第7章 椋梨
「先日、山浦さんを襲ったのは、どうやら椋梨藤太の手の者らしいです」
周布政之助からそう告げられたタマキは「椋梨って何者なんですか?」と尋ねた。
「わたしら家老派と敵対する一派の首魁です」
「村田清風さまの敵ということですか?」
「そうです、わたしらは藩政を改革し、できれば幕府と張り合えるくらいの経済力や軍事力を持ちたいと願っているのですけど、椋梨たちはとにかく幕府に従順であれ、それこそが藩の生きる道だと主張し、何かにつけ我らと対立しているのです」
「そいつらがなぜわたしを憎まなければならないのですか?」タマキはそう言って首を傾げた。「わたしがそいつらに何か悪い事をしましたっけ?」
「山浦さんは何も悪い事をしておりませんよ。例の来島の一件で人気者になったせいで、派閥争いに巻き込まれただけです」
「どういう意味ですか?」
「つまり家老派の人気を上げる厄介者と思われたわけです」
「確かにわたしはご家老に雇われましたけど、藩内の権力争いなんかに興味はありませんよ」
「お気の毒に思います、部外者の山浦さんをくだらない派閥争いに巻き込んでしまって」
「奴らはまた襲ってきますかね?」
「わかりません。ただ、用心を怠らないようにしておいてください」
「鬱陶しいですね、人間社会は」タマキがため息をつくと、政之助は「そうですね」と力なく答えた。
さて、椋梨藤太の方だが、タマキの襲撃に失敗して落胆した藤太は「それならば」と作戦を変え、
「高い金を出して山浦を雇っているのは藩費の無駄遣いだ」
と声高に主張し始めた。刀なんて時代遅れだ。今は鉄砲の時代だ。刀鍛冶に多額の金を支払うくらいなら、優秀な鉄砲鍛冶を雇って最新のゲベール銃を大量に造らせた方が良い。家老の村田清風は時勢を読み誤っている、と。
実際には清風は鉄砲や大砲の開発もぬかりなくおこなわせていたが、藤太はそれを知りながら無視し、タマキこそが藩の財政を逼迫させている元凶だと、ことさらに訴え続けたのである。
タマキの件が直接の理由ではないが、この年の六月、村田清風は性急な改革に対する反発により失脚した。代わって政権を任されたのは、坪井九右衛門という元々は清風と一緒に藩政改革を推進してきた男である。しかしながら、この九右衛門は後に保守派の頭目と見なされて処刑されることになるから、どっちつかずの曖昧な態度をとる人物だったのであろう。椋梨藤太は九右衛門の添役となり、実質的に政権を掌握した。
清風の失脚を知ったタマキは激しく落ち込み、キクに「俺はもう嫌になったよ」と弱音を吐いた。
「ご家老はいなくなるし、俺は皆から藩の土台を食い荒らすシロアリのように嫌われているし・・・藩の為に一所懸命やってるのにさ」
キクは何も言わなかった。ただ黙ってタマキの愚痴を聞いてあげていた。するとタマキは、悔しさを紛らわせる為に酒をがぶ飲みしたせいもあり、ますます図に乗って甘えた声を出すのだった。
「もう萩を引き上げて江戸へ戻ろうかな。ねえ、キク、どう思う?」
「さぁ」
「俺がいなくなると寂しいかい?」
「・・・」
「なぁ、キク、俺がいなくなると寂しいかよ?」
「わたしにはわかりません」
「なぜわからないんだよ?」
「わたしは女郎ですから」
「女郎だから何だというんだよ?」
「わたしには決められないの」
「俺はおまえが好きなんだよ。本気で惚れたんだよ。一緒になりたいと思っているんだよ」
女郎は大概そうだが、キクも前途に希望を抱かない精神状態になっていた。なまじ変な希望を抱くと、後でつらい思いをするのが身に染みてわかっていたからである。
「キクと二人で江戸へ帰りたいよ」
所詮、女郎は女郎。自分たちは人間でなく、金で買われる物に過ぎない。自分たちに拒否権は無い。言われるまま金を払った男に抱かれるだけだ。
「キクは俺について来てくれるよね? くれるよね?」
客の男と本気で惚れ合っても、相手の男が「身請けして妻にする」と約束しても、その恋が成就することはまず無い。男が約束を反故にしても文句は言えない。どうせ女郎相手の戯言なのだから。酒の上での狂言なのだから。余計な希望を抱いたらバカを見るだけだ。
「あーん、キク、俺はつらいんだよお」
そう言うとタマキは、キクに抱きついたまま、グーグーいびきをかいて眠ってしまった。キクはタマキの寝顔を悲しげな表情で眺めていた。
椋梨藤太の口撃でタマキは精神的にへこんだが、反対に怒りで精神が激しく高ぶった男がいた。来島光次郎である。
「俺の先生をよくも・・・」
刀造りの合間に、毎日一時間程度、光次郎はタマキから剣術の指導を受けていたが、しょんぼりしているタマキを見て藤太に復讐することにした。
「椋梨め、思い知らせてやる」
夜、黒覆面をした光次郎は、藤太の帰り道の途中にある特にひと気の無い場所に身を潜めた。何も知らない藤太は、提灯を持った中間に先導されて、とぼとぼ歩いて来た。突如そこへ躍り出た光次郎は、まず中間に当て身を喰らわせて気絶させた。
「何者だ?」
藤太が叫ぶと、光次郎は
「武士の魂である刀を貶める奴が許せない者」
と名乗った。
光次郎と藤太の間の真ん中あたりで、中間が落とした提灯がじりじりと鈍い光を放っている。藤太には光次郎の言葉がピンと来なかった。
「何だ? どういう意味だ?」
「きさまは刀なんて時代遅れだと言ったな?」
「はぁ?」
「今は鉄砲の時代だから刀など用済みだと」
「ははーん」
ここでようやく藤太も合点がいった。
「山浦の仲間か?」
「そんな奴は知らんぞ」
「おまえ、来島光次郎だな?」
「来島? 誰だ、それは?」
「とぼけても無駄だ。その大柄な体つき。来島光次郎以外にはおらんて。いくら覆面をしていても正体はバレバレだぞ」
「俺を誰と勘違いしているのか知らないが、きさまに刀の重要性を教えてやる」
光次郎はそう言って刀を抜いた。藤太は激しく狼狽し、「来島、俺をどうするつもりだ?」と叫んだ。
「だから俺は来島じゃないって」
「来島、わしの身に何かあったらタダでは済まんぞ。それがわかっておるのか?」
「俺は来島じゃないけど、きさまと一手お立ち合い願うだけだ」
「なぜわしがおまえと立ち会わなければならないのだ、来島?」
「俺は来島じゃないけど、刀の大切さを教える為だ」
「わしは嫌だ。来島、おまえとは立ち会わんぞ」
「俺は来島じゃないけど、きさまがそういう態度をとるなら、こちらは問答無用で斬りかかるだけだ」
そう言って光次郎が斬りかかると、藤太はかろうじて身をかわしながら「やめろ、来島」と叫んだ。
「俺は来島じゃないけど、きさまも刀を抜いて反撃しないと死ぬぞ」
「バカな真似はやめろ、来島」
「俺は来島じゃないけど、ほらほらいくぞ」
光次郎が再び斬りかかると、ようやく藤太も刀を抜いて構えた。肩でぜいぜい息をしている。
「来島、今夜の事は不問にしてやるから、もうやめろ」
「俺は来島じゃないけど、勝負」
上段から光次郎が斬りつける。藤太はそれを刀で受けようとする。暗くて藤太には判別できなかったが、光次郎が持っているのは刀ではなかった。刀の形をした太くて重い鉄の棒・・・腕力を鍛える為、光次郎がふだん素振りしている、刃の付いていない鉄棒だった。鉄棒の重い一撃で藤太の刀はパリンと二つに折れた。呆然とする藤太に向かって光次郎が得意げに言い放った。
「なまくら物を差しているからそうなるんだ。これできさまにも刀の大切さがわかっただろう。今後はもっと良い刀を持つんだな」
そのまま光次郎は立ち去ったが、収まらないのは藤太である。翌朝さっそく役人を光次郎のところへ差し向けたが、光次郎は「知らぬ。存ぜぬ」を決め込むばかり。
「昨日は馴染みの女郎と夕方からずっとやりまくっておりましたわ」
口裏を合わせてある女郎も「間違いありません」と答えたものだから藤太としてはどうしようもなく、歯ぎしりをして悔しがった。さらに光次郎から嫌がらせで、
「そんなにおっしゃるのなら、一つわたしと手合わせしてみれば、刀のさばき方の特徴から犯人と同じか否かが明確にわかるのではありませんか?」
そう提案されたものだから、藤太は怖気づいてすごすごと引き下がるしかなかった。




