思いっきり殴られ、後ろにふっ飛んだ。

「わしがきさま如きにおめおめとやられる間抜けだと思ったか?」

 藤太はそう言うと市兵衛を縄で縛って連れ去った。手下の侍たちも引き上げた。あとに残ったのは無残な姿に変わり果てた千本屋である。この騒動で怪我人は多数でたが、死者や重傷者が藤太の側にも千本屋の側にも一人もいなかったのは、不幸中の幸いだった。

「少しやりすぎましたかね?」

 政之助がそう呟くと、タマキは周囲を見渡して

「少しじゃないな、これは」

 と俯いた。後ろめたい気持ちになったタマキ、光次郎、政之助の三人は、自主的に店内の片づけを手伝った。

 一方、藤太の屋敷に拉致された市兵衛は、「陰謀のすべてを白状しろ」ときつい折檻を受けたが、市兵衛にとってはまったく身に覚えのない話だし、藤太の方もこの話の情報源がどこだったか改めて思いだそうとすると極めて曖昧模糊としていたので、けっきょく市兵衛は嫌疑不十分で解放された。全身あざだらけになってよろよろと戻ってきた市兵衛を見たタマキ、光次郎、政之助の三人は、ますます「悪いことをしちゃったな」と反省の気持ちを強めた。

 市中で大きな乱闘騒ぎがあったという話は藩主・毛利敬親もうりたかちかの耳に届き、そのため藤太は坪井九右衛門つぼいくえもんを通じて厳重注意を受けた。

 市兵衛に想定を超える損害を与えたことは「やりすぎだった」と反省したものの、キクを身請けするという目的はまだ達成されていない。政之助は、当初の計画通り、タマキの代理人として市兵衛と交渉しに千本屋へ出向いた。店内を修理する大工たちのトンカチやノコギリの音がやかましく響く中、藤太からの暴行で顔がまだ腫れている市兵衛は、従来通り「キクの身請け代は三百両」と主張した。

「キク程度の女郎は二十両が相場でしょうが」

「いんや、キクは当店の看板娘だから三百両が適正価格です」

「そうですか・・・それならこちらは諦めなければなりませんなぁ・・・」政之助は大袈裟にため息をついた。「でも、このままキクを店に置いといて大丈夫ですか? 再び先日のような事態になりかねませんよ」

「は? それはどういう意味です?」

「ご主人が改革派の仲間だと勘違いされた原因は、千本屋さんに山浦が贔屓にしているキクがいるからじゃありませんか。山浦は先のご家老が萩へ送り込んだ人間ですからね」

「今後はもう勘違いされませんよ」

「いやいや、甘いな」政之助は市兵衛の予想を否定した。「キクを抱えている限り、ほんのちょっとしたきっかけさえあれば、再び先日のような大騒動に発展しかねませんよ、ほんのちょっとしたきっかけさえあればね」

 ここで市兵衛の脳裏に一つの疑惑がよぎった。

「周布さま、先日の騒動は、まさかあなたさまが仕組んだものではありませんよね?」

「まさか」と、政之助は白々しく笑った。「わたしがそんな事をするわけないじゃありませんか。しかしながら、もしここに悪い連中がいて、そいつらがその気になりさえすれば、先日程度の騒ぎは、いつでもわけなく引き起こせますよ」

「・・・」

「次にまた同じ事が起きたら、ご主人の命が無事でいられるかどうか・・・」

「・・・」

「命とお金と、どちらが大切ですか?」

(こいつ、暗にわしを脅かしているのか)

 市兵衛は政之助の仕業だと確信した。さらに、こいつはキクを身請けするまで何度でも乱闘事件を引き起こす肚だ、そうも思った。

「ここに相場の二十両に十両上乗せして三十両あります」政之助は懐から三十両を取り出し、市兵衛に差し出した。「これでキクを身請けさせてください。そうすれば今後この千本屋が狙われることはありませんから。ご主人としても乱闘騒ぎに巻き込まれるのは、もうこりごりでしょう? 安全を買いましょうよ、安全を」

(悔しいけど、証拠が無い以上、こいつの罪を問えない)

 市兵衛はしぶしぶ三十両でキクの身請けを認めた。

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